吉田麻也、日本代表での“傷”を告白…「史上最強と言われて勘違い」「自信と過信をはき違え」「ものすごい叩かれて病んだ」
先日まで行われたアジアカップで無念の準々決勝敗退に終わった日本代表。
日本代表として史上3位となる126試合に出場した吉田麻也もつらい経験を味わったことがある選手のひとりだ。Tokyo FMで放送されている『吉田麻也の切り替えて行こう!』で、こんな話をしていた。
「2014年ワールドカップ、コートジボワール・ギリシャ・コロンビアと同組で1分2敗という…まぁ惨敗ですね。
僕自身は3試合にフル出場しましたが…当時は僕たちも若かったという…若かったというとおっさんみたいな言い方になってしまうんだけど、イケイケだったんですよ、要は。本田も長友も内田も岡崎もイケイケイケイケイケイケ、川島永嗣もイケイケで、どんな相手でもかかってこいと自分たちならいくらでも倒せるという大いなる自信を持ちすぎて大会に挑んでしまったなというのが一番大きかったなと。
その時に大会が終わって、自信と過信をはき違えてはいけないなと本当に学びましたし、僕も含めて多くの選手が負けを受け入れるのにすごく時間がかかってしまった大会になったなと思います。今になって思えば、ものすごく大きな経験をしたと思えますが、当時はかなり野心的にこの大会に挑んだので。
それまでザッケローニ監督のもと予選も危なげなく通過したし、その後はオランダとかと対戦したんですけど、いい試合を沢山していて、手応えもあったし、色んな選手がインテル、ミラン、シャルケ、ドルトムント、マンチェスターとかいいチームに行っていたので可能性があるなと…今まで以上に可能性があるなと。ちょっと今の日本代表と似てますね。史上最強とかって言われて勘違いしていた部分もあったし、そんななかで経験不足が本大会でもろに出てしまったと思います。これも難しかった。
僕のなかではこの前年に…今は無くなってしまったんですけど、コンフェデレーションズカップがあって。そこで(W杯開催国)ブラジルに行ってるんです。
そこでイタリアと対戦して、当時はピルロとかバロテッリとか有名な選手がまだいた時なんですけど、ちょっと勝ちそうだったんですよね。途中までいい感じで勝ちそうだったんですけど、僕が後半にミスをして、そこから点につながって、どどっと逆転負けをしてしまって。あと一歩のところで大金星を逃してしまったんですけど」
「僕自身は当時ものすごい叩かれまして、自分自身もなかなかそこから…ちょっと病みましたね、珍しく(苦笑)
なんで病んだかって、もちろん自分のパフォーマンスやミスもそうなんだけど、国際大会でイタリアのような大きなチームに勝つことが目前でできなくなってしまったということと、監督自身もイタリア人でその試合にかける想いが強かったと思うので、僕を信頼して使ってくれた監督に対しても申し訳なさがすごく出て。かなりの時間引きずってしまいましたね。
だから、2013〜2014年はチームとしても過信していたし、僕もパフォーマンスが上がらずに、自チーム(クラブ)でもなかなか試合に出れなかった時期なのでかなり苦しい時間でしたが、今になって思えば、ものすごくいい経験だったし。
これは今の代表チームにも言えることだと思うんですけど、こういう経験や失敗から学ぶことは沢山あって、大事なのはここからだなと。その後、僕自身もサウサンプトンで試合に出れるようになったし、代表でも定着することができたし。だから、これから日本代表が次のワールドカップに向けて、どういう風に成長するかはすごい大事になってくるな。今の代表と当時の代表を重ねて、見たりもしちゃってますね」
アルベルト・ザッケローニ監督のもとで2011年にアジアカップを制した日本代表は、アジア王者として2013年のFIFAコンフェデレーションズカップに出場。
初戦はブラジルに0-3で敗れたが、第2戦ではイタリア相手に善戦。2点をリードする展開だったが、最終的には4-3で敗れている。また、メキシコにも1-2で敗れて3連敗で大会を去っている。
当時24歳だった吉田はイタリア戦に精神的に病んでしまったという。また、翌年の本大会では自分たちを過信しすぎたことで痛い目に遭ったというが、最終的にはいい経験になったと感じており、今の代表と当時を重ねる部分もあるようだ。