ロッキン最終日に発表される予定だった次回開催地が、NHKによって「ネタバレ」。ロッキン擁護派とNHK擁護派が、論争を繰り広げています(出所:「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2023」公式サイト)

野外音楽フェスティバル「ROCK IN JAPAN FESTIVAL(ロック・イン・ジャパン・フェスティバル、通称ロッキン)」をめぐるニュースをきっかけに、SNS上では「報道のあり方」が議論されている。

今年のロッキン最終日の8月13日に発表される予定だった次回開催地が、NHKによって「ネタバレ」されてしまい、公式発表まで報道を待つよう求めていたロッキン側が抗議。ネットユーザーも巻き込み、「約束を破るな」「配慮不足」と非難するロッキン擁護派と、「取材で得た情報を報じるのは当然」と主張するNHK擁護派が、論争を繰り広げている。

ネットメディア編集者となって10年以上、「情報の扱い方」と向き合ってきた筆者からすると、この応酬は「雑誌とニュース報道の温度差」を強く感じる事案に思える。そこで、今回のコラムでは、「『ニュースバリュー』の捉え方の違い」「『情報統制』や『忖度』の捉え方の違い」「カルチャー誌と報道機関の『伝え方』の違い」という3つの観点から、この出来事を考察してみたい。

今回の騒動の経緯

ロッキンは2000年、音楽評論家で編集者の渋谷陽一氏が立ち上げ、現在も総合プロデューサーを務めるイベントだ。国営ひたち海浜公園(茨城県ひたちなか市)で毎年開催されていたが、新型コロナウイルスの感染拡大によって、2020年から2年連続で中止。2021年は開催1カ月前になって、茨城県医師会から「中止または延期」の検討を求められ、中止を余儀なくされたと明かしていた。

そして2022年からは、千葉市蘇我スポーツ公園(千葉市中央区)へと場所を移し、2023年も8月5・6日、11〜13日の5日間開催された。一方、今年5月に新型コロナウイルスが5類変更となり、全国的にイベント運営が緩和されたこともあり、音楽ファンを中心に「ひたちなかへ帰ってくるのか」と注目が集まっていた。

そんな中で出たのが、「『ロッキン』来年は再び国営ひたち海浜公園でも開催へ最終調整」とのNHK報道だ。NHK NEWS WEBの記事(8月9日夜配信)では、2024年は千葉・ひたちなかの2会場で開催する方向だとして、運営側の広報担当者による「確定はしていないが、現段階では最終調整しているところだ」とのコメントとともに、今年のロッキン最終日にあたる13日に正式発表される見込みだと伝えている。

ロッキン側が公式サイトで「強く抗議」

このニュースに対し、ロッキン公式サイトは8月9日、「NHK水戸放送局のロック・イン・ジャパン2024 ひたちなか開催の報道について、私たちは強く抗議します」と題した、渋谷氏名義の声明を掲載した。渋谷氏は、報道のタイミングを公式発表とあわせるよう、NHKへ要望していたものの聞き入れられなかったとし、「公式と同時に発表し、開催を祝ってほしい。僕の望みはそれだけです」と続けた。


出所:ROCK IN JAPAN FESTIVAL公式サイト

翌日には、報道を食い止めるべく、渋谷氏とロッキン事務局からNHK水戸放送局へ宛てられたメール2通(宛名は「NHK水戸市局」「NHK水戸支局」と表記)も掲載された。渋谷氏のメールでは、全国各地でのフェスや、現在の開催地である蘇我周辺との調整を行ってきたとして、「そうした約束を台無しにするリーク報道は迷惑です。もしこの報道で来年開催に障害が出たらどうするのでしょう」と問いかける。

渋谷氏は、茨城県医師会の要請を念頭に置いてか、「2021年の悪夢を思い出します。どうしてロック・イン・ジャパンは祝福された開催が茨城でできないのでしょう? とても悲しいです」と続け、NHK側の見解を求めた。事務局名義のメールでも、「茨城県医師会から伝えられた一方的な使命感による開催中止要請と同様の理不尽な圧力を感じています」と強調している。

