サウナファンが提唱する「『インフィニティサウナ』の魅力」を解説します(写真;nunokawasan7/PIXTA)

テクノロジー、政治、経済、社会、ライフスタイルなど幅広い分野の情報を発信し、日本のインターネット論壇で注目を集める佐々木俊尚氏。

「ノマドワーキング」「キュレーション」などの言葉を広めたことでも知られ、2006年には国内の著名なブロガーを選出する「アルファブロガー・アワード」も受賞し、著書『現代病「集中できない」を知力に変える 読む力 最新スキル大全』は4万部を超えるベストセラーになっている。

その佐々木氏は、じつは毎日のようにサウナに通う「コアなサウナファン」としても知られている。

「読む力のプロ」である佐々木氏は、いま話題のベストセラー『「最新医学のエビデンス」と「最高の入浴法」がいっきにわかる! 究極の「サウナフルネス」世界最高の教科書』をどう読み解いたのか。

気鋭のジャーナリストでありコアなサウナファンである佐々木氏が提唱したい「『インフィニティサウナ』の魅力」を解説する。

「インフィニティサウナ」という新たな概念を提唱

唐突だが、わたしは「インフィニティサウナ」という新たな概念を提唱したい。


「無限」を意味する「インフィニティ」「プール」を合わせた「インフィニティプール」というものがある。

「無限のプール? なんだそりゃ」ととまどう人もいるかもしれないが、これはプールのまわりに縁取りがなく、目の前に広がっている空や海とつながっているように見える構造のプールのことだ。

派生して「インフィニティ風呂」もある。浴槽に縁取りがなく、湯が海や空と無限につながっているように感じられる風呂である。

では「インフィニティサウナ」とは何か

「インフィニティプール」や「インフィニティ風呂」のように、サ室(サウナ室)の窓に縁取りがなく海が見えるとか、そういう意味ではない。

わたしが提案したい「インフィニティサウナ」は、「視覚だけでなく聴覚や嗅覚、触覚など五感のすべてが自然とつながっているように感じられるサウナ」だ。

近年は新たなサウナブームのおかげで、自然派のアウトドアサウナが増えてきた。

たとえば、青森県の「十和田サウナ」。十和田湖のほとりのキャンプ場にあり、バレル(樽)形状のサウナは暗く穏やかである。

薪の燃えるパチパチという音以外には、静寂が支配している。

ストーブにロウリュ水をかけると、お茶の香りがサ室に立ちこめる。サ室に空けられた小窓からは、湖畔の緑とその向こうに大きな十和田湖が垣間見える

すっかり蒸し上げられてサ室から外に出れば、わずか10メートルほど先に十和田の水がある。冷たい湖に身体を浸し、木材をロープで組み立てたフィンランド製のチェアに身体を横たえると、全身が緑に染まっていく。

サ室の中から湖での水浴び、外気浴にいたるまでの動線が、じつになめらかである。1つひとつの行動のすべてが、自然と一体に感じられるように設計されているのだ。

「東北の深遠な森の中にいたら、気がついたらサウナを楽しんでいた」というぐらいに、「自然」と「サウナ」がシームレスである。

こういう体験が、まさに「インフィニティサウナ」なのである。

「古い小さな校舎」が「サウナ室」に生まれ変わる

新潟県の出雲崎町「In The Earth(イン・ジ・アース)」というサウナがある。

日本海に沿って何もない海岸の道を走り、「本当に、こんなところにサウナがあるのか?」と思わせるような小径を曲がってわずかに登ると、2階建ての古い小さな校舎がある。かつて臨海学校に使われていたという。

校舎の前に、アースバック工法で建てられたサウナ室がある。丸みを帯びて、まるでおとぎ話に出てくる「ホビットの家」のようなたたずまい

中央に電気ストーブが設置され、サウナストーンに水をかけると狭い室内は蒸気が立ちこめるが、しっくいでできた壁はまったく熱さを感じない。

ひんやりとした壁に身体をもたせかけながら、熱い蒸気を浴びる対比が最高というしかない。

摂氏10度の冷たい水風呂をくぐり抜けて外に出ると、下り坂の先に海が広がっている

長椅子に横たわって晴れた海を眺めていると、臨海学校の子どもたちが歓声を上げていた昔の風景が甦ってくるように感じる。

「自然」と「サウナ」と自分が一体になる感覚があり、これも「インフィニティサウナ」である。

フィンランドのサウナ体験には「五感のすべて」が備わる

サウナファンの間で話題を呼んでいる書籍『究極の「サウナフルネス」世界最高の教科書』によると、フィンランドの充実したサウナ体験には「五感のすべて」が備わっているのだという。

