熱海は昼と夜で違った顔を見せる(筆者撮影)

一時の衰退からの復活が注目されている温泉街の熱海。熱海駅付近を歩くと、外国人観光客の姿も散見されるが、箱根のようにインバウンド需要を前面に打ち出しているわけでもなく、どこかレトロな情緒も感じさせる。平日にもかかわらず、スイーツや海鮮などを目当てにした若者たちが目立ち、行列ができている店舗も少なくない。東京から新幹線で約40分という利便性を生かし、街は活気づいているように見える。

だが、地元のタクシードライバーはまた違った見方をしているようだ。駅前で乗車すると、ドライバーの山本さん(仮名・60代)はこう嘆いた。

「外から来る人は人の多さをみて、『他の伊豆半島と違って熱海は景気がいいよね』と言われます。ですが、熱海がいいのは日中だけ。実は宿泊者は多くなく、日帰り客が大半なんです。街も小さいから、タクシーの料金も平均して1100円くらい。一番痛いのが、コロナ禍以降で夜はほとんどの飲食店が閉まってしまうこと。18時以降はほとんどの店が営業してないから、おのずと人も動かない。つまりタクシーも儲からないわけです」

この言葉が誇張ではないことは、実際に街を歩いてみてすぐに実感することになった。今、熱海に何が起こっているのか――。

老朽化が進んだ宿泊施設も


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1960年代半ばには年間530万人を数えた熱海市内の旅館やホテルの宿泊客は、2011年には246万人と半分以下に落ち込んだ歴史がある。くまなく市内を歩くと、熱海の宿泊施設は老朽化が進んだものも多く、マンションを改装してホテルやコンドミニアムとして貸し出しているものが目立っていた。

筆者が宿泊した施設の従業員によれば、オーナーが高齢化し、経営者が変わった旅館なども多いという。さらに熱海からそう遠くない箱根や伊豆といった温泉地と比べると、「以前から外国人の恩恵は小さい」とも述べる。

そんな背景もあり、旅館業は潤っているとはいえないようで、「夜の熱海は死んだ街になってしまう。わざわざ泊まる、という温泉地ではなくなりつつある。移動手段がないから地元民ですら夜は動けないんですよ」とも明かした。

実際に、駅前の飲食店等は、18時をメドに昼間の喧騒が嘘のように一斉に閉店していく。

駅から20分ほどに位置する繁華街「銀座商店街」は、近年出店された観光客向けの人気店と、地元民から愛される老舗がミックスされた場所だ。スナックやクラブ、ショーパブなどが集中し、いかにも温泉街というノスタルジーな空間で、小粋な料理屋や寿司屋、居酒屋などが並ぶ。しかし、20時頃に訪れると営業している店を探すのが困難なほどで、ほとんどの店の灯りは消えている。ようやく見つけた店に入ると、店主は遠い目を浮かべた。

「この辺は熱海の中心で、昔はみんな17時頃になるとソワソワしだして、早い時間から飲み始めるくらい地元の人も酒好きの人が多かった。それが4、5年前からどんどん店が早くに閉まりはじめた。飲食店が空いてないから人も来ないし、人が来ないから店も開けない。賑わっているのは観光客相手の安価な店だけですよ。それも早い時間に閉まっちゃうから。店主たちも高齢化し、後継者もいないから、店を続ける気力がなくなっちゃうんだよ」

タクシー利用は近距離がメイン

熱海は比較的コンパクトな街で、観光なら徒歩での移動も十分に可能だ。しかし、急勾配の坂が多く、徒歩だけでの移動となるとかなり労力が必要となる。そのため、市民の足としてもバスやタクシーの需要は大きい。

現在、熱海市内には約220台のタクシーがある。しかし、夜になると稼働するタクシーの数は極端な落ち込みをみせる。熱海駅のタクシー乗り場を訪れると、昼間は待機を含めると10台ほど確認できたが、19時頃にはわずか1台となっていた。51台と市内で最大規模のタクシーを運行する「小形タクシー」代表の渥美好永さん(84)が解説する。

「熱海は坂道が多く、タクシーは近距離の乗車回数を多くこなすような営業になります。利用者の約6割が地元の方で、日中に集中しています。ウチも夜間は10台を切るほどしか車を出せず、夜がほんとうに動かない。コロナ前までは夜も動いたんですが、今はそうなってしまった。結局、店が開いてないから人も動かず、タクシーの乗務員も働きたがらない、となってしまっています」


夜の早い時間帯から商店街は閑散となる(筆者撮影)

熱海が若者から人気の観光地として復活したのは、行政の熱意によるところが大きい。テレビを中心としたロケ地の誘致に注力し、ほぼ無償で制作協力を行うことで、熱海の名前の露出を増やしていくことに腐心した。

実際に筆者の知人のテレビ局ディレクターも「困ったら熱海」というほど、業界内でもロケ地として使いやすい場所になっているという。インバウンド頼みの観光地が多い中で、国内の観光客に訴求する広報戦略は十分な成果を生み出している。

ただ、長年宿泊業も営んできた前出の渥美さんは、熱海という土地柄が、観光客を宿泊に結びつけることを難しくしているとも感じている。

「もともと熱海は外国人観光客が多くなくて、それは今でも同様です。国内の宿泊者に関しても、以前は花火大会の際に多くの人が宿泊してくれましたが、今は日帰りの人が本当に増えました。観光は根幹産業ですが、夜が動かないから伸ばせないというジレンマを抱えている人はたくさんいます。しかし、個人事業主がほとんどで、後継者がおらず営業できないからどうしようもない、という面もあります。

タクシー事業を運営していると、そんな街の事情が嫌でも見えてきます。熱海は静岡県の中では比較的ドライバーの営業収入は多い地域で、最近はドライバーも少し若返り傾向にあります。それでも、夜間の収入が上がらないと長くは続きません。そういう強い危機感は持っていますね」

土石流災害が残した傷跡

もう1つ見逃せないのが2021年7月にこの地を襲った、死者23名と甚大な被害となった土石流災害の影響だ。移住先としても人気を集めていた熱海だが、天災以降、その勢いは鈍っているという声もあった。地元の不動産業界関係者がこう明かす。

「2017年頃から熱海の不動産業は好調で、分譲マンションや一軒家も問い合わせが相次ぎ、コロナ禍では東京からの移住者が特に目立っていました。ところが、あの災害報道で潮目が変わります。正確には、伊豆山周辺で起きた災害でしたが、報道では『熱海』と出していた報道も少なくありませんでした。それで街が危険だという認識を与えてしまった面があります。昨年頃からようやく転入者数や不動産価値も回復傾向にありますが、勢いが鈍化したことは間違いありません」

被災地周辺は現在も復旧作業が行われるなど、いまだ傷跡が残っている。当時からタクシードライバーとして災害と向き合っていた前出の山本さんは、「不謹慎だけどね」という前置きしたうえで、こんなことも話していた。

「皮肉なことだけど、被災した直後が一番タクシーの売り上げは多かった。特にマスコミ各社が何日もタクシーやハイヤーを貸し切っていたから、タクシー会社の懐は潤ったんだよ。時々伊豆や箱根に行ってほしいというお客さんや貸し切りの人はいるけど、それ以外の高単価の乗客はロケなどに来るマスコミばかり。昔のように飲食や呑み屋が元気を取り戻して、地元の人でも賑わってくれないと、我々としてはどうしようもないね」

観光地として、そして移住先としても人気を取り戻した熱海だが、タクシーや宿泊業の声を拾うと、地方都市の構造的な課題に直面していることもまた現実なのだろう。活気を取り戻した温泉地のドライバーにとって、苦難の時期は続いている。


昼は多くの人で賑わうが……(筆者撮影)

(栗田 シメイ : ノンフィクションライター)