その後、8月10日になって、ロッキン公式サイトに、NHK水戸放送局からの回答が掲載された。その文章によると、水戸放送局はロッキンの茨城開催について「音楽ファンはもとより、地域振興に与える影響」などで関心が高いとし、関係者の取材を経て「広く伝える意義があると判断」したと返答。一方で「関係者の皆様が様々な調整を重ねてこられた実情をくみ取り切れて」いなかったとも認めている。


「関係者への取材」によって情報を掴んだ経緯が書かれている/出所:ROCK IN JAPAN FESTIVAL

事務局は同日、2024年は8月に千葉市蘇我スポーツ公園(千葉市中央区)、9月に国営ひたち海浜公園(茨城県ひたちなか市)で、それぞれ5日間ずつ開催すると発表した。

なぜNHK擁護派がいる? 重要な「3つの論点」

ロッキン公式サイトが、一連のやりとりを掲載したことにより、音楽ファンのみならず、多くのネットユーザーの注目を集めている。NHK側を徹底批判する人もいれば、ロッキンの主張を「身勝手だ」とぶった斬る人も見られるが(とくにメディア関係者に多い)、なぜ温度感が異なっているのか。以下、3つの論点があげられる。

・論点その1:「ニュースバリュー」の捉え方の違い

・論点その2:「情報統制」や「忖度」の捉え方の違い

・論点その3:カルチャー誌と報道機関の「伝え方」の違い

順に解説していこう。

・論点その1:「ニュースバリュー」の捉え方の違い

渋谷氏はコメント内で「そんなに緊急性のあるニュースなんでしょうか?」と綴っていた。そう言われると、数日後でも大差がないと感じる人もいるかもしれない。しかし、最初に報じたのがキー局ではなく、NHK水戸放送局だったことを考慮すると、見え方も変わってくるかもしれない。

ニュースバリューを判断する基準のひとつに、「経済効果」がある。千葉開催への変更が発表された直後、2022年1月5日の日経(日本経済新聞)電子版によると、「飲食店や交通機関を含めた経済効果は年間10億円近いとみられる」として、今後ひたちなか市や茨城県内に及ぼす経済的打撃が伝えられていた。

また、ひたちなか市内を走る、第三セクターの「ひたちなか海浜鉄道」湊線には、終着・阿字ヶ浦駅から国営ひたち海浜公園付近までの延伸計画があるが、国の延伸許可は得ているものの、コロナ禍や物価高によって施工が延期されている。ふたたびロッキンが帰ってくるとなると、延伸計画にもポジティブな影響が出てくるだろう。

こうした事情を鑑みると、もはや「ロッキン再開催」は、ひとつの民間イベントを越えた、ある種の公益性を帯びており、少なくとも茨城ローカル局である水戸放送局の「地方経済ネタ」としては、速報の価値を十分に持っていたと言えるだろう。ちなみに地元紙・茨城新聞も、10日朝に「『ロッキン』再び海浜公園に 2024年へ最終調整 茨城・ひたちなか」と、NHKの後を追う形ながら、正式発表前に報じている。

次に、「情報統制」や「忖度」といった観点から考えてみたい。

・論点その2:「情報統制」や「忖度」の捉え方の違い

今回、渋谷氏は報道のタイミングを公式発表とあわせるよう、NHKへ要望していたという。「公式と同時に発表し、開催を祝ってほしい。僕の望みはそれだけです」と、平易な文章で書かれてはいるものの、「忖度」を求めていると感じる人がいてもおかしくないだろう。

実際、あらゆるジャンルの編集部に、きょうも「情報解禁日時」が指定されたプレスリリースが届いている。とくに視聴率やPV(ページビュー)が期待できる芸能情報では、その傾向が顕著だ。1社だけ抜け駆けしてしまうと、次回から事前情報が与えられなくなるかも--といった不安から、言われるがまま従うメディアも珍しくない。もちろんこの手の事象は、雑誌などの紙媒体にも存在する。

主従関係が強固になった結果、昨今話題になっているジャニーズ問題などの温床となった側面もあるだろう。そうした業界の商慣習に、どこまでお付き合いするか。苦々しく感じている報道関係者もいるはずだ。

