ケガをしても気づかない、夏でも長袖を着て過ごし脱水症状になるーー。そんな様子の子はいませんか?(写真:yamasan/PIXTA)

刺激に対する脳機能の働きや疾患、個人的な経験など、さまざまな理由で起きると考えられている「感覚過敏」――。光、音、におい、肌触りなど、私たちを取り巻くさまざまな“刺激”が、人よりも過敏に感じてしまうという症状です。一方で、刺激を感じにくい「感覚鈍麻」という症状に苦しむ子どもたちもいます。

本記事では、感覚過敏の当事者で、「感覚過敏研究所」所長を務める現役高校生・加藤路瑛さんの著書『カビンくんとドンマちゃん 感覚過敏と感覚鈍麻の感じ方』(監修:児童精神科医・黒川駿哉、ワニブックス)の一部を抜粋・編集しつつ、見えない“感覚鈍麻のセカイ”に迫ります。

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知られざる「感覚鈍麻」という苦悩

「感覚過敏研究所」を主宰する加藤路瑛さんは、自身が運営する感覚過敏の人のためのコミュニティ「かびんの森」にて、「感覚鈍麻」についての調査アンケートを実施した。以下は、そのアンケートに寄せられた、実際に「感覚鈍麻」に苦しむ人たちの、切実な、そして、苛烈な現実の一部である。

・「(身体を強打しても)アザができ、出血していることにすら気づかないのは日常茶飯事。足を骨折しても『なんか、歩きづらい』としか感じず、周囲の人が慌てているだけだった」(18歳・女)

・「真夏でも長袖で過ごし、気づけば脱水症状や熱中症になっていた」(17歳・女)

・「寒いという感覚がよくわからず、天気予報や周囲に合わせた格好をすると暑くてしんどい。真冬でも薄手の長袖Tシャツ1枚くらいがちょうどいい」(年齢性別・不明)

・「(骨折や怪我という)衝撃があったことはわかりますが、何も感じません。血が波打っている感覚や細胞が動いているのはわかりますが、衝撃の強さを練習して覚えるしかない。麻酔のかかった状態に近いのかも」(30代後半・性別不明)

また、彼らは口をそろえて「空腹を感じない」と訴える。

「食べたいと思うものがなければ、食べないままでいい」「空腹を感じず、いつの間にか低血糖に陥っていることがある」「(食事は)必要だから摂らなくてはという、義務感、強制感しか感じない」「『お腹が空いてきた』という感覚がなく、気づくのは我慢ができないほどになってから。腹八分目もわからないので、食べると動けなくなる」……ということだ。

これらのほかにも、「体調が悪くなっていることに気づけない」「尿意を感じづらくトイレに行くのを忘れる」「距離感がわからずぶつかってばかりだが、ぶつかっていること自体に気づかない」「他の人が熱くて触れない皿を平気で持ち、あとで皮膚が赤く腫れたりする」など、どれも日常生活を脅かすほどの苛烈な体験談が、アンケートには連なっている。

誰もが抱えうる“感覚”の問題だった

現状、「服のタグが気になる」「どうしても無理な食べ物のニオイや食感がある」「蛍光灯の光が眩しすぎる」といった、いわゆる「感覚過敏」については、学校などで集団生活を送る子どもを中心に、多くの人が自らの、あるいは家族の抱える“困りごと”として認識しつつある。

ニュース記事などで取り上げられることも多く、高まりつつある認知と、強い関心を伺い知ることができるだろう。

ところが、同じ感覚特性である、この「感覚鈍麻」について認識している人は、いったいどれだけいるだろうか。いまだその名称、概念すら知らない、といった人も多いかもしれない。加藤さんが主宰する「感覚過敏研究所」で医療アドバイザーを務める児童精神科医の黒川駿哉氏は、「感覚鈍麻」について、以下のように説明する。

