安くて1本2万円、最高額は1本100万円という「南部箒(なんぶほうき)」が、「ダイソンより高いホウキ」として注目を集めている。なぜそこまで高価な箒が、実用品として売れるようになったのか。岩手県九戸村で唯一の製造元である高倉工芸を、ライターの伏見学さんが取材した――。
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高倉工芸の高倉清勝社長 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■「箒なのにどうしてこんなに高いの?」と必ず聞かれる

一番安くて1本2万円。最高額は100万円。

一体、何のことだかお分かりだろうか。実はこれ、箒(ほうき)の値段である。Amazonで検索すると、一般流通する家庭用の長柄箒は1000〜2000円程度が相場。実にその10倍以上もする。

この高級品「南部箒」を製造・販売しているのは、岩手県九戸村にある高倉工芸だ。

こんなにも高いものを誰が買うのかといぶかしむかもしれない。筆者もその一人だった。そんな心のうちを見透かしたかのように、高倉工芸の高倉清勝社長(59)は工場にある絨毯(じゅうたん)で箒の実演を始めた。

「穂先で、ササっと軽く撫でるだけでいいんです」

正直、驚いた。使用したのは、売れ筋である1本3万円の長柄箒。縮(ちぢ)れた穂先でサッ、サッ、サッと撫でるように掃くと、肉眼では見えなかった髪の毛やホコリが、あれよあれよと掻き出される。今度は毛玉のついたセーターを持ち出してきて、小型の和洋服箒で袖の部分を軽く掃くと、毛羽立ちがほどかれて毛玉は消えた。

「お客さんから必ず聞かれるのは、『箒なのにどうしてこんなに高いの?』ってこと。2万円以上する箒なので、店に置いているだけではお客さんは買ってくれない。でも、実演して、正しい使い方をちゃんと伝えると、南部箒の価値に気づいてもらえるんです」

目を丸くしていると、高倉社長は勝ち誇ったような表情で、嬉しそうな笑みを浮かべた。

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毛玉取り用に作った南部箒。岩手県九戸村の気候が生み出す「縮れた穂先」が特長だ - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■帰宅時間が遅い都市住民、マンション住まいの人に重宝されている

実際のところ、南部箒の売り上げは上々。コロナ禍に入って年間2300万円前後とやや落ち込んだものの、22年にはテレビ番組で紹介されたこともあって約4500万円に跳ね上がった。

高額な理由はいくつかある。何よりも完成までに手間ひまがかかること。箒1本作るのに最低1年以上は要する。加えて、細かなチリやホコリまでを掻き出す性能の良さ。さらに実用面だけでなく、漆や藍染、金糸を施すなど工芸品としての価値が高い点も挙げられるだろう。

購入者の大多数は国内で、帰宅時間が遅い都市の住民だという。近隣への騒音を気にして夜中に掃除機はかけづらいマンション住まいの人が多い。昨今の円安外国人観光客の再訪日などもあって、今後は海外市場開拓の余地も十分にある。まだ少ないものの海外からの注文も入るようになってきたという。

「九戸村でこの産業を守りたい」。高倉社長はこう力を込める。先祖代々続いた農業を捨てて、箒作り一本に絞った同社の並々ならぬ情熱に迫った。

■農閑期の貴重な収入源だった「箒」

戦国時代の猛将で、“豊臣秀吉に喧嘩を売った男”として名を馳せた九戸政実がかつて治めた九戸村。現在の人口は約5200人で、主な産業は農業や林業。この村の一角で高倉工芸は30年前から南部箒の生産に勤しんでいる。

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JR二戸駅から車で1時間弱。岩手県九戸村戸田の作業場は山に囲まれた小さな集落にあった - 撮影=プレジデントオンライン編集部

九戸村の冬は雪深く、農業ができないことから、元々、農閑期の収入源として箒を作って売る農家があったそうだ。その取り組みを村全体で推進しようと、60年ほど前に役場が音頭をとり、箒作りの講習会が村の学校で開かれたこともある。そこで技術を学んだのが高倉工芸の創業者、高倉徳三郎氏だった。高倉社長の父である。

