ロバート・ダウニー・Jr.は、オスカー像を受け取る際に、アジア系俳優キー・ホイ・クァンと目を合わせなかったが……(写真:AP/アフロ)

ロバート・ダウニー・Jr.とエマ・ストーンの振る舞いは、人種差別か。オスカー授賞式以来、その話題が日本のメディアを騒がせている。

「日本のメディア」とあえて書いたのは、お膝元のアメリカにおいてはあくまでソーシャルメディア上における騒ぎであり、メジャーな新聞や業界サイトはほとんど取り上げていないからだ。それはなぜか。とりあえずは、授賞式を見ていない人のためにも、あらためて何が起きたのかをここで振り返ってみよう。

恒例のハグをしなかった

まずは、授賞式が始まって比較的すぐだった助演男優部門の発表。今年、授賞式のプロデューサーは、演技部門に関して、過去に同部門を受賞した5人をプレゼンターとして舞台に立たせた。2009年に試したスタイルを久々に復活させたものだ。

封筒を開け、受賞者にオスカー像を手渡すのは、昨年の受賞者の役目。助演男優部門の昨年の受賞者は、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のアジア系俳優キー・ホイ・クァンだ。

名前を読み上げられたのは、この部門の最有力候補だったロバート・ダウニー・Jr.。彼は隣にいる妻にキスをして席を立ち、舞台に上ったのだが、問題はその後。クァンからオスカー像をさっさとつかんだかと思うと、ティム・ロビンスと握手をし、さらにサム・ロックウェルと「やったぞ」というように拳をぶつけ合って、受賞スピーチを始めたのである。

普通ならば、オスカー像を渡してくれた昨年の受賞者をハグし、感謝を示すもの。しかし、ダウニー・Jr.はクァンと目を合わせることもせず、クァンが封筒を渡そうとしているのにも気づかなかったのだ。

そんな彼の態度を見て、ソーシャルメディアには、「ロバート・ダウニー・Jr.は、まるでバレー・パーキング(車寄せ)で車の鍵を渡すみたいにキー・ホイ・クァンからオスカー像を受け取った」「あまりにも無礼すぎる」などという批判が多数寄せられた。

中には欧米に住むアジア系の投稿者による「私は日常でいつもああいう扱いを受けている」というような書き込みもあり、ダウニー・Jr.の行動は無意識の人種差別を表すものだという受け止められ方が強まっていった。

そして、授賞式も終わりに近づいた頃の主演女優部門の発表。同じように過去の同部門受賞者5人が舞台に立ち、昨年の受賞者であるミシェル・ヨーが封筒を開けたのだが、ここでもちょっと普通でないことが起きた。

名前を読み上げられたエマ・ストーンがヨーからオスカー像を受け取ろうとすると、ヨーはジェニファー・ローレンスに渡し、ストーンはローレンスからそれを受け取って、ストーンはまずローレンスを、次にその隣にいたサリー・フィールドをハグしたのである。

ヨーには、やはり舞台の上にいたシャーリーズ・セロン、ジェシカ・ラングの後にさっと握手をしただけ。しかも、これらのことは速いスピードで起きたため、テレビを見ている人には、ストーンがヨーの前を通り過ぎてローレンスをハグしたようにしか見えなかった。

すでにダウニー・Jr.についての話題でソーシャルメディアが盛り上がっていたところへ、これを見た人たちからは「エマ・ストーンも同じじゃないか」との疑問が浮上。ヨーもアジア系であるせいで、「白人の中にある無意識の人種差別」説は、より説得力を持つことになってしまったのである。


映像では、ストーンがヨーの前を通り過ぎているようにも見えたが……(写真:ロイター/アフロ)

ミシェル・ヨー自ら誤解を解く

ストーンのため、その方向転換を図ったのは、ほかならぬヨーだ。翌日、ヨーはインスタグラムを更新。ストーンに向けて、「おめでとう。私はあなたを混乱させてしまいました。オスカー像を渡すという輝かしい瞬間を、あなたの親友であるジェニファー・ローレンスと分かち合いたかったのです」と、舞台の上で起きたことは自分の気遣いのせいだったと説明したのだ。おかげで、ストーンに対する批判は、ひとまず落ち着いた。

ここで最初に戻るが、この一連の出来事を、オスカーを徹底取材した「ロサンゼルス・タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など主要な新聞、「ヴァラエティ」「デッドライン」「ザ・ラップ」など業界サイトは、まるで取り上げていない。リアルタイムでの報道記事にも、翌日の振り返り記事にもない。

「ハリウッド・リポーター」は、ヨーのインスタグラムについてのみを報道した。テレビでは、エンターテインメント専門のケーブルチャンネル「E!」がソーシャルメディアで起きたダウニー・Jr.に対する批判について取り上げたが、紹介された投稿は彼の「失礼な態度」にフォーカスするもので、「人種差別」という言葉は一切使われていない。

それにはもちろん理由がある。今のアメリカにおいて、「人種差別」は最悪のレッテルだからだ。そう決めつけられることは、キャリア凋落の決定打になりえるほど重大なこと。だからこそヨーは素早くストーンのためにフォローをしたし、主要メディアも簡単にソーシャルメディアの騒ぎに飛び乗ることをしないのである。

ダウニー・Jr.やストーンが実際に人種差別発言をしたのなら、話は別だ。もしそんなことがあれば、どこも大きく取り上げて批判するだろう。「メキシコ人はレイピストだ」とスピーチで断言したトランプ前大統領はまぎれもない人種差別者で、そう呼ばれるべきである。

失礼だったが、人種差別とは限らない

しかし、今回の件に関しては、すべて行動の解釈、臆測にすぎない。ストーンの行動についての人の解釈が間違っていたことはヨーのおかげではっきりしたが、ダウニー・Jr.が意識的であれ、無意識であれ、「アジア系だから」という理由でクァンと目を合わせなかったのかは、誰にもわからないのだ。

プレゼンターがもし白人だったとしても、個人的によく知らない人だったら、オスカー受賞という人生で初の経験に酔っている状態の彼は、その人を素通りして知り合いであるロビンスをハグしたのだろうか。その問いには、そういった状況にならない限り、答えようがない。よって、今回のダウニー・Jr.の行動が人種差別にもとづくものだと決めつけることはできないのである。

人種差別がアメリカ(だけではないが)に根強いのは事実。これは、多くの人を感情的にさせる事柄でもある。だが、その深刻さを知っているなら余計に、その言葉を使うにあたっては慎重になるべきだ。アメリカの主要メディアの今回の反応、いや、無反応は、それを理解したもの。誰かの人生で最高の瞬間が、単なる臆測によって台無しにされることに軽々しく加担しなかったメディア各社に、筆者は賛同する。

(猿渡 由紀 : L.A.在住映画ジャーナリスト)