そもそも、ニュースサイト編集の経験から言えば、広報担当者から「最終調整」の言葉を引き出した時点で、NHKに分があるはずだと考える。また、渋谷氏はメール内で「リーク報道は迷惑」と述べているが、本来「リーク」というのは、関係者によって情報や機密が漏れる/漏らすことを指す。取材を通じて報道している今回の件は、「リーク」とは呼べないはずだ。

NHK側は、前述の初報記事で、以下のように説明している。

「9日夜、NHKの取材に対して、運営側の広報担当者は、「確定はしていないが、現段階では最終調整しているところだ」とコメントしています。」(引用:NHK「茨城NEWS WEB」

もっとも、関係者から「漏れた」情報を得たうえで、広報に改めて「取材した」結果、ロッキン側が「リーク」と表現した可能性はある。

カルチャー誌と報道機関は「伝え方」が違う

と、ここまで読んで「筆者はNHK擁護なんだな」と思う読者もいるだろうが、ロッキン側の心情も、まったく理解できないわけではなかったりもする。その理由が、今から述べる「カルチャー誌と報道機関の『伝え方』の違い」という3つめの論点だ。

・論点その3:カルチャー誌と報道機関の「伝え方」の違い

カルチャー雑誌を源流としているロッキンと、報道媒体であるNHKでは、そもそも「情報との向き合い方」が異なっている。

ロッキンは、名前からもわかるように、渋谷氏が立ち上げた音楽雑誌『rockin'on(ロッキング・オン)』『ROCKIN'ON JAPAN(ロッキング・オン・ジャパン)』の流れをくんでいるイベントだ。雑誌、とくにカルチャー誌は「ストーリーを紡いで、ひとつの時代をつくる」ことが、ひとつのアイデンティティーである。もし過程ではなく、結果に価値を求めるのであれば、「未完成」のまま打たれる速報は、積み重ねてきた世界観のを一気に崩しかねない障壁となる。

事実、NHKに対する抗議文でも、渋谷氏は「本当にフェスを盛り上げるなら同時発表の祝祭感を作って欲しかった」と求めている。そのほか、抗議文やNHK水戸放送局への依頼メールでは「非常に乱暴」「とてもデリケート」「とても悲しい」「とても残念」「とてもぞんざいな扱い」「凄く時間をかけて」「とても重い気持ち」のように、副詞が多用されており、感情に訴えようとしている印象を受ける。

その反面、NHKなどの報道機関は「速報に値する、信頼に足る情報があれば、報じるのが正義」との立場だ。たとえ物語の途中でも、一刻も早く届けるべきであれば、他者の「お気持ち」よりも、「公共の利益」を優先させるはずだ。参加者や音楽ファンに向けて発信したいロッキンと、地域住民に向けて発信したいNHK(の水戸放送局)では、同じ「伝える」でも内容が大きく異なるのだ。

現実的な落とし所はどこにあった?

ここまで見てきたように、今回の事案は「『ニュースバリュー』の捉え方の違い」「『情報統制』や『忖度』の捉え方の違い」「カルチャー誌と報道機関の『伝え方』の違い」という、3つの論点が、複雑に絡み合った結果、その温度差が明確になったのではないか。それぞれに「正義」がある以上、なかなか落とし所が見つからないだろうなと、筆者はみている。

ただ、これを礎として、今後の対立防止につなげることはできる。常に「異なる正義」を意識し、他者の動きを見越した対応を行う。正義のダイバーシティ(多様性)だ。

たとえば、先に挙げた「報道の正義」を念頭に置いて、もし広報担当者が「確定はしていないが、現段階では最終調整しているところだ」といった返答ではなく、「来年の開催地について、現時点で確定している事実はない」などと返答していたら……そうなると、NHK側もうかつには報道できなくなり、異なる未来が見えていたのではないか。主催者である自分たちはもちろんのこと、関係者をも含めた情報管理の徹底を図る必要はあるが、NHKに解禁時間の統制を求めるより、ハードルは低かったはずだ。

もっとも、本音を隠した、そういった対応がロッキン的に「誠実」かはさておいて……だが。

(城戸 譲 : ネットメディア研究家・コラムニスト・炎上ウォッチャー)