冨山和彦氏「ゲームチェンジの時代、リーガルマインドを社会全体に広げよ」、司法試験「1万人合格」論の根拠
日本航空やカネボウなど数多くの企業再生に携わり、日本の企業経営のあり方に対して、鋭いオピニオンを発信し続ける冨山和彦氏(経営共創基盤グループ会長)。そんな冨山氏は東大法学部在学中に司法試験に合格したこともあり、法曹のあり方について、強い問題意識を抱いている。
法曹養成のあり方や、司法試験合格者の数を現状の年間1500人程度から増やすべきか否かの議論について、「社会の便益の最大化を考えているのか、司法試験に受かった人たちが飯を食えるようにしたいのか、本音と建前がゴチャゴチャになって、変な議論になっている」と批判する。
「司法試験を簡単にして、どんどん弁護士になる人を増やして、ビジネスの世界で活躍してもらえばいい。1万人通せばいい。それが嫌なら、もう旧司法試験の時のように500人くらいまで大きく数を減らした方がいい」とまで言い切る冨山氏に真意を聞いた。(編集部:新志有裕)
●日本の法曹は一般人と隔絶された選民意識を持っている
冨山氏は今の法曹界をどうみているのか。次のように指摘する。
「日本の法曹界は一般の人と別格に隔絶されて、ある種のギルドを形成しているのですが、それは先進国らしくなく、後進国モデルと言ってもいい。『法曹三者は選民』のような空気感は、アメリカにもヨーロッパにもありません。僕はそれを蹴飛ばした人間なので、本当にナンセンスだと思います」
法曹養成の議論においても、そのような意識が反映されているという。
「何のためなのかがわからないんです。国民全体のことを考えている議論のフリをしながら、司法試験に受かった人の生活を守りたい、飯を食えるようにしてくれよ、的な本音があるわけです。司法試験に受かるインテリはそんな本音を出すのが嫌で、それを建前にすり替えているのでしょう。
だから司法制度改革の議論は、すごく中途半端な妥協で終わりました。社会全体の便益の最大化も実現できていないし、一方で司法試験に受かったから飯が食えるという状況も怪しくなってきて、どっちつかずになったんですよね。
でも私は、日本の社会経済の発展を真面目に考えたら、合格者1万人、あるいは短答式試験を突破した人は全員通すべきだと言っているのです」
● 社会において役立つ人物かどうかは司法試験でわかるわけがない
なぜ1万人もの合格者数を出す必要があるのか。その背景には、法曹についての捉え方の違いがある。
冨山氏自身も関わった経済同友会の2014年の提言「社会のニーズに質・量の両面から応える法曹の育成を」では、法曹の分類として、法廷実務を中心に紛争解決にあたる「最狭義の法曹」と、企業法務を専門とする「狭義の法曹」、企業や行政、福祉、教育など様々な分野でジェネラリスト的に活躍する「広義の法曹」を挙げている。冨山氏は次のように説明する。
「法曹資格を持っている人は、『最狭義の法曹』以外にほとんど関心はないでしょう。せいぜい企業法務などの『狭義の法曹』までです。ただ、今後のことを考えると、重要なのは、『広義の法曹』です。1万人通せ、というのは、『広義の法曹』を考えてのことです。
司法試験はたかだか試験ですよ。『たくさん通すとレベルが下がる』という人がいますが、社会においてその人物が役に立つかどうかなんて、試験でわかるわけないじゃないですか。
例えば、国家試験に受かったばかりの医師に自分の全命運を委ねますか。委ねないでしょう。彼らは現場で鍛えられながら一人前の医者になっていくわけじゃないですか。
だから『レベルが下がる』とは何言ってるんだ、と思います。試験をもっと簡単にして、1万人通しておけば、一番優秀な400人、500人がそこに入ってるのですからいいじゃないですか。仕事をやっていくなかで鍛えられて、選ばれて、能力が高いかどうかがわかればいいのです。
だから、司法試験というエントリー段階のセレクション(選抜)で、生涯のイグジット(出口)を保証するという話はナシだと思います。職業資格におけるイグジットは結局のところ、本人の努力と競争しかないんですよ」
● リーガルマインドがなく、政策形成や企業経営をするのは危険
では、「広義の法曹」に求められるものは何なのか。冨山氏は「リーガルマインド」だという。
「法律というのは、社会がどう規律されて、道理づけされているかという、社会デザインのプログラム用語です。『広義の法曹』は、それをちゃんとわかっているということなのです。知らないで企業経営をしたり、政策を作ったりすることは危険です。
政策も、最終的には法令と予算しかないわけですから、リーガルマインドがない人が政策を考えても掛け声にしかなりません。物事を動かす場合、ルールを変えることで動機づけて、場合によっては予算もつけないと変わらないのです。
経営も同じです。人事制度を変えて昇進昇格の基準を変えるというようなことは、ルールデザインの話ですから、法的センスがないと致命的ですし、とりわけ今みたいにイノベーションドリブンな成長モデルになってくると、結局どうゲームチェンジをしていくのかという話になります。そうなるとルールデザインセンス、リーガルマインドは極めて生産的な武器なのです。