「脳神経が刺激に反応する(刺激を認識する)最小の刺激量を『閾値(いきち)』といいます。閾値には個人差があり、たとえば感覚過敏の人はこの閾値が小さい。だから、わずかな刺激でも反応するのだと考えられています。

一方、感覚鈍麻の人の閾値は平均より大きく、(感覚として)感じ取れる量まで刺激の量がなかなか到達せず、つまり鈍感であると考えられます。

ただし、感覚過敏や鈍麻は、閾値だけによって決まるわけではありません。音の高さの違いの細やかさや、色の認識の細かさなど、目や耳、皮膚など『感覚器』の刺激の幅への“感度”の特性であるケースや、刺激を統合して処理する脳の特性である場合など、さまざまな理由が考えられます。

あるいは、刺激が過敏すぎて刺激を処理しきれず、感覚鈍麻になるケースも。刺激に対応できず無反応になった結果、まるで刺激を感じていない=感覚鈍麻のように見えるのです」

また、この「感覚鈍麻」は――とくに、ふだんから“不器用”“大雑把”あるいは“天然”“不思議ちゃん”などと思われている人を中心に――私たちが、すでに抱えているかもしれない特性の1つでもある。

たとえば、会社に向かおうと早足で急ぐとき、角を曲がろうとしたが、気持ちが急いてホームの柱にぶつかってしまった。ショックなことが起きたときに、大好きなカレー店に足を運ぶも、ぜんぜん味がしない……。

これらは、とくに「感覚鈍麻」という特性を意識していない一般的の人でも、何度か体験したことがあるはずだ。

感覚自体に「いい/悪い」はない

では、どこまでが「正常」で、どこかが「異常」なのか――。その確たるラインは存在しない。つまり、誰もが抱えうる“感覚”の問題なのである。

黒川氏は、このように続ける。

「私たちは、目から取り入れた視覚情報を脳で処理することにより、対象物の大きさや距離、角度などを判断します。また、人と人との関係では、総合的に関係性や状況を判断して、相手との間の物理的な距離を調整することもできます。

しかし、慌てていてタンスの角に足の小指をぶつけ痛い思いをするということは、よくあること。これは、脳の注意機能を別のことに使っていて、周囲への意識が向けられなかったため。つまり、感覚に過敏や鈍麻などの特性を自覚していない人でも、状況次第では、過敏や鈍麻のような状態になることがあるものです。

また、落ち込んだときに空腹を感じないといった症状は誰しも覚えがあるもの。つまり、感覚の感じ方(知覚)は状況や体調により揺れ動くものであり、どこからどこまでが『正常』なのか、どこからが『過敏/鈍麻』なのかといった境界はないのです」

つまり、感覚自体に「いい/悪い」はないということ。そして社会で生活するうえで、特性を持つ人が困り感を強く抱え、学校や会社に行けなかったりする場合があるということを、私たちは知っておかねばならない。

じつは、「感覚鈍麻」は「感覚過敏」と同時に併発するケースが多く、先述した感覚過敏研究所によるアンケートでは、90%以上の人が併発していると回答している。

・「痛覚は鈍麻だけど触覚過敏で、ある種の服、シャワーなどは痛い」(28歳・女)

・「骨折しようが痛みはわからないのに、人に身体を触られるとその感覚が何時間も残る」(18歳・女)

・「そのときの体調や目的、誰と一緒かなどの環境により、まったくダメなときと大丈夫なときがあります」(7歳・女児 ※親による回答)

こうした回答を見ていると、ひと口に「感覚過敏」「感覚鈍麻」といってもその症状はじつに多様であり、また、環境や感情、体調等によって同じ人でも感じ方はその都度変わるのだということがわかるだろう。

どんな感覚も、その人の「個性」である

黒川氏は、次のようにメッセージを贈る。


「本来、感覚は1人ひとり違い、どんな感覚もその人の個性です。私たちは『感覚のとらえ方には幅がある』ということを意識し、特性のある人の声を聞いて、どんなことに困っているかを知ったり、どんな配慮があれば問題なく過ごせるかに想像をめぐらