サッカー元日本代表の鈴木啓太さん。スタートアップ企業のCEOとしての道を歩んでいる(撮影:今井康一)

「アスリートの価値は、スポーツを通じてエンターテインメントを提供するだけではなく、自分たちの体をもとに、一般の方々の健康にも寄与できるのではないかと思いました」

そう話すのは、引退する2015年のシーズンまでの16年間を、浦和レッズ一筋で過ごした鈴木啓太さん。サッカー元日本代表としても活躍した鈴木さんは、引退後、腸内環境の解析を手掛けるスタートアップ企業「AuB(オーブ)」を創業し、腸活食品やサービス開発を手掛けるCEOとして第2の道を歩んでいる。

昨年は、京セラや大正製薬といった大手企業を引受先とする第三者割当増資によって3億円を調達。さらには、腸内フローラをケアするフードテック商品「aub BASE」は、発売から4万個を突破した。

それにしても、なぜピッチを縦横無尽に駆け回っていた鈴木さんが、腸内環境のスタートアップ企業を立ち上げるにいたったのか? 経緯を振り返る。

「調理師だった母親から、『人間は腸が一番大事』と言われて育ちました。サッカー部に入ってからも、練習や筋トレをする一方で、腸内環境を整えるサプリメントを欠かさず飲むなど、腸に気を配るようにしていました。母親が、とても健康に対してポジティブな人だったんです」(鈴木さん、以下同)

五輪アジア最終予選のアクシデント

こんなニュースを覚えていないだろうか?

2004年のアテネ五輪アジア最終予選のUAEラウンド。代表選手23人中18人が下痢を訴え、直前まで苦しでいた――。試合後、左記の事実が明かされると、スポーツ新聞各紙をはじめ大きな話題を呼んだ。この23人の中に、鈴木さんもいた。ところが、「僕は大丈夫だったんですよね」と、あっけらかんと打ち明ける。

「暑さや食事の問題など複合的な要因によって、チームメイトが体調を崩してしまいました。僕は今でいう腸活を心がけていたので、影響がなかったのかもしれません。しかし、当時はエビデンスがないわけですから、声を大にして自分がやっていることを人に教えようとは思わなかった。自分のコンディションを整える一環として、独自にやっていただけなんです」

浦和レッズ在籍時も、チームメイトに伝えることはなかったといい、「お腹にお灸をしたりしていたので、『啓太さん、お灸臭いっすよ』なんてよく言われていましたね」と笑う。

あくまで自分のため――。だが、その心境に変化が訪れる。

「2013年か2014年の頃だったと思います。サポーターと話す機会があったのですが、『もっとスタジアムに観に来てください』と伝えると、『Jリーグが始まって、もう20年以上経っている。当初40歳だった俺は今60歳を超えているんだ。スタジアムへ行くのも大変だし、身体も疲れるんだ』と言われて、ハッとしたんですね。プレーを見せることだけがアスリートの役割ではなく、見に来てくれるサポーターや、地域の皆さんの健康の役に立つことはできないかと考えるようになったんです」

健康である時間が延びれば、その分、自分の好きなことに費やす時間も増える。スタジアムに足を運ぶサポーターも増えるかもしれない。大観衆に囲まれながらプレーをすることは、選手にとってもやりがいになる。

腸内環境に目をつける

かつて、オシムジャパンで“水を運ぶ人”(献身的にプレーする選手)と呼ばれた鈴木さんは、ボールをつなぐために汗をかく役割から、健康をつなぐために汗をかくことを決意する。

目を付けたのが、一日の長がある腸内環境だった。

「サッカー選手に何ができるんだ。マネタイズなんてできないと揶揄されたこともあった」が、鈴木さんは引退する前年の2015年、アスリートの腸を研究する「AuB」を設立する。

「ちょうど”デブ菌”、”痩せ菌”の発見が世間で話題になり始めていたようなタイミングでもあったので、腸内細菌の研究分野は伸びしろがあると思いました。しかし、何から手を付けていいかわからない。話を聞くと、特徴的な被験者で調べることが、大きな発見につながりやすいと。そこで、腸内細菌を調べるために、アスリートに絞ってうんちを集めることにしました。『どれくらい集めたらいいのか?』と研究者に尋ねると、『1000検体は必要だ』と。必死に集めました」


AuB研究拠点_便から採取したDNAを保存する専用冷凍庫を完備(写真:AuB提供)

そうは言っても、今のように「腸活」が叫ばれていない時代である。「研究のためにうんちをください」と伝えても、「わかりました」と二つ返事でうんちを提供するアスリートは多くはなかった。

「僕は天邪鬼なので、最初からチームメイトである浦和レッズの選手たちに声を掛けることはしたくなかった」と語るように、あえてイバラの“うんち頂戴”の道を選んだというから、現役時代さながらの妥協しない姿勢は健在のようだ。

記念すべき第1号は、親交のあるラグビー選手、松島幸太朗選手だったという。

「食事をしていたときに、うんちをくれないかと相談しました。いきなりうんちを頂戴と言われたわけですから、彼も引いてましたよね(笑)。でも、意図を伝えると理解してくれました。もちろん、研究結果は提供してくれたアスリートにフィードバックします」

