COP28に集結した市民グループ。1.5度目標実現への戦いを呼びかけた(提供:WWFジャパン)

欧州連合(EU)の行政執行機関である欧州委員会は2024年2月、EU域内の2040年の温室効果ガスの排出量について、1990年比で90%削減という新たな目標を設定すべきだと提言した。

これは気候変動に関する政府間パネル(IPCC)がその報告書において、地球の平均気温の上昇を産業革命時と比べて1.5度に抑えるために必要だとして示した世界全体の削減目標を大幅に上回るものだ。その野心の高さは、世界をあっと言わせている。

この90%という数値がEUの正式な削減目標となるかどうかは、6月の欧州議会議員選挙後に発足する新欧州議会と欧州委員会にかかっており、予断を許さない。

しかしEUが脱炭素化政策をさらに強化することで、今一度パリ協定の下で脱炭素経済の先頭を走り、域内経済の浮揚を図るという政治的意欲があることは間違いない。その背景をひもとき、日本はどう対応するべきかについて、考えていきたい。

なぜEUの目標時期は2040年なのか?

脱炭素経済に詳しい人ならば、世界全体の脱炭素化を長期目標とするパリ協定に沿って国連気候変動枠組条約事務局に提出する次の削減目標は、2035年目標ではないかと疑問に思うかもしれない。なぜならば、パリ協定では、5年ごとに削減目標を提出する決まりとなっているからだ。現在のパリ協定での目標の2030年の次は、2035年となる。

2023年末にアラブ首長国連邦のドバイで開催された第28回気候変動枠組条約締約国会議(COP28)では、現在、各国が提出している2030年目標について、世界全体の進捗状況が評価され、結果としてまだパリ協定の長期目標達成にはまったく足りていないことがあらわになった。各国はこの結果を踏まえて、これまでの削減目標を上回る2035年目標を、2025年早々に国連事務局に提出する。

そうした中、欧州委員会は、2040年目標を打ち出した。これはEUの法律である欧州気候法に沿って、2030年の次として2040年目標が法制化されるためだ。

もっともEUでは、削減目標や施策は「炭素予算」に沿って科学的根拠をもって決められる。

炭素予算とは、今後、気候科学の観点から排出が許容される温室効果ガスの総量を意味する。地球の平均気温は大気中の温室効果ガスの濃度にほぼ比例して上がるために、気温上昇を抑えるためには今後排出できる量に限りがある。炭素予算はそうした考えに基づいている。

すなわちEUの法律で2040年削減目標が決まれば、その中間地点としての2035年目標は機械的に計算できる。したがってEUは2040年目標が決まった際には、COP28決定に合わせて必ず2035年目標も算定し、国連事務局に提出するはずだ。そして2040年目標が90%削減で合意されるのであれば、提出する2035年目標も必然的に野心的なものになる。

90%削減の科学的な根拠と実現への道筋

COP28に先立って出されたIPCCの報告書によると、気温上昇を1.5度に抑えるには、2035年には2019年比で温室効果ガス60%削減、2040年には69%削減が求められる。すなわち欧州委員会が提案する2040年90%削減目標は、世界で求められる平均的な削減量を上回る。

なお、今回の提案は、「気候変動に関する欧州科学アドバイザリーボード」の提言を踏まえたもので、同アドバイザリーボードは80%、85〜90%、90〜95%という3つの選択肢を示している。


そうした中、欧州委員会は90%削減を推奨した。これはまさにEUが脱炭素化を環境対策のみならず、巨大な産業振興策として位置づけ、そのトップを走ろうという政治的野心を示す。上の図からもわかるように、EUは温室効果ガスの排出経路を2050年に向かってまっすぐに下げていくのではなく、2040年に向けてより急激に削減しようとしているのだ。

そもそも1.5度達成のために世界全体が2050年にネットゼロを目指すのであれば、産業革命以降、歴史的に先んじて大量の温室効果ガスを排出してきた先進国は、より早くネットゼロを達成することが求められる。今回の欧州委員会の提案は、そのことをも視野に入れた提案ということになる。

また、この提案をもって、中国などの新興国にさらなる削減努力を迫っていく狙いがあるとみられる。この野心的な目標がEUで合意されれば、間違いなく世界の脱炭素化の先頭に立つことになる。

その実現のための施策として分野ごとに詳細な提案が記されている。中でもエネルギー分野における再生可能エネルギーや原子力の一層の活用、エネルギー効率の改善、エネルギー貯蔵、CCUS(二酸化炭素の回収・利用・貯留)などが目を引く。