ただし、あくまでもメインは農業で、箒作りは副業程度の位置付けだった。そんな家で育った高倉社長は地元の中学を卒業すると、盛岡市内の農業高校へ進学。その後、農業短期大学を出て3年ほど会社勤めをした。いったん九戸村に戻ると、今度は養豚場へ修行に出た。

「長男だからいずれは戻ってきて農家を継げと、小さい頃から親父や親戚に強く言われてきました。それが当たり前だと思っていたから、特に抵抗はありませんでしたね」

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高倉工芸。左奥にあるのが事務所、右奥に作業場がある - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■養豚業からの完全シフト

高倉社長は親の言いつけ通り農業の勉強を続けていたが、その一方で、父は箒作りに本腰を入れ始め、それが少しずつ売れるようになってきていた。

「ちょうど私が実家に帰ってきた時に、養豚と箒の売り上げが同じくらいだったんですよ。そこで、これからはどちらが伸びるかを話し合いました。養豚は競争が激しく、規模を拡大していかないと駄目だけど、箒は職人がどんどん少なくなり重宝がられるのではないかと」

家族会議の末、将来性があるのは箒だとなり、農業をスパッと辞めて高倉工芸を設立した。1993年のことである。

しばらくして商品ブランド名を「南部箒」に。今までは「絨毯箒」や「魔法の箒」といった呼称で販売していたが、客にとってはどこで作ったものかが分からない。

「私が東京、大阪、名古屋などへ販売に行くようになり、岩手で作っている箒だとアピールしたほうがいいと感じました。とはいえ、『岩手箒』よりは、南部鉄器や南部せんべいといった有名品も既にあるから、『南部箒』にしたのです」

こうして南部箒は九戸村の工芸品ブランドとして、世に出回ることとなった。

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農閑期に作られていた箒を村の工芸品に押し上げた - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■100万円の箒作りは素材集めだけで3年かかる

実家に戻るや否や、右も左も分からない箒作りにどっぷりと携わることになった高倉社長。長年勉強してきた養豚や農業とは文字通り「畑違い」の仕事に戸惑ったが、父の見様見真似で少しずつ技術を習得していった。

南部箒はどのように作られているのだろうか。

まずは、原材料であるホウキモロコシの栽培から始まる。高倉工芸は1.5ヘクタールの農地でホウキモロコシを育てる。収穫期は例年7月半ばから9月末にかけて。年によってばらつきはあるが400〜700キロほど収穫できる。

収穫後、サイズなどでいったん分類し、艶を出すために釜茹でする。それを乾燥させてから再び仕分けする。この工程が肝となる。

具体的には、穂の縮れ、長さ、太さの3基準を設け、それぞれ5段階の品質レベルで選定していく。とにかく穂先の縮れが強いものが高品質。この縮れこそが細かなチリを掻き出す秘密なのだ。100万円の箒には最高級の縮れが使われているため、素材集めだけでも3年はかかったという。なお、ホウキモロコシの縮れに欠かせないのが東北地方特有の「やませ」。この冷たく湿った季節風が良質な縮れを作り上げる。

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箱の中に大切に保管されていた1本100万円の南部箒 - 撮影=プレジデントオンライン編集部
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最高級のホウキモロコシを使った。強く縮れた素材を集めるだけで3年かかる - 撮影=プレジデントオンライン編集部

仕分けが終わると、そこから一冬かけて職人が編み上げていき、ようやく箒が完成する。

それぞれの工程において相当な手間ひまがかかるが、特に栽培作業は重労働だ。完全無農薬でホウキモロコシを育てるため、畑には雑草がどんどん生えてくるし、作物に虫もつく。それを定期的に取り除かなければならない。しかもホウキモロコシに傷がつかないよう、すべて手作業でやっている。

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事務所の近くにあるホウキモロコシの畑。刈り取りはスタッフが手作業でおこなう - 撮影=プレジデントオンライン編集部

箒作りを始めた30年前から基本的なやり方は変わっていないが、当初は種まきも手作業で行っていた。

「人の手ほどいい加減なものはないから、いっぱいまいてしまう人もいる。そうすると間引きしなければいけない。えらく金も時間もかかりました」と高倉社長は苦笑する。

人員も限られる中、とてもこんなやり方では間に合わないと機械を導入。現在は特注の播種機で種をまいている。5年ほど試行錯誤を繰り返して、ようやく安定的な栽培方法を確立した。

