友達からもらったチョコレートを受け取り、泣き止んだ幼稚園時代の息子(べっこうあめアマミさん作)

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 ライター、イラストレーターとして活動するべっこうあめアマミさんは、知的障害を伴う自閉症がある9歳の息子と、きょうだい児(障害や病気を持つ兄弟姉妹がいる子ども)の5歳の娘を育てながら、発達障害や障害児育児に関する記事を執筆しています。

 息子は食べることが大好きで、中でもチョコレートが大好物。言葉を話せませんが、「チョコ」という言葉をかなり早い段階で覚えていたのではないかと思います。今回は、息子とチョコレートにまつわるエピソードをご紹介します。

友達からもらったチョコを記憶

 現在は特別支援学校に通う息子が、幼稚園に通っていた頃のことです。幼稚園の帰りに、息子の友達から小さな一粒のチョコレートをもらったことがありました。それは一口で食べられるような小さな包みでしたが、園内で食べるのはよくないと思い、私はバッグにしまって息子と幼稚園を後にしたのです。

 しかし、その日は幼稚園の帰りに立ち寄る場所がありました。立ち寄った先で用事を済ませ、そこで出会ったママ友と雑談が始まった頃でした。息子が急に、大きなかんしゃくを起こしたのです。

 息子には知的障害を伴う自閉スペクトラム症がありますが、穏やかな性格ゆえなのか、普段は外でかんしゃくを起こすことなどほとんどありません。だから、私はすっかり油断していたのでした。

 泣きながら、大声を出し続ける息子。どんなになだめても泣き止まず、このままでは家に連れ帰れないのではないかと途方に暮れました。

 しかしそのとき、私の頭にパッとひらめいたことがありました。

「幼稚園でもらったあのチョコ…」

 もしかしたらあのチョコを欲しがっているのではないかと思い、息子に渡してみると、不思議なことに、息子の態度が一変したのです。ケロっとおとなしくなった息子は、おいしそうにチョコレートを食べ、すんなり手をつないで家に帰ることができました。

好きなものほどよく覚えている

 このチョコレートによる息子のかんしゃく事件は、私にとって印象的な出来事でした。その理由は2つあります。

 1つは、息子は何に対しても執着が薄く、割と「まぁいいか」と流してこだわらないタイプだったので、そんな息子がここまでチョコレートに固執したのが意外だったことです。

 もう1つは、ちょっとしたさりげないやりとりだったにもかかわらず、息子が「チョコをもらった」ことを理解し、ずっと覚えていたのが意外だったことです。

 重度知的障害がある息子は、いろいろなことを認識したり、覚えていたりすることが苦手で、発語もありません。それにもかかわらず、「私が何かを受け取り、それがチョコレートであると分かっていて、ずっと覚えていた」というのは、すごいことだと思いました。

「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、人は誰しも、好きなことほど学びが早く、よく覚えているものです。それは重い障害がある息子も同様なのだと思いました。

 そして、息子がかんしゃくを起こしたタイミングを考えると、私とママ友の様子や話す内容もうっすらと理解し、「このままではいつチョコを食べられるか分からない」と危機感を募らせたのかもしれません。

 母の雑談を止めて、自分の望みのチョコレートをたぐり寄せた息子。実によく考えた行動だと思うのです。

嫌いなことには気が進まない息子

 チョコレートに関する出来事ではこれほど高い理解力を示した息子ですが、すべてのことに対して同じようにできるわけではありません。

 代表的な例としては、トイレです。息子は食事に関しては、これまで比較的困ることはなくできるようになってきたと思います。偏食というほど食べる物に偏りがあるわけでもないですし、スプーンや補助箸などの食具も上手に使います。

 しかし、トイレに関することは、ずっと難航してきました。トイレに行くのが嫌で、「トイレに行こう」と呼び掛けてもなかなか立ち上がらないこともしばしばです。

 できるだけシンプルに、「トイレ」と単語だけ言って顔をのぞき込んで誘ったり、絵カードで示したり、主に言葉や発達に遅れがある人を対象としたコミュニケーション方法で、発声と一緒にジェスチャーをする「マカトンサイン」でトイレを示したりしても、分かっているような、分かっていないようなそぶりを見せます。

 お風呂に入るのも面倒くさいようで、同じような方法で何度誘っても来てくれないことがよくあります。本当に分からないのか、分かっているけれど嫌だから無視しているのか、本当のところは不明ですが、興味がないものや嫌なものに関しては、なかなか理解が進みません。

会話の中から言葉を拾っている

 言葉を話せない息子のような人は、一見、言葉そのものを理解していないのではないかと思う人もいるかもしれません。

 しかし、発語と言葉の理解は別物です。

 先述のいくつかのエピソードでお伝えしたように、たとえ話すことができなくても、内容によっては理解していることもあるのです。

 例えば、息子はチョコレート以外にも、食べ物に関しては非常に理解が早いです。話の中で食べ物に関する単語が出てくると、パッとこちらを向いたり、急いでおもちゃを片付けて椅子に座ったりするのです。

 とはいえ私も、言葉を話せない息子の本心は分かりませんし、意思疎通がうまくいかないことが続くと、「何も分かっていないんじゃないか」と思ってしまうこともあります。

 しかし、発語がない人でも会話の中から言葉を拾い、自分が好きなことや分かることから物事を理解しようとしていること、周囲の様子をよく見ているということは、もっと知られていってほしいと思います。