日本では6割の夫婦が陥るといわれるセックスレス。「みじめな姿はだれにも見せたくなかった」と話すのは、若き日にレスに悩んでいたという主婦の由佳さん(仮名・50代)。単身赴任先で夫の浮気が始まり、由佳さんは義理の母親の介護に奔走しながらワンオペでの子育て…。離婚するまでの壮絶な体験を振り返っていただきました。

育児と介護を押しつけて、単身赴任先で浮気する夫

育児と義母の介護を押しつけられ、毎月渡される生活費はたったの「5万円」。専業主婦を続けるのは難しく、働きに出ることにしました。

もはや夫との夫婦生活をなんとかしたいというよりも、生活のためにお金を稼がなきゃ!という心境でしたが、幸い看護師の資格があったのですぐに近くの病院への就職が決まりました。

●同居する義母と性格が合わなかった…

義母との同居は、義母の腰が完治してからも続きました。もともと義母が1人で住んでいた家を売り払い、そのお金は義母のお小遣いに。義母も夫と同様、生活費を出すという概念が希薄な人でした。

けれど、お金のことよりも辛かったのは、性格が合わなかったことです。とにかく食事の時間に対するこだわりが強い人で、19時ぴったりに食事の準備がととのっていないと、茶わんとお箸を持って「私の食事はどこですか?」といやみを言うのです。

幼稚園に通う長女のケアと病院勤めだけでもいっぱいいっぱいなのに、毎晩、義母の食事の時間にも神経を使う日々。偏食もひどくて、「スーパーのお総菜は味が濃いからいやだ」「ネギが入っていると気持ちが悪くて食べられない」などと言って、手づくりの食事を強いてきました。

この当時は、“嫁とはこうあるべき”という時代的な風潮もあり、私ががんばればなんとかなると自分で自分に言い聞かせながら過ごしていました。今みたいにSNSもないから愚痴をこぼす場所もないし、こういうものかと半ばあきらめていた状況です。

●単身赴任先から帰ってこなくなった夫

そして名古屋へ単身赴任していた夫はというと、最初の頃は月に1度は自宅へ帰ってきていたのですが、だんだんと2か月、3か月と帰ってくるスパンがあいていきました。帰ってきたからといって、子どもと積極的に遊ぶわけではないし、義母の世話をするわけでもないし、“亭主元気で留守がいい”とはよくいったものだなぁと思っていました。

そんなある日、夫の浮気が発覚。もともとの異性にだらしのない部分が名古屋で出てしまったんでしょうね。

●単身赴任のアパートから次々と出てくる浮気の痕跡

娘の幼稚園の休みを利用して、一緒に単身赴任先の部屋を訪問したときのこと。夫が1人で暮らすアパートのなかは、自分で一生懸命に掃除をしたつもりなんでしょうが、女性の痕跡だらけ。

夫は眼鏡なのに洗面所の奥にはなぜかコンタクトレンズの洗浄液がしまわれていたり、鏡の裏にはホコリをかぶったヘアゴムが落ちていたり…。この部屋に通っている女がいるんだなと思いました。

その日の夜、夫がお風呂に入っている間にカバンの中身を調べたところ、手帳のなかに挟まっていた愛人とのツーショット写真を発見しました。ショックというより、中学生みたいにこんなものを大事に持ち歩いているのか…という呆れの感情でいっぱいになりました。

「浮気されたみじめな女にはなりたくない」という決意が私を支えた

私とはレスなのに、夫はよそで女と遊んでいたんだと思ったら、心が“無”になりました。ショックや絶望の気持ちはなく、比較的冷静でいられたのは、写真で見た相手の女性が私から見てぜんぜん魅力的とは思えないタイプだったからです。

夫はクズだし、こんな女のせいで自分がみじめな存在になり下がりたくないと思いました。

●私が離婚することに迷わなかった理由

まさか自分がこんな安っぽいドラマみたいな状況に陥るなんて…。いったいどうしたらいいのか客観的なアドバイスが欲しくて、行政が主催している離婚問題を取り扱う無料の勉強会や相談会へ参加するようになりました。するとそこにいたのは、夫からの暴力や知らぬ間につくられていた借金に悩む人、そして私と同じように経済的なDVや夫の女性問題に苦しむ女性たち。

彼女たちの話を聞いていて気がづいたのは、すごくひどいことをされているのに、まだ夫を好きという気持ちが残っていて離婚に踏みきれないということ。

そのような女性たちの話を聞いていたら、私自身、子どもを1人で必死に育てて、義母の介護までして生活費5万円しか渡されず、たりない分は自分で働きにでてやりくりしているのことの異常さを自覚したんですよね。冷静に考えたら、なんでこんなに我慢をしていたんだろうと不思議になりました。

このような状況で女遊びをしている夫と結婚生活を維持していく理由なんて1つもありません。私にはもう、夫に対しての愛情はひとかけらも残っていませんでした。

●レスだったからこそ、夫をますます嫌いになれた

さんざんやりたい放題やっていたくせに、いざ離婚という話をしたら、夫は「絶対にいやだ」といって受け入れてくれませんでした。そりゃそうですよね、月5万で家のことをなにもかもやってくれる人なんて、そうそう見つかりませんから。私に対して愛があるような調子がいいことを言っていましたが、もうこのフェーズにくると心が揺れることすらありませんでした。

ずっとレスだったのもある意味よかったのかもしれません。行為で情が沸いたら、ダラダラと関係が続いてしまいそうな気もしますし。浮気については決定的な証拠まではつかめなかったので、本人は最後まで認めず。

最終的には10年間の別居をして、調停にかけて、やっと離婚に至りました。私はその間、病院勤務以外にも、子どもを育てるためにヤクルトの配達やスーパーのレジ打ちなど、時間があいたらできる仕事はなんでもして、とにかくお金を稼ぎました。経済的な自立をすることが、あの夫から逃れるいちばんの近道だと思ったからです。

●レスでもキレイでいられる

そして50代になった今、シングルマザーで子どもを育て上げた話をすると、周りの人には必ずびっくりされます。ずっと精神的にはボロボロでしたが、私は苦労が顔に出ないタイプだったのがかえってよかったのかもしれません。夫の浮気相手の顔を写真で見たあの瞬間から、とにかくみじめな女になりたくないというプライドが私自身を奮い立たせていました。

“セックスをすることがキレイの秘訣”という人もいますが、私は自分の経験から、女性もしっかり働いて、男に頼らずお金のゆとりを持つことのほうが大事じゃないかなと考えています。

そして今では社会福祉士の資格も取り、あのときの私と同じように八方ふさがりな結婚生活にぶち当たっている女性たちのサポートをする仕事に就きました。還暦を前に、縁あって真面目で優しい男性と再婚もできました。もう子どもも独立しているのでお金が必要なわけではありませんが、自分に与えられた使命だと思って今の仕事に打ち込んでいます。

お金の問題や浮気などで苦しむ女性に出会ったとき、私がいつもかけている言葉は「がんばれば逆転できるよ」ということ。私の辛い経験もきっと無駄ではなかったと信じているし、仕事を通して、だれかの役に立てればいいなと願っています。