これらの施策で2040年までに化石燃料への依存を80%減少させ、2040年以降には脱炭素化を達成できるとした。そのためにはカーボンプライシングと資金調達がEU域内の企業にとって重要であるとし、中でも輸送部門では技術的ソリューションとカーボンプライシングの組み合わせで脱炭素化を実現するとされている。これらの施策をテコに、EU域内の産業振興を進める方針が強調されている。

もちろん合意までには困難が待ち受ける。そもそもEUの「2030年に55%削減」という現在の目標自体、達成が危ぶまれている。

欧州委員会の報告によると、今のEUの削減ペースでは、2030年に51%程度までにしか削減率が届かないという。2030年に向かっての努力も足りていない現在、その10年先についてさらなる野心的な目標を目指すことが困難であることは間違いない。

右派政党が伸長、農家の反発も

さらに6月の欧州議会選挙では右派政党が議席を伸ばす可能性も指摘されており、野心的な対策の成立が難しくなる可能性もある。また足元では、脱炭素化の規制に不満を持つ農家の反発も広がっており、今回の提案でも農業分野の一部について当初の案から後退せざるをえなかった。

しかし欧州委員会の鼻息は荒い。いわく、「90%削減は、EU域内企業の競争力を向上させ、将来にわたって安定した仕事を創出し、未来のクリーンテクノロジーマーケットの開発でリードできるようになる。さらに、より強靭で戦略的な自立性を強化できる」と。

いずれにしてもEUは2024年中に2040年目標を決め、2035年目標を遅くとも2025年早々に国連事務局に提出することが確実だ。

実はパリ協定の合意に至る交渉では、削減目標の期間を5年ごとにするか10年ごとか、すなわち次の目標が2035年か、2040年かという議論が長く続き、EUと日本はその中でも10年という目標期間を支持する側であった。そのためEUがこのたび2040年目標を出したことによって、日本も2040年目標でよいのではと主張する一部の省庁幹部がいると聞く。

目標達成が10年後であれば、政権は短期的には責任を問われにくい面もあるからだ。

しかし2035年目標であれ、2040年目標であれ、少なくともIPCCが示す科学的根拠に基づいて提出することが必要だ。すなわち2019年比で2035年に60%削減か、2040年には少なくとも69%以上の目標が必要となる。

ましてや今回、EUが2040年に90%(基準年1990年)という目標を世界に先駆けて提示した今、日本が2040年目標を打ち出すにしても、69%減程度ですますわけにはいかないだろう。

なぜならば、各国の目標が正式にパリ協定での目標として認められるためには、新たに開かれるCOP会合の9カ月から12カ月前に、国連事務局に目標案を提出し、自国の経済力や責任に照らして十分な削減努力をしているという説明をしなければならないからだ。

エネルギーと環境政策の一体的な議論を

その間、世界の研究機関からの評価や他国から陰に陽に寄せられるプレッシャーに耐えうるだけの目標を打ち出す必要がある。

ましてやCOP28では、前出の科学的な進捗評価の結果として、「世界の削減努力は気温上昇を1.5度でとどめるにはまったく足りず、さらなる削減努力が必要」とされた。その指摘をいかに反映してこの目標案にしたかの説明も求められる。


日本では、まもなくエネルギー基本計画の議論が始まる。温室効果ガスの約9割が化石燃料由来である日本としては、エネルギーの選択こそが日本の気候変動対策になる。

日本では主に経済産業省資源エネルギー庁で次期エネルギー基本計画の重要な部分としてエネルギーミックスのあり方が議論されてから、環境省においてはエネルギーミックスには表立っての関与がほとんどないまま、温室効果ガス削減目標を含む温暖化対策が検討されていく。しかし、もはや経済と環境を別々に議論するやり方は時代遅れだ。脱炭素化が経済成長の源泉であることは、「GX実現に向けた基本方針」でも認められている。

ついては、ただちにパリ協定の次の目標を議論する場を省庁の壁を越えて立ち上げ、エネルギーミックスの議論を一体化して進めていくべきだ。

その際には産業界の旧来の関係者ばかりではなく、産業界でも先進的な意見を持つ団体や金融界、知見のある市民団体、労働団体などの関係者も含んだ多様なステークホルダーを意思決定の場に入れるべきだ。日本の経済発展、産業振興のためにこそ、野心的な2035年削減目標が検討されるべきではないか。

(小西 雅子 : WWFジャパン 専門ディレクター)