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訪問した時はあいにくの雨。軽トラックに刈り取ったホウキモロコシを積んでいく - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■高倉工芸だけが生き残った

ゼロからのスタートだったため、とにかく設備投資が大変だったと高倉社長。例えば、収穫したホウキモロコシを乾燥させるにも、創業時には専用の場所がなかったため、今まで使っていた豚小屋の屋根の上に並べて天日干しにしていた。ただし当然のように、雨風の影響をもろに受けるから、常に見張っている必要があった。それでは埒があかないと、資金を投じてビニールハウスを改良したような乾燥施設を作った。

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ホウキモロコシの穂先 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

そこでの乾燥が終わると、ホウキモロコシの選定作業を2カ月ほどかけて行う。

「1回では終わりません。縮れの良し悪しを何度も比べます。縮れの悪いものを外して、縮れの良いものを残し、さらにそこから縮れの強いものを絞り込んでいきます。最後に残ったものが15万円、あるいは100万円といった高価格の箒の材料に使われます」

栽培から製造までの一連のサイクルを作り上げるまで5年、10年とかかった。

かつて開かれた村内での講習会後、箒作りをしていた農家もあったが、今では高倉工芸だけ。ここまで辛抱強く続けるには覚悟はもちろんのこと、それなりの投資も必要である。そうした壁を目の前にして心が折れてしまった人たちが大半だったという。

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刈り取ったホウキモロコシを選別するスタッフ。大きさ、長さ、縮れ具合を1本ずつ確認する - 撮影=プレジデントオンライン編集部
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選別したホウキモロコシの束を脱穀機にかける - 撮影=プレジデントオンライン編集部
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年季の入った脱穀機はいまだ現役 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

ダイソンにも「勝てる」

高倉工芸では現在、年間1000〜1500本の箒を生産する。どうやって高価な箒を売っているのか。これについては、百聞は一見にしかず。実演しなければ伝わらないと高倉社長は述べる。

「必ずといっていいほど、『なんでこんなに高いの?』からお客さんとの会話が始まります。そこで、南部箒とよくある安い箒をそれぞれ使って見せると、全然違うねとなります。逆に、ただ置いておくだけではほとんど売れないですよ」

従って、百貨店での展示販売が勝負となる。実際、取材時に筆者も試してみたところ、一般的な箒は穂の部分がスカスカしているのに対して、南部箒は密集度が高いことに驚いた。ササっと掃くだけで絨毯に絡まっている髪の毛などを容易に取ることができるのだ。

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選別と脱穀を終えたホウキモロコシの束 - 撮影=プレジデントオンライン編集部
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選別・脱穀したホウキモロコシを釜茹でにする。穂先から、芯から、それぞれ十数秒ほど。ホウキモロコシはあっと言う間に鮮やかな緑色に変わった - 撮影=プレジデントオンライン編集部
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釜茹でにしたホウキモロコシをビニールハウスで乾燥させる。その後再び選別し、編上げ、綴じ作業の工程に進む。刈り取りから1年以上をかけて南部箒が完成する - 撮影=プレジデントオンライン編集部

人気家電ブランドであるダイソン掃除機に対しても、高倉社長は「勝つでしょう」と即答する。“敵情視察”のために高倉社長も約10年前、当時6万円ほどするダイソンのコードレス掃除機を購入、使用していた経験からそう断言する。

フローリングの溝に詰まったり、カーペットや絨毯に絡みついた細かなチリやホコリ、髪の毛などを掻き出すことができる点だ。それを可能にしているのが、先述した独特の縮れた穂先なのだという。

「箒、掃除機それぞれに強みはあります。たしかにフローリングの部屋であれば、掃除機を使ったほうが圧倒的に早く効率的に掃除できますが、いくら強力に吸い込んでも目に見えないホコリまでは吸い取れないものもあるんです。例えば、カーペットや絨毯には、小さなホコリやチリが潜り込んでいます。それには南部箒がいちばんです」

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縮れた穂先の特長を熱く語る高倉さん - 撮影=プレジデントオンライン編集部

取材に同行したダイソンユーザーの編集者もそれを実感しているという。実際に自宅のキッチンマットで南部箒を試したところ、掃除機をかけたマットから髪の毛や食べカス、固まったご飯の粒が次々と出てきた。

