なぜ、人はリボ払いをしてしまうのか…(写真:shirosuna_m/PIXTA)

クレジットカードの毎月の返済額を一定額にできる、リボルビング払いという返済方法。利便性の一方で、利息が膨れ上がって返済に困るケースもあり、ネット上ではこの支払いを選択した者を「情弱」と揶揄する風潮も存在する。

確かに蓄財の観点では合理性に乏しい返済方法ではあるが、「よく知らずに使ってしまう」といった事例も存在する。そして、自分はしていなくても、パートナーやわが子がしないとも限らない……。また、周囲に相談できないことで、返済額が大きくなってしまう者もいる。それが現実だ。

そこで、本連載ではリボ払い当事者の金銭感覚を批判するのではなく、むしろ彼らに寄り添い、詳しく話を聞いてみたい。その結果、「なぜ、人はリボ払いをしてしまうのか?」を深く探れると思うからだ。

リボ払いの無間地獄に堕ちて…

「まさか、自分が多重債務者になるとは思ってもいなかったですね。一歩間違えたら破産寸前のところまで来ていたわけですから。でも、酒とタバコはやっても、ギャンブルには手を出さなかったのに、こんなにお金というのは足りなくなるものなんですね。そう考えると、私以外にもクレジットカード(以下、カード)で困っている人は、わざわざ周囲に言わないだけで、たくさんいると思いますよ」

都内の広告代理店に勤務する佐々木和也さん(仮名・33歳)は現在、いつまでも終わらないリボルビング払い(以下、リボ払い)の無間地獄に堕ちている。

リボ払いとは「クレジットカードの利用金額や利用件数にかかわらず、あらかじめ設定した一定の金額を月々支払う方式」(一般社団法人日本クレジット協会ホームページから引用)である。通常の1回払いとは違って利息を支払わなければならず、カードの利用がない月でも支払いが発生してしまい、結果的に支払い総額が雪だるま式に増えていく方式だ。

「毎月、返済のためにとにかく現金が欲しかったので、大人数での飲み会のときは自分が先陣を切ってカードで支払って、みんなから現金を徴収していました。なぜそんなことをするかというと、現金を徴収して、それを自分の銀行口座に入れることで、返済日までに一時的に残高を増やすんです。そうしないと、リボ払いの返済(=引き落とし)に間に合わないんですよ。とはいえ、自分の場合は複数枚のカードでリボ払いをしているため、そこを乗り切っても1〜2週間もすれば新たな引き落としがあるわけですが……」

まさに自転車操業。聞けば、佐々木さんは最大で8枚のカードを所持していたこともあったという。

そもそもクレカを持つまでの経緯

一体なぜそこまで持っていたのかは後述するとして、そもそも彼がカードを作るきっかけとは何だったのだろうか? 「こんな金銭感覚の人だ、なにも考えずに作ったに決まっている!」と思う読者諸氏もいるかもしれないが、佐々木さんの場合はやや不幸な経緯だったようだ。

「学生時代にバックパッカーとしてアメリカ横断旅行をしていたのですが、あるときひどい腹痛に襲われ、現地の病院に緊急入院することになりました。ただ、当時は学生だったので最低限のお金しか持ち合わせておらず、横断旅行のプランを変更しなくてはいけなくなるほど、治療費が高くついてしまいました。

そのときに『支払いはカードでもいいんですよ』と言われたことが印象に残って、『海外旅行するんだったらカードのひとつでも持っていないとな』と思ったんです。そして、帰国後に銀行の待合室で販売員に『カード作りませんか?』と声をかけられたのをきっかけに、初めてカードを契約しました。学生だったので限度額は30万円程度です」

クレジットカードには、海外旅行保険が付帯している場合がある。そういう意味でも、佐々木さんがカードを持ったのは、合理的な選択と言えるだろう。

こうしてカードを手に入れた佐々木さんだが、当初はカードの使用自体が少なかった。その頃はまだキャッシュレスの時代ではなく、現金払いが主流だったこともあり、カードを使うのはネットショッピングのときぐらいだったのだ。そのため、月々の返済額もそこまで多くはなかったという。

ただ、友人の一言が、彼の運命を大きく変えることになる。

「金欠の学生だったので、カードの返済日が近づくと1日1食になり、友達との遊びの約束もキャンセルしていました。そんなときに友達から『カードは3回の分割払いがオススメだよ』と言われて、返済額が高くついた月は大きい買い物を分割払いにするようになりました。思えば、ここが地獄の始まりだったのかもしれません」

大学生より新卒は、金銭的に厳しいケースも?

