「東京からオシャレなやつ来た」 サブカル好き少年が"法とクリエイティブ"の地平を切り拓く、水野祐弁護士の出発点
サブカルチャーが好きな少年だった。将来は、音楽や映画に関わる仕事がしたい。大学は法学部に進学したものの、そんなふうに考えていた。
アートやデザイン、テクノロジーと法律の分野を結ぶ新たな地平を拓いてきた水野祐弁護士だ。彼はある本との出会いをきっかけに弁護士を目指すようになり、ロースクールへ進学。そこで教員たちに恵まれ、初めて法律の面白さを知った。
現在の活動は多岐にわたるが、スタートアップやクリエイターを支援し、事業やスキームに法律家としてコミットすることに生きがいを感じている。
多様な法曹人材の育成を目的の一つに、ロースクール制度が導入されてから20年。神戸大学法科大学院2期生である水野弁護士にインタビューした。
●学生時代、大好きなサブカルにどっぷり浸かった
その年、慶應大学法学部の入試科目「英語」に、アメリカのロックバンド「R.E.M」の中心人物であるマイケル・スタイプのインタビューが出題された。中高生の頃から洋楽をよく聴いていた水野弁護士は、その内容がすぐにわかった。
「問題文をみて『神が降りてきた』と文字通り震えましたね(笑)。長文だし、設問も英語なので書いてあって時間切れになりやすい試験でしたが、私は設問だけ読んで答えられたので、大幅にショートカットができました」
結果は合格。法学部に入ってからは、大好きなサブカルにどっぷり浸かった。アルバイトの傍ら、ミニシアターに足を運び、ライブハウスやクラブで大量の音楽を浴びる日々を送った。一方で、小説や哲学書、社会思想の本も読み漁った。
「いわゆる"サブカルクソ野郎"でした。弁護士を目指して勉強をガチでやるタイプではなかったですね」
そう笑う水野弁護士。なんとなく、自分の好きなクリエイティブの分野で、編集者やプロデューサーみたいなクリエイターを裏方で支える仕事につくのかなと思っていたので、法学部は自分の居場所じゃないように感じていた。
「ちょうどその頃、インターネット上で音楽ファイルを共有できるサービス『ナップスター』などのP2Pサービスが流行していて、大学の図書館にこもって音楽をダウンロードしていました。図書館が一番、ネットの回線が安定していたので…。
しかし、アメリカの裁判で、ナップスターは敗訴し、2001年には閉鎖され、ファイル共有やネット上の著作権がどんどん社会問題化していく過程で、それに伴いインターネット上のP2Pサービスも次々に閉鎖されていく様子を音楽ファンとして目の当たりにしました」
そうした時期に、ある一冊の本と出会ったことが、水野弁護士の未来を方向づけた。
アメリカの憲法学者ローレンス・レッシグ氏の著書『CODE-インターネットの合法・違法・プライバシー』(2001年/山形浩生・柏木亮二翻訳/翔泳社)である。
当時、インターネットが急速に普及する中、知的財産の権利とサイバー空間の関係性を指摘した書籍だった。
「難しい本だったと今では思うのですが、法律と好きなクリエイティブや表現の領域、自分の世代に大きな影響を与えたインターネットとの存在とが合致する地点が見えた気がしました。
アメリカには、映画や音楽のプロデューサーに弁護士が多いと聞きかじりして、自分も弁護士資格をとったら、こういう分野で何かユニークな活動ができるかもしれないと思いました」
●ロースクールで知った「法律の面白さ」
大学4年になり、ロースクール制度が導入されるというタイミングが重なった。
慶應大学法学部を卒業後、神戸大学法科大学院に入学する。同級生たちの前で自己紹介する機会があり、水野弁護士は「アートやクリエティブをサポートする弁護士になりたい」と語った。
「そうしたら、『東京からオシャレなやつが来た』って、関西人にすごい笑われて、イジメられました。『シティボーイが来たぞ』みたいな(笑)」
キャンパスは六甲山のふもとにあり、水野弁護士はさらに高い標高に住んでいた。