縮れた穂先がマットの表面をかき分けて、埋もれたゴミを掻き出せる。これはホームセンターで買った化学繊維の箒でも、吸引力をうたうサイクロン式の掃除機でも味わえない。南部箒と命名する前に、「絨毯箒」と呼ばれていたのもうなずける。

高倉社長がさらに強調するのは、耐久性である。高倉社長が購入したコードレス掃除機は2年半から3年ほどでバッテリー電池が駄目になって、すぐに電池切れするようになった。モーターヘッドや強モードを使用すると、さらに稼働時間は短くなってしまう。

他方、南部箒は大切に使えば20年、30年は持つ。1本の値段は確かに高額だが、圧倒的なコストパフォーマンスの差がある。高倉社長は「箒vs掃除機ではなく、お互いの長所・短所を補うことが最も良い方法だ」と語るが、筆者たちに、南部箒で絨毯を掃いて見せる表情は誇らしげだった。

■20年、30年使い続けられるからこその悩み

この耐久性は南部箒の強みであるが、作り手にとってはメリットばかりではない。商品が長持ちすると買い替え需要がほとんどなく、1世帯に何本も売るのは難しい。だからこそ、そこで痒いところに手が届くような商品開発が重要になってくる。

高倉工芸では用途別の箒のアイデアを常に検討している。そのために顧客の声にも耳を傾ける。そこから生まれた商品がペット用のミニ箒である。

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持ち手に足跡がデザインされたペット用箒。倉庫には様々な大きさの箒が保管されていた - 撮影=プレジデントオンライン編集部

「動物用の箒を作ってと言われた時に、最初は冗談を言われていると思って相手にしなかったんです(笑)。でも、何度もお願いされるものだから、じゃあやってみようと着手しました」

主に犬と猫の毛をブラッシングする箒として販売した。初年度は100万円ほどの売り上げがあって、これはいけると思ったそうだが、それ以降は苦戦が続いている。原因として、猫は特段問題ないが、犬は犬種によって毛並みが違うので、合わないことも多々あるそうだ。また、大型犬だとおもちゃだと勘違いして、箒をかじり壊してしまうことも少なくない。

ただ、意気消沈してはいられない。定番の長柄箒でもカラーバリエーションを変えたり、卓上の掃除用や洋服の毛玉取り用の箒を開発したりと、現在はおよそ50種類まで商品ラインナップを広げている。

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55万円の長柄箒。穂先の縮れが強く、密度が高い - 撮影=プレジデントオンライン編集部
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3万円台の箒もある。同行した編集者が購入し、ダイソン掃除機と一緒に愛用している - 撮影=プレジデントオンライン編集部

工芸品ではあるものの、あくまでも顧客のニーズを汲み取る努力が不可欠だと高倉社長は繰り返し強調する。

「現代の生活に合った使い方をこちらでも見つけて、提案していかないと。だからペット用にも挑戦したのです。今までの伝統をそのまま商品にしても売れませんし、消費者側を変えようと思っても無理ですよ。押し付けるのではなく、お客さんがほしいと思うものを作らないといけない。私たちがやっているのはアート作品の制作ではなく商売。使ってもらってなんぼの世界です」

高倉社長が今温めているアイデアは、すべて岩手県産の原材料で作る箒だ。地域ブランドとしてもっとアピールしたいと意気込む。

■海外展開に手応えを感じたが…

多種多様な商品展開で一世帯当たりの販売量を増やす取り組みと並行して、顧客数そのものを伸ばすための海外展開も検討する。特にエコに対する意識が高いヨーロッパではニーズがあると踏む。実際、コロナ禍前に本格的に動いたことがあった。

「フランスやイギリスなどに何度か視察へ行きました。向こうにはすぐに壊れそうな安い箒しかなく、しかも雑貨屋のような店にしか売っていませんでした。百貨店などもターゲットに、きちんと南部箒の良さを説明すれば十分いけると感じました。未開拓の市場だからチャンスはあるし、もしフランスで人気が出れば、逆輸入で日本でも話題になるはず」