学会でエビデンスを発表

アスリートの腸内データが、誰かの健康の役に立つ――。その思いに共鳴するように、次第にうんちは集まり出す。

2018年には、国内最大級のバイオ系学会である日本農芸化学会で「アスリートと一般人の腸内環境の違い」を発表。目標だった1000検体(アスリート500人/27競技)を達成し、エンジェル投資家から6400万円の資金調達にも成功した。だが、「納得できるデータを得るまで商品化はしないと決めていました」と語るように、エビデンスを追い続けた。

「2019年が一番苦しかったです(苦笑)。資金も底を尽きかけていました。会社が潰れれば、好意で提供してもらった便検体の行き場も失う。妥協して商品を開発すべきか葛藤していた」

徹底的にこだわる。その姿を、“うん”は見放さなかった。しばらくして、大正製薬、三菱UFJキャピタルなどから約3億円の資金調達が決まると、満を持して、腸内フローラをケアするサプリメント「aub BASE」を発売した。

腸について尋ねると、鈴木さんは立て板に水のごとく説明する。体躯こそ現役時代と変わらずスマートなままだが、熱を帯びて話すその姿は、もはや“腸内博士”と呼びたくなるほど詳しい。

「ヒトの腸内には、約1〜2kgの重さの腸内細菌がすんでいます。種類にして500〜1000種類とも言われる腸内細菌は、ヒトが食べた食物を分解し吸収します」

これらの腸内細菌が集まり生態系となって腸内に存在することを腸内フローラと呼ぶが、こうした菌たちは「免疫機能にも大きく関係している」と鈴木さんは言う。


引退後もアスリート体型を保ったまま、”博士”さながら腸内環境について熱く語る鈴木さん(撮影:今井康一)

多様性が、豊かな腸内フローラを作り出す

「免疫機能の7〜8割が腸にあると言われています。腸は、幸せホルモンと呼ばれるセロトニンを作り出したり、ビタミンも作ったりします。皆さんは、なるべく体に良いものを摂り入れるようにしていると思うのですが、それを消化するは大腸や小腸ですよね?」

どれだけ品質の良い作物の種を蒔いたところで、土壌が肥沃でなければ思い描いたようには育たない。同様に、土台である腸をケアしなければ、良いものを摂取したとしても期待する効果は得られないというわけだ。

「そのためには、発酵食や水溶性食物繊維、オリゴ糖を摂ることが大事です。そのうえで、いろいろな食物繊維を摂ることが望ましい。食物繊維は食材ごとに違います。菌たちは、それぞれ好きな食べ物が違うため、いろいろな食物繊維を摂取したほうがいい。菌って、多様性が大事なんです。野菜類、海藻類、豆類、果物類、まんべんなく摂取することが、豊かな腸内フローラを作り出す」

こうした食事管理に、人一倍配慮しているのがアスリートだろう。特徴的な被験者であるアスリートの便を分析し続けた結果、次のようなことも判明した。

「アスリートと一般の方の腸内環境を比較したときに、アスリートは酪酸菌(らくさんきん)の数が、平均して2倍ほど多いことがわかりました。酪酸菌は、500〜1000種類いる腸内細菌の中で、一般の人でも全体の2〜5%ほどを占めるマジョリティな菌です。

ところが、アスリートは平均で5〜10%ほどを占めていることがわかった。そして酪酸菌は、短鎖脂肪酸という有機酸を作り出すのですが、この短鎖脂肪酸は持久力や疲労回復にかかわることがわかっています。便を調べるとさまざまなことがわかってくるんですね。必ず役に立つものですから、ヒトの便は“茶色いダイヤ”なんですよ」

競技ごとに腸内環境の特徴が異なる

どうしてアスリートは、私たちより体を動かすことができ、疲れ知らずなのか? 絶え間ない日ごろの練習もあるだろうが、腸内環境がもたらす好循環もあるのではないか――。こうした疑問に答えるべく、AuBは香川大学などとタッグを組み、共同研究に取り組んでいるという。驚くことに、腸内細菌の種類や数、構成データを学習するAIシステムまで開発した。

「アスリートの腸内環境の解析データをAIに読み込ませると、サッカー選手か否かを85%の確率で見分けられます。ラグビー選手か否かも80%の割合で判別できます。つまり、競技ごとに腸内環境の特徴が異なるんですね」

現在、アスリートの便検体数は1000人2200検体を突破。次なるステップは、腸内環境の“見える化”だと、鈴木さんは意気込む。

「個人の便を解析し、腸内環境の種類(酪酸菌やビフィズス菌などの割合)などをレポートにまとめる『BENTRE』というサービスを開始しました。自分の腸内環境を数値化することができれば、どういったものを摂取すればいいか、よりわかりやすくなる。『体にいいから』『体に良さそう』――、漠然とした理由から栄養を摂取するのではなく、腸内環境学という視点で自分の体と向き合える仕組みを作れれば。僕たちは、エビデンスをもとに、皆さんの健康に寄与していきたい」

ピッチの上からは退いた。だが、冷静な分析力と妥協なき情熱は、今なお衰えることなく、異なるフィールドで発揮されている。

(我妻 弘崇 : フリーライター)