昨今、企業で起きている性加害などの不祥事についてもリーガルマインドの欠如が背景にあります。社会通念が色んなルールの基本になっているのに、センスが鈍くて、社会通念が変化していることがわかってない。
リーガルマインドはビジネス上も決定的な意味を持っているので、法曹の独占物ではなくて、組織のリーダーにとっては必須のアイテムです。だから、『広義の法曹』を大きく増やすことに意味があるんです」
● 法学部は文系モラトリアム学部の典型例
そこまで広げていくのであれば、今の法曹ではなく、大学の法学部での教育を充実させればいいのではないか。この点に関しても冨山氏は手厳しい。
「法学部ってはっきり言って文系モラトリアム学部の典型例なんですよ。ほとんどの学生は司法試験を受けないんだからモラトリアム学部以外の何者でもない。今の大学教育の問題を象徴しています。
戦後の発展の際には、大量のホワイトカラーを作るための『ぼんやり4年間モデル』になっていたわけですが、今やホワイトカラーは絶滅危惧種になっています。AIが発達すればするほど、デスクワーク仕事はどんどん減ります。
『法学部出たけど、それがどうしたの』となってしまう。東大も含めて、もはや法学部は没落・衰退しつつあります。
法科大学院にしても、法曹界が本音と建前の議論をしている間に世の中に見放されています。受験希望者も減って、危機的でしょう。もっとちゃんと世の中に打って出ないと。そこまで追い詰められていると思います」
●法曹が変わらないならば、企業は自衛手段を考えるようになる
冨山氏は『広義の法曹』を増やすことができないならば、「旧司法試験の仕組みに戻して、合格者500人程度の『最狭義の法曹』に閉じこもっておけばいい」と指摘する。しかし、もし法曹の数を大きく減らしても、問題は起きないのか。
「そうなったら、別のものをやればいいんです。ちゃんと世の中に役立つような法知識を企業人とかアントレプレナー(起業家)に教えるプログラムをすればいいだけです。
企業も法曹のあり方を変えることに付き合っているほどの暇はないので、彼らは勝手に自衛手段を考えます。内部で育成したっていいし、海外のロースクールに行かせてもいい。戦いの舞台は世界なので、人材も日本人に拘る必要もないでしょう。そうなると国内の法曹は勝手に萎んでいくだけの話なのです。
もちろん、社会的に弱い人の権利を守るということは大事な仕事ですから、それは数の少ない『最狭義の法曹』でやればいい。でもそれはDr.コトー先生の世界ですよね。合格者500人に戻すかわりにそうすればいい。
ですが、今は優秀な人は大手の法律事務所に入ろうとしていて、そちらの方向に向かっているわけでもない。本音と建前が交錯しているので、どっちなのかはっきりしろって言いたいわけです」
● AI時代にはクライアントの心情にどう寄り添うのかが重要
冨山氏は法曹養成のあり方を考えるうえで、AIの発展も踏まえるべきだと主張する。
「あらかじめ正解があって、そこにたどりつく能力はすでに生成AIに置き換わりつつあるので、既存の判例や法令を前提にして、10人が10人同じ結論に行くものはもう要らないのです。だから司法試験はしょせんエントリー試験であって、ますます本当の能力を測る試験にはなりません。
結局、法創造能力や制度デザインのクリエイティビティを発揮することが求められるわけです。それ以外でいうと、クライアントの心情にどう寄り添うかです。優秀な弁護士は優秀な臨床心理士的な側面もありますよね。クライアントが法的手段で戦うといっても、長期的利益に繋がる方向に誘導しなければいけませんし、それはEQ(感情知能指数)の世界になります。
そんなものは司法試験では測れない能力なのです。であれば、長い時間をかけて試験に受かるような仕組みではなく、もっと早めに社会に出して、クリエイティビティやEQを発揮できるように実地で訓練をしたらいいのです」
●「この道一筋」はやめた方がいい
結局、法曹界や社会全体はどう変わっていくべきなのか。
「法曹界に限らず日本社会はとかく、ヴァーサティリティ(多用途性)が大嫌いで、『この道一筋』が大好きなんです。でも、AIによる破壊的イノベーションが起きたら、この道一筋はやめた方がいいです。
大谷翔平の二刀流も、当初は野球界のご意見番の中にも嫌う人がいましたよね。わからない人たちは嫌いなんですよ。でも、明らかにそういう時代ではないわけで、法曹についても、リーガルリテラシーがあれば、どのフィールドに行っても役に立つわけです。
私が企業再生の分野で脚光を浴びたのは、極めてヴァーサティルだったからです。リーガルからファイナンス、ビジネスまでできるから。だから、ヴァーサティリティを身に付けさせるような資格体系とか講義体系が大事なんです。
何度も繰り返しますが、司法試験にはさっと受かるようにして、その後に、様々なことを学んで生かしていく状況を作ってあげることこそが、これからの時代の正しい道だと思います」