実際にフランス視察の折、即席で南部箒をプレゼンテーションしたところ、その場で雑貨屋が1万5000円の商品を5本ほど注文してくれたそうだ。このことに高倉社長は自信をつけた。

ところが、タイミング悪く、箒作りに関わっていた父や叔母が体調を崩してしまったこと、コロナ禍で海外渡航ができなくなってしまったことなどが重なり、海外展開を断念した経緯がある。コロナ禍が落ち着いたことで再起を図っているが、今はまだ高倉社長が九戸村の現場を離れるわけにはいかない。なぜならスタッフを育てなければならないからだ。

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海外展開には手応えがあるが、思い通りに進められないことも多い - 撮影=プレジデントオンライン編集部

目下の課題は人材の確保と育成。現在は親族にあたる社員が1人と、地域おこし協力隊が2人。それと近所の人たちをパートタイムで雇っている。いろいろな人の手助けを借りなければならないのが実情だ。

「若い人たちが働きにくることもありますが、すぐに辞めてしまう。こんなはずじゃなかったと言って……」と高倉社長は嘆く。

確かに炎天下での農作業などは決して楽ではない。ただ、どんな仕事であれ、ハードな部分はつきものだろう。

「辞めてしまった人はもっと楽な仕事ができると思ったんでしょうね。もちろん、私に指示を出されているうちはつまらないでしょうけど、仕事をある程度任されるようになれば楽しくなるはず。5年間我慢できれば面白くなるよと伝えていましたが、ほとんどがそこまで持ちませんでした。こんなにきついとは思わなかったと。でも、きついと言っても、草取りなんて年間10日あるかないか。収穫作業も15日くらい。あとは箒作りと販売。販売は全国どこにでも行けるし、おいしいものも食べられるじゃないですか」

高倉社長は真剣な眼差しで訴えかける。若者が定着しない、後継者がいないといった、地方のものづくり現場が抱える問題がここにもあった。

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人材確保が喫緊の課題だという - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■箒作りの技術を守りつづけたい

5年後、10年後を見据えると、決して楽な状況ではない。それでも高倉社長は前を向く。

「大量生産できるわけではないから、そんなに儲かる商売ではありません。適度なニーズを確保して、ほどほどに販売する。これを継続することが大切。でも、私にとってはビジネスを拡大するよりも、この技術が廃れないようにしていくことを優先したい。そのためにはやはり人なんです」

この30年間は苦労の連続だったが、高倉社長に悔いはない。

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一度使えば南部箒の魅力に気づいてくれる。高倉さんは「きっとほしくなるはず」と胸を張る - 撮影=プレジデントオンライン編集部

「辛いことはたくさんあるけど、夢を持てば実現できることも知りました。まさか私がヨーロッパに3回も行けるとは思ってもいなかった。たとえ田舎の箒屋でもきちんと仕事をすれば、どこへでも行けるのだなと実感しました」。この思いや体験を若い人たちにも伝えていきたいし、ぜひとも味わってもらいたい。高倉社長は切にそう願っている。

九戸村から世界へ南部箒を広める――。コロナ以前に抱いていた夢を、高倉社長は決してあきらめてはいない。機が熟せば、再び海外での営業活動に乗り出すつもりだ。コロナ禍でもその準備は着々と進めてきた。ECサイトの英語版を立ち上げたところ、米国などから年に数件の注文が入っている。

「日本でも外国でも関係なく、お客さんの目の前で実際に南部箒を使って見せれば、興味を持ってもらえる自信はありますよ。特にヨーロッパの人たちは無農薬の素材で作られて、かつ長持ちする箒の特長がしっかり伝われば、きっとほしくなるはず」

今までにない挑戦を成し遂げるため、志を持った仲間とともに高倉社長は今日も最高品質の箒作りに全身全霊を込めている。

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九戸村から世界を目指す挑戦はこれからも続く - 撮影=プレジデントオンライン編集部

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伏見 学(ふしみ・まなぶ)
ライター・記者
1979年生まれ。神奈川県出身。専門テーマは「地方創生」「働き方/生き方」。慶應義塾大学環境情報学部卒業、同大学院政策・メディア研究科修了。ニュースサイト「ITmedia」を経て、社会課題解決メディア「Renews」の立ち上げに参画。
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(ライター・記者 伏見 学)