「私の幸せは人を助けること」 来日33年のエリザベスさん、異国の地で「難民申請者」らの心支え
オブエザ・エリザベス・アルオリウォさん。通称、エリザベス。入管問題に関心のある人や携わっている人なら、たとえ面識はなくても、彼女の名前やその活動について、耳にしているのではないかと思う。
エリザベスさんは1991年、祖国ナイジェリアに残るFGM(女性性器切除)という風習の強制を逃れて来日した。自身が難民申請中の「仮放免者」という、不安定かつ不自由な地位にありながら、出入国在留管理庁の収容施設や刑事施設に収容されている外国人のために日々奔走している。
その活動は、ドキュメンタリー番組『エリザベス この世界に愛を』(ETV特集・2021年1月放送)をはじめ、多くのメディアで紹介されている。
2023年5月には、エリザベスさんを支援する市民グループ「with Elizabeth」が、彼女に「人道配慮に基づく在留特別許可」を与えるよう求める署名を呼びかけて、集まった3万8000筆余りを法務大臣と出入国在留管理庁長官に渡した。
また同年12月、エリザベスさんが四半世紀暮らす茨城県牛久市の市議会で、彼女に在留特別許可を求める請願書が賛成多数で可決され、意見書のかたちで法務省と出入国在留管理庁に提出された。
来日33年、「私の幸せは人を助けること」と語り、文字通り、それを実践する彼女の日々を追った。
●敬虔なキリスト教徒 毎日、始発電車で教会に行く
エリザベスさんの1日は、夜明け前から始まる。
「毎朝3時に起きて、始発の電車に乗って教会に行きます。教会で過ごしたあとは曜日ごとに、品川(東京入管)、牛久(東日本入国管理センター)、小菅(拘置所)、横浜と横須賀(刑務所)に行く日を決めていて、各地で面会します。成田空港の入管支局や、名古屋・大阪の入管収容者からも電話が来るので、支援団体に移動費を出してもらえれば、そちらにも行きます」
エリザベスさんのような仮放免者は、在住する都道府県を離れるとき、入管から移動許可を取得しなければならない。茨城県在住の彼女は、東京や神奈川まで面会に行くために、その都度、許可を得て行動している。
「入管は申請した場所以外に立ち寄ることを認めてくれないから。ほかの用事をしたくても、違反して捕まりたくないので、まっすぐ家に帰ります」
拘置所にいる未決拘禁者には、手続きをすれば、誰でも面会することができる。だが、刑が確定した受刑者には、原則として、弁護士や親族など限られた人しか面会できない。
「刑務所に収容された外国人受刑者への面会については、特別の許可のもとでしています」。敬虔なクリスチャンであるエリザベスさんは、いわば「教誨師」(きょうかいし)のように、異国の地で罪を犯した人たちの心を支えている。
●東京入管の建物 あちこちから声をかけられる
品川にある東京入管の建物は、上層階が収容施設になっていて、難民申請や仮放免の延長、在留資格の変更などの手続きをするため、平日の日中は多くの人で溢れている。2023年12月のある日の午後、エリザベスさんの面会に同行するため、そこで待ち合わせをしていた。
だが、この日、午前の面会を終えた彼女は、収容されている女性に面会に来た夫や、仮放免の延長に来ている男性の相談を受けたり、入管に来たものの難民申請の手続きがわからないアフリカ系男性の手伝いをしたりするため、急きょ予定を変更した。
「面会に来ていても、入管で困っている人に声をかけられたら、その人たちのサポートを優先する。そっちのほうが重要なこともあるからね」
仮放免の延長に来ていた中東出身の男性は、収容中に体調が悪化して手術を受けたという。仮放免になって以降はエリザベスさんの協力で、在留資格のない外国人生活困窮者の支援活動をおこなっている北関東医療相談会(AMIGOS)につないでもらった。難民申請中の彼は、弁護士と連絡が取れないことを懸念して、エリザベスさんに相談していた。
まだ若いアフリカ系の男性は、聞けば同じナイジェリア・ビアフラの出身とのことで、エリザベスさんは一緒に東京入管の難民調査部門まで行って、職員に申請用の書類を要請し、その書き方や提出方法を教えていた。