薄暗いサ室の中で、メラメラと炎を出して燃える薪という視覚。パチパチと音を立てる薪や、シューッというロウリュの聴覚。薪が焼けていく香ばしい香りや、外気浴の雨のにおい、そして夏の草いきれ。冷たい水、熱い蒸気、肌にまとわりつく湿度と温度という触覚。サ室を出て飲み干す一杯の水やお茶が、五臓六腑に染みわたる味覚


フィンランドの充実したサウナ体験には、燃える薪の視覚、シューッというロウリュの聴覚、薪が焼けた香りの嗅覚、肌にまとわりつく湿度と温度の触覚、サ室を出て飲み干す一杯の水やお茶の味覚など、五感のすべてが備わっているのだという(写真提供:こばやし あやなさん)

フィンランドの「五感のサウナ」は、日本の昭和風な伝統的サウナとはだいぶ異なっている

日本の昭和的なサウナは、「テレビを見ながら時間の経過をひたすら我慢し、熱さに耐えること」が楽しみである。

しかし「五感のサウナ」は、サ室にいるときでも全身の感覚をフルに開くことができる

「五感のサウナ」は登山の感覚にも、とても似ている

わたしは長く山に登っているベテラン登山者だが、「五感のサウナ」は登山の感覚にも、とても似ていると感じる。

快晴の高峰の稜線でも、しとしとと雨の降る森林の山道でも、シンと静まり帰った降る雪の中を歩くときでも、登山者はつねに全身で「山」を感じている。登山は五感のすべてをフルに駆使した遊びなのである。

そう考えれば、「登山」と「サウナ」は、とても相性がいいはずだ。登山をして五感で自然を感じ、その後にサウナに入って、再び五感で感じる。五感と五感の二乗なのだから、気持ちよくないはずがない。

『究極の「サウナフルネス」世界最高の教科書』にも、「サウナの前に森林浴をしよう」というアドバイスがある。サウナに入る前に、森の中を20分ぐらいも何も考えずに歩く。嗅覚に意識を集中し、苔や針葉樹や白樺の香りを楽しむのだという。

これはつまり、自然と自分との「回路」をオープンにしておこうということだ。

森林浴で自分の身体や心の中に自然がぐんぐんと入り込んできて、その状態のままでサウナ室に足を運べば、サウナと自分と自然のすべてが1つになっていくような感覚を味わえるということなのだろう。

これこそがまさに「インフィニティサウナ」ではないか。


サウナ前の20分ほどの森林浴で、自分の身体や心の中に自然がぐんぐんと入り込んでくる。そのままサウナ室に足を運べば、サウナと自分と自然のすべてがひとつになっていくような感覚を味わえる。これこそが「インフィニティサウナ」である(写真提供:こばやし あやなさん)

登山のあとのサウナには「素敵なオマケ」もある

わたしはときおり、長い登山を終えると、疲れた足を引きずりながらサウナに向かうことがある。


さっきまで壮大な針葉樹の森の中にいて、苔のにおいを身体いっぱいに吸い込んでいた自分が、いまはサ室で薫り高いアロマのロウリュの蒸気を浴びている。

山とサウナはダイレクトにつながっている

そしてもう1つ、登山のあとのサウナには素敵なオマケもある。

『究極の「サウナフルネス」世界最高の教科書』には、こう書いてある。

「サウナは、運動した後の疲労回復にも効果がある。サウナの熱が筋肉の緊張を解きほぐし、身体がリラックスするのを助ける」

そう、疲れ切った足の緊張がサ室の高温と水風呂の冷温で繰り返しもみほぐされ、足の疲れは急速に収まっていく。気がつけば足はリラックスしている。

「五感の二乗」で全身の感覚を駆使し、そして足の疲れがとれる

みなさんも、これを機会に「インフィニティサウナ」を実践されてみてはどうだろうか。

(佐々木 俊尚 : 作家・ジャーナリスト)