大学卒業後は、今も勤めている広告代理店に入社した佐々木さん。将来的には高い年収も約束されている企業だが、入社した頃は金銭面で困ることが増えた。大学時代に、アルバイトに励んでいた結果、金銭感覚が新卒には過大になっていたのだ。

「学生時代はシフトに入り放題の飲食店でバイトしていたので、働けば働くほどお金は稼げたんです。それが、社会人になるとどれだけ働いても1〜2年目は手取り25万円前後。しかも、残業代で荒稼ぎする者がいたせいか、すでに『みなし残業』が固定給に含まれていました。

そんな状況下で、当時は新たな営業先を開拓するために、積極的に飲み会、セミナー、交流会に参加していました。もちろん、交流会やセミナーは会社の経費で落ちますが、そこで出会って仲良くなった人たちと飲むときは割り勘なので、交友関係は増えてもお金は減る一方……。あと、会社の先輩たちから飲みに誘われることも多かったのですが、みんな奢ってくれないんですよ(笑)」

飲み会代を自己投資の範疇に含めるかは、人によって考えが分かれるところ。とはいえ、営業職では仕方ない面もあるだろう。

こうして、給料日の数週間前には手持ちの現金が消えるようになった。また、飲み会がない日でも、生きていれば飲食代はかかる。そこで、数百円の買い物ですらカードで支払うようになった。

「当時はそれだけ現金がなかったということなんです。社会人2年目からは住民税の支払いも始まりますしね……。どんな小さな買い物でもカードが使えるお店では『クレジットで』と言っていました。しかも、返済額が多かった月は分割払いに変更して(笑)。ただ、その頃に友達に勧められてもう1枚カードを作ったのですが、それにキャッシング機能が付帯されていたんです」

「キャッシング」とはカード付帯のキャッシング機能などを使用して、現金を借り入れることができるサービス。インターネットやコンビニ・銀行ATMなどから、その場で現金を受け取ることができるのだ。

分割払いを経て、リボ払いに手を出す…

カードの場合は利用可能額の範囲内から借り入れすることができ、またショッピングの利用可能額とは別の場合が多い。佐々木さんの契約したカードのショッピング利用額は10万円、キャッシング利用可能額は20万円程度だったそうだが、常に金欠だった佐々木さんにとってみれば、まるで「打ち出の小槌」だった。

しかし、基本的にカード付帯のキャッシング機能はリボ払いになるため、そこから佐々木さんのリボ払いは始まった。

「手元に現金がなくてもキャッシングでなんとか生き延びられたので、もう『未来への借金』だと自分でも呆れながら、お金が足りないときにはバンバン借り入れしていました。リボ払いの仕組みもよくわかっておらず、毎月徐々にキャッシングできる額が減っていったので、『これが利子なのか』と思うぐらいで、借金が膨らんでいくイメージが湧かなかったんですよね」

結果、毎月2枚のカードを利用可能額の限界まで使い込むようになり、その頃には給料が入ってもすべてカードの返済に消えてしまった。現金はなくなるが、返済によってカードの利用可能額が復活すると、今度はすべての買い物の支払いをカードで賄うという、文字通り自転車操業となった。

「いよいよ、毎月の給料よりも返済額のほうが上回ってしまったんです。つまり、毎月20万〜30万円程度の返済になってしまいました。2枚目のカードのキャッシング機能も、リボ払いで返済を先送りにしていたため、借りられる額が2万円程度になっていました」

そして、リボ払いの無間地獄へ

そんな状態を打破するために、佐々木さんがとった方法は新たにカードを作ることだった……。当然、キャッシング機能が付帯しているものである。


(本人提供)

「再びキャッシングができるようになったので、また現金が手に入って生活が安定するようになりました。そうすると『お金に余裕ができた』と勘違いしてしまい、以前より飲み会に参加するようになります。

さらに、後輩もできたので『ほかの先輩たちとは違うぞ』と、格好をつけたくて飲みに誘ってはいつも奢るようにしていました」

こうして、自ら「多重債務者」と形容する状態に陥った佐々木さん。こうなってくると「親の顔が見てみたい」と叱りたくなる読者諸氏もいるかもしれないが、聞けば佐々木さんの親も同じように借金癖があった……というわけでもないようだ。

後編では、佐々木さんの幼少期の話を掘り下げつつ、数年に及んだリボ払いの無間地獄の意外な顛末を綴っていく。

(千駄木 雄大 : 編集者/ライター)