東京入管の中を移動していると、あちこちから多くの人がエリザベスさんに声をかけてくる。いずれも以前、収容されていたときに彼女が面会していた人たちだ。子どもと一緒に東京入管に来ていた南米出身の女性は、偶然の再会に声をあげて、エリザベスさんにハグして、自身の近況を話していた。
●東日本大震災 牛久収容中に被災した
仮放免者や難民申請者にエリザベスさんがここまで深くコミットするのは、彼女自身が2011年、そして2016〜2017年にかけて、それぞれ10カ月ずつ、品川と牛久に収容された経験があるからだ。
「入管に収容されると、みんなつらくて泣くし、自分も1回目に収容されてすぐは泣いていた。だけど、収容中に入管のことをいろいろ勉強したから。入管のやり方がわかるようになったから、今はもう何も怖くないよ」
2011年に収容されたエリザベスさんは本人いわく"入管職員に屈することなく闘った"ことで、品川から牛久に移送された。東日本大震災を牛久で被災した彼女は当時のことをこう振り返る。
「そのとき私が収容されていたのは大部屋で、ベトナム、中国、フィリピン、ミャンマー、タイ、トルコ……いろんな国の人が14人くらいいて。すごく揺れて、怖がって泣いている収容者に『みんなも自分の神様がいるでしょう、神様がいるから大丈夫!』と言って、手を取り合って、みんなを落ち着かせた。
窓ガラス越しに部屋の外を見たら、怖がって泣いている職員の姿も見えたから、『ほら、私たちガイジンだけじゃないよ、日本人も怖がって泣いているよ。大丈夫、神様がいるから』と励まして。本当にあれはドラマみたいだったな」
その日はたまたまエリザベスさんの代理人をつとめる指宿昭一弁護士が面会に来ていたそうで、地震の影響でタクシーを捕まえることができなかった指宿弁護士も、JR牛久駅まで数キロを歩いたという。
●食事は1日1度 仮放免者に余裕はない
以前から入管収容施設や刑務所に足を運んでいたものの、身をもって、自由を奪われることのつらさを経験してきたエリザベスさんは、それまで以上に面会活動に力を注ぐようになった。
収容されたばかりの人と収容が長期に及ぶ人では、必要とする支援の内容が異なる。エリザベスさんは一人ひとりが今、何を必要としているかを聞き出して、その先へとつないでいく。
仮放免や難民申請について弁護士に相談する。新たに収容された人に面会をしてあげてほしいと支援者・団体に伝える。中にいる彼、彼女たちが必要とする日用品を手配する。医療や住居のことで行政にかけ合う――。
改定入管法が施行されて、「監理人制度」が導入される今年6月以降の運用がどうなるか、入管はまだ詳細を発表していないが、現在、仮放免申請には保証人と、収容を解かれたあとに滞在する住所が必要だ。
だが、危険を逃れて来日したものの入国を認められず、空港から収容施設に送還された難民申請者の場合、日本に知人がいることは決して多くない。仮にいたとしても、同居させてくれるかどうかは、別の話だ。
エリザベスさんは、こうした行く先のない人たちを自宅に迎え入れている。仮放免の人たちにとって、自分を受け入れてくれる彼女の存在は、文字通り「救い」となっている。
人のために何ができるか。いつもそればかり考えているエリザベスさんは、自分のことは後回しにしがちだ。
同行中、昼を迎えたので、昼食はいつもどうしているのかと尋ねると、エリザベスさんは「昼は食べない。仮放免者には、そんな余裕はないから」と言って、こう続けた。
「食事は1日1回、夜、食べるだけ。なのに太っている(笑)。やっぱりストレスがあるのかな」
(取材・文/塚田恭子)
【プロフィール】オブエザ・エリザベス・アルオリウォ
1967年ナイジェリア南東部ビアフラに生まれる。アフリカに残る伝統的慣習のFGMを逃れて14歳で家を離れる。ナイジェリア国内を転々とした後、1991年、24歳のときに来日。工場やクリーニング店などで仕事をする。1998年頃から受刑者への面会・支援を始める。2019年に多田謡子反権力人権賞を、また2021年に日本平和学会平和賞、2022年にOodua Progressive Union Japanから人道的奉仕賞を贈られている。