「イノシシがそこら中にいるんですけど、大学から家までの一本道をイノシシが歩いていると、追い越せなくてゆっくり進むしかなかったです。イノシシの家族が信号待ちしているのを見たこともあります」
そんなのどかな環境の中、ロースクールでの学びは刺激にあふれていた。
「当時、神戸大学の法科大学院には、30代から40代のやる気に満ち溢れた先生方が集まっていました。今は東京大学や京都大学で教えていらっしゃる先生も多いですね。それまで予備校がつくったテキストでしか法律を勉強したことがなかったのですが、ロースクールではじめて基本書とか、論文を読み、仲間たちと議論したり分析をしたりする中で、初めて法律の面白さに少し気づきました(笑)」
2007年にロースクールを修了し、2009年に弁護士としていよいよスタートを切る。振り出しは、東京の日比谷・有楽町にある法律事務所だった。
「伝統的な企業法務の法律事務所で、アソシエイト弁護士として3年、働きました」
そうして4年目に独立し、現在のシティライツ法律事務所を自ら立ち上げた。若手の独立としては早いという印象だが、実際、先輩や同世代の弁護士たちに心配された。
「前の事務所に勤務していた当時、事務所の仕事ももちろんあったのですが、個人的な仕事も引き受けていました。頑張ればできるだろうと思っていたのですが、やっぱり両立が大変で、仕事の質も悪くなるわ、体調を崩してしまうわと悪循環になっていってしまい、もう出るしかないなと」
事務所名の「シティライツ」とは、1950〜1960年代のアメリカ文学界におけるムーブメント「ビートニク文学」の発祥の地で、西海岸の知や文化の発信地でもあるサンフランシスコの「City Lights Bookstore」に由来するという。
クライアントが進む道を照らす松明となり、街に灯りをともすように、日本のクリエイティブなビジネスやカルチャーを世界に発信する手伝いをしたい。そんな思いが込められている。
●仕事に充実感を覚える瞬間
クリエイティブのビジネスやスタートアップの起業家を支援する目的で立ち上げた事務所。実際にはどのような仕事を手がけているのだろうか。
「新しい分野の業務は、判例がなかったり、ルールがなかったりといった難しさはありますが、まったくのフリーハンドというわけではなく、これまでに蓄積されている知識をいかに活用するかが腕の見せどころだと思います」
新しい分野といえども、従来の企業法務と変わらない仕事がほとんどだ。しかし、さらに奥深くまでコミットすることがある。
「たとえば、新しい事業を立ち上げて、企業同士の契約を結ぶとき、契約書をつくります。その洗い出しをする中でクライアントとさまざまな議論をして、このビジネスモデルをこう変えたら、より事業がうまくいくのではないかと、新しい視点を提案して事業の価値をさらに付加していく。
それをクライアントが採用してくれて、事業の形がより良いほうに変わって、実際にワークする。それが実現できたときに、すごくやりがいを感じますね」
自分が関わったサービスやコンテンツが無事に世に出て、電車の中などで偶然隣に座った人たちがそれについて話しているのが聞こえてくる。そんな瞬間、充実感があるという。
水野弁護士が一つひとつ、切り拓いてきた新しい分野。それもロースクールでの学びがあったからこそだという。
「ロースクール制度には、さまざまな課題があり、改革も検討されていると聞いています。しかし、ロースクール制度については良し悪しのゼロか100の二項対立の議論が多くて、この制度の何が良くて、何が悪いのか、中庸の議論があまり聞こえてこない印象があります。
自分として、自分が良い仕事をしていくことで、こんな弁護士もいるんだ、こんな仕事もあるんだと思ってもらえることが、ロースクールの存在価値にもつながっていくんじゃないかと思っています。ロースクールのおかげで、こんな弁護士もいるんだと、そんなふうに思ってもらえたらいいなと」