世界の構造変化の始まりは、9.11同時多発テロが出発点だった(写真:Getty Images)

ウクライナ、イスラエルとガザ、台湾有事、朝鮮半島の緊張…… 世界が混迷を極める中、「地政学」は地理と歴史の観点から、国際情勢の読み解き方を教えてくれる。『週刊東洋経済』4月20日号の第1特集は「わかる! 地政学」。地政学がわかると世界の仕組みが見えてくる!


3年目に入ったウクライナ戦争や、6カ月が過ぎたガザ戦争の恒久的な停戦と平和の回復の見通しは暗い。

2つの戦争は米国の抑止力と指導力の低下を示している。大統領選挙を控えた米国はますます内向きとなり、ロシアや中国、イラン、北朝鮮などの専制体制諸国との分断が進む。

2001年9月11日に、米ニューヨークのワールドトレードセンタービルが崩落した光景は、世界の構造変化の始まりを象徴する光景だった。

同時多発テロに対して米国は、圧倒的な軍事力でアフガニスタンとイラクとの2つの戦争を戦った。

米国の指導力の限界

その結果、ウサマ・ビン・ラディンやサダム・フセインを打倒する事には成功したが、甚大な死傷者、数兆ドルの戦費を費やした20年間の戦争は地域の安定につながったわけでもなく、米国に著しい徒労感を生んだ。オバマ元大統領は「米国はもはや世界の警察官ではない」と述べ、米国が国外で戦争をする敷居は著しく高まった。

「ソ連邦の崩壊は20世紀最大の悲劇」と言うロシアのプーチン大統領がウクライナを席巻しようとしても、米国がこれに実力で対抗するという意図があったなら、ロシアの侵略は止められたかもしれない。米国は圧倒的な軍事力を依然として有しているが、抑止能力はあっても使う意図は薄れて戦争を防げなかった。

ハマスによるイスラエル襲撃はテロであり許されるものではないが、「ハマス撲滅」を掲げたイスラエルのガザ侵攻は3万人を超える民間人死亡者を生んだ。同盟国として膨大な支援をしてきた米国が国際社会の求める停戦を説得できないところに、米国の指導力の限界が浮き彫りとなる。金融やメディアに多大の影響力を持つユダヤ人やイスラエルに好意的なキリスト教福音派の存在は、大統領選挙を控えた米国の立場を容易でないものとしている。

現在、「もしトラ」(もしトランプ前大統領が再度政権を取ったら)が語られるが、本質的な問題は米国での極めて根深い体制批判が分断につながっていることだ。

20年間にわたる中東での戦争、08年のリーマンショック、コロナ禍による多数の死者、かつてないほどのインフレ。年間250万人を超えるとされる不法移民の流入。45年には白人が少数派となる見通し。さらには、所得格差のさらなる拡大。もはや既存の体制は信用を失った。エスタブリッシュメントのバイデン大統領と対比して、トランプ氏は4件の刑事訴訟を抱えつつも政府や政党、メディアなど既存体制の批判の象徴として支持を増やしている。

11月の大統領選挙の結果にかかわらず、米国の内向き傾向は変わらないだろう。トランプ氏は中長期的な利益よりも、短期的な利益に目を奪われるだろう。同盟国にはより大きな負担を求める。移民の制限は強化されるだろうし、保護貿易的傾向は強まっていく。

中国の習近平体制は3期目に入り、国内引き締めは強化される一方で、経済は変調期を迎えている。中国経済は23年に5.2%成長となったが、不動産バブルや若年労働者の失業率高止まり、国内消費需要の低迷など深刻だ。反スパイ法に基づく外国人監視も強化され、外国資本にとって中国への投資リスクは高い。

米中関係崩壊と台湾有事

米中関係は対立一辺倒ではない。もちろん、安全保障関係では対立を続けるだろうし、政治的な競争関係は先鋭化する。共産主義一党体制の下での人権侵害や法の支配の欠如は、民主主義体制が看過できることではない。

しかし経済関係では引き続き両国間の貿易は高いレベルで推移しており、基本的な相互依存関係は維持されている。もちろん先端半導体など軍事に転用されうる高度技術の対中輸出は厳しく規制され、これがどこまで強化されるのかという問題は残る。さらに、気候変動問題や大量破壊兵器の拡散などでの米中間の協力関係は相互を利する。

このような米中関係がバランスを崩し、対立から衝突に至る契機となるのは台湾情勢だ。独立志向の強い台湾・民主進歩党(民進党)の頼清徳副総統が次期総統に選出された一方、議会で同党は過半数を割った。それでも、現状が大きく変わるとも考えにくい。

中国は、少なくとも当面は経済を優先するだろうし、中国側から台湾の武力統一に動き出す可能性は現時点では低い。ただ、中国は23年に続き今年も7%を超える軍事費の伸びを計上しており、中長期的には台湾海峡をめぐる軍事バランスは中国有利に展開する。

「米国は軍事介入する」という意図が、中国の軍事侵攻を抑止してきたが、仮にトランプ政権が誕生すればこの意図が薄れ、中国との取引を優先するといったおそれがないわけではないだろう。

朝鮮半島では、ロシアと北朝鮮の接近が新しい地政学リスクを生んでいる。ウクライナ戦争で孤立しているロシアと北朝鮮は軍事を中心に関係を強化。ロシアは国連制裁の監視パネルの任期延長決議に拒否権を行使し、北朝鮮をめぐる安全保障理事会決議は今後、ロシアの拒否権を想定せざるをえなくなる。

韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)政権は、日米韓の安全保障協力による抑止力強化を軸に、前政権の対北朝鮮融和主義を大きく変更している。これに対し北朝鮮は究極的な民族統一の旗印を放棄し、韓国を主敵と位置づけたうえで強硬な姿勢に転じて朝鮮半島の緊張を高めている。

米欧がウクライナ支援をいつまで続けられるのかという疑問もある。トランプ大統領が再登場すれば再び米欧の連携は崩れる。G7(主要7カ国)の対ロ経済制裁は、中国やインド、さらには「グローバルサウス」といわれる主要途上国がロシアとエネルギーを含む経済関係を維持していることにより、事実上効果が薄れている。

また、ロシアとイランや北朝鮮との軍事協力関係も強化されつつある。中東ではハマス、ヒズボラ、フーシ派といったイランの支援を受けたイスラム過激軍事集団がイスラエルや米国を標的に軍事作戦を展開している。

現段階ではイランはイスラエルや米国との正面切った対決に進むのではなく、ロシア、中国との協力関係を強化して米国の影響力を排除することを企図するのだろう。

核開発のドミノ

一方、東アジアでは日米の対中戦略が大きな意味を持つ。安全保障面については、日米の統合的抑止力の向上を図ると同時に、台湾や朝鮮半島問題も念頭に中国との安保対話を継続強化していくべきだろう。

朝鮮半島について中国は、北朝鮮の核開発は韓国や台湾にも核開発のドミノを起こしうるとして警戒的であり、また何よりも朝鮮半島で戦争が起きることは避けたいと考えているはずだ。ロシアと結託し、北朝鮮を支援することには慎重だろう。日米は朝鮮半島の非核化について中国と協力する余地を探求するべきだ。

日本は東アジアのさらなる緊張を避けるため、米国との同盟関係の強化だけではなく、対中戦略をよく練っていく必要がある。日本が政治経済面で米国につねに同調する必要はなく、分断を避ける意味でも中国を関与させる政策を取っていく必要もあるだろう。


(田中 均 : 日本総合研究所 国際戦略研究所 特別顧問 前理事長)