アメリカのパーフェクトデイは発酵技術により牛乳を使用しないアイスクリームなどを販売している(写真:パーフェクトデイ)

「発酵」は、今、世界のホットトピックとして注目されています。2024年には精密発酵と呼ばれる発酵技術の代表的企業であるアメリカのパーフェクトデイが130億円の資金調達を達成しました。他にも、近年世界中で多くの発酵を取り扱うベンチャー企業が誕生しています。

今、改めて発酵が注目される理由について、室町時代から600年続く種麹メーカーの第29代当主であり『ビジネスエリートが知っている 教養としての発酵』の著者である村井裕一郎氏が解説します。

テクノロジーとしての「発酵」

「タンパク質クライシス」という言葉をご存じでしょうか。人類の人口増加や途上国の進展に伴い、近い将来、地球規模でタンパク質の需要と供給のバランスが崩れてしまう危機のことです。他にも、倫理上の理由や、アレルギーなどの体質的な理由など、様々な理由から肉や魚を食べない人、もしくは少しでも減らしたい人たちがいます。

そのため、肉や魚に変わる「代替タンパク質」に注目が集まっており、2030年には市場規模は3兆円を超えるとも言われています。

その「代替タンパク質」をつくる方法の1つとして、発酵に注目が集まっているのです。なぜなら、発酵とは、「微生物の活動によって物質が変化すること」ですが、「微生物の力を利用すれば、タンパク質を効率的に産み出せるのではないか?」と考えられているからです。この分野で、多くのベンチャー企業が世界中で設立され、開発競争が進んでいます。

微生物の力を利用するメリットはいくつかあります。まず、生物の増殖の早さを活かして、人間が工場でつくるよりも効率よく物質を生産できます。また、もともと自然の中に存在している微生物を利用するため、人工的につくられた薬品を利用するよりも環境への負荷が少なく、人間の手や機械ではつくることができない複雑な物質も、微生物によって生産できます。

これらのメリットをより強化するため、狙った通りの物質を、より効率的に生産できる微生物になるように遺伝子を操作して活用しようと遺伝子工学の技術も使われています。まさに、微生物を「生きる工場」として「求める物質」を生産していく技術です。

これを「精密発酵」と呼ぶのですが、現在バイオテクノロジーの分野のホットトピックとなっています。これらの技術は、人類の食料生産や自然環境の保護という重要な社会課題の解決にも結びつくと期待されており、その社会的な意義は計り知れないほど大きいものです。

微生物を利用した「牛乳」を生産

代表的なものが、アメリカのパーフェクトデイの取り組みです。同社は、微生物を利用して「牛乳」を生産する技術を開発しました。そして生産された「牛乳」をもとに、ヨーグルトやアイスクリームなどの「乳製品」を開発、すでに一般に流通しており、アメリカでは大手スーパーなどで購入することができます。

他の事例としては、イスラエル企業のリミルクも、乳タンパク質の代替となるタンパク質を「精密発酵」で生産する技術を研究し、デンマークに世界最大規模の精密発酵工場の建設を計画しています。

また、アメリカのエブリカンパニーでは卵のタンパク質を代替する技術を開発していますし、同じくアメリカで代替肉を研究しているモチーフ・フードワークスも様々な代替タンパク質の製造法の中で、「精密発酵」にももちろん注目し、関連企業との連携を進めています。

この4社はそれぞれ、2023年現在でパーフェクトデイを筆頭に、いずれも累計1億ドル以上の資金調達に成功しており、他のスタートアップも合わせると世界全体では年間で16億ドル以上の投資が集まっています。この事実だけでも、発酵がビッグビジネスになりつつあることがわかります。

ガストロノミーの中心としての「発酵」

続いて、テクノロジーだけでなく、文化の面から見ていきましょう。「ガストロノミー」という言葉をご存じでしょうか。

ガストロノミーとは、料理がどのように発展してきたか、なぜ特定の料理がその場所で生まれたのか、料理が私たちの文化や社会にどのような影響を与えているのかを考える姿勢のことです。

このガストロノミーのど真ん中にあるのが、発酵と言えます。なぜなら、発酵はその芸術性、歴史、科学、社会学的な要素がとても豊富だからです。

発酵食品は人類の歴史と深く結びついています。世界のあちらこちらで発酵食品が生まれ、それぞれの生活文化を通じて様々に発展してきました。日本の醤油や味噌、韓国のキムチ、ヨーロッパのワインやチーズなど、発酵食品は各地の歴史と文化に深く根ざしています。

「美食」のペアリングには欠かせない、日本酒、ワイン、ビール、コーヒー、紅茶、中国茶などの飲み物のほとんどは、発酵が関与して生産されており、特にアルコールが一大産業になっていることは論をまちません。

「麹」の世界カンファレンス参加者の約75%が海外から

さて、「麹」と言えば、「塩麹」など、日本に古くからある味噌や醤油、清酒などの原料というイメージをお持ちの方も多いと思います。

その日本の発酵食品のもとになっている「麹」についてのオンラインカンファレンス「Kojicon」が、アメリカで2021年から開催されています。主催者によると、第1回目の参加者は100人程度の予想であったところ、第1回からその6倍の600人の参加がありました。

私も3回目となる2023年3月に、プレゼンターとして招かれましたが、このカンファレンスの35人のプレゼンターのうち、日本からの参加者はたった4人。その他は、ニューヨーク、ボストンなどのアメリカ国内はもとより、スイスのチューリッヒ、インドのムンバイ、オーストラリアのメルボルンなど、世界各地から参加されている方でした。

「KOJI(麹)」はすでに、ワールドワイドな単語になっており、日本人がいなくても、世界中の人の間でどんどん議論が進んでいます。「麹」のことなら日本に圧倒的なアドバンテージがあるとはいえず、むしろカンファレンスでは日本人の存在感はほとんどありませんでした。

2019年、「北米酒造組合」という組合が誕生しました。この組合には、北米地区でSAKE(現在、「日本酒」は日本国産の米を用いて、日本国内で生産された清酒に使う用語とされているため、海外で生産される清酒は「SAKE」と表記します)を生産する生産者はもちろん、米農家や、関連会社も加入しています。なかでも注目は、SAKEを生産する会社だけでも20近くの酒蔵が加盟していることです。

実は、これまでも、アメリカではSAKEが造られていましたが、端的に言えば、日本資本による日本に親和性のあるコミュニティへの販売が主流でした。

しかし、2010年代以降になると、非日本人が非日本人を対象に、SAKEを製造し販売する流れが生まれました。これが、「北米酒造組合」の設立につながります。

彼らは非日本人を対象にしたマーケティングを行い、斬新なラベルデザインに、商品の設計についても、イノベーティブなSAKEを製造しています。

SAKEに限らず、他の日本の伝統的な発酵食品も、現地の人が、現地のコミュニティのために製造、販売する動きが出てきています。

フランス人による味噌メーカーも

例えば、「養老味噌」という味噌メーカーは、パリに拠点があり、パリに工場を持つ、フランス人による味噌メーカーです。彼らのWebサイトには「フランス産、麹と味噌の伝統製法」とキャッチフレーズが掲げられています。


他にも、私の知る限りで、スイス、オランダ、イタリア、スペインなど、ほぼヨーロッパの大半の国で、現地の人が日本風の味噌や醤油を製造しています。まだ清酒SAKEのように大規模な資本レベルにはなっていませんが、近い将来、同じような動きになると予想しています。

このように、発酵は人類の未来に繋がるテクノロジーとしても、歴史や伝統を繋いでいく文化やガストロノミーの面からも世界中から注目されています。

その中で、日本が培ってきた発酵の技術と文化にも、改めて注目する必要があるといえるのではないでしょうか。

(村井 裕一郎 : 糀屋三左衛門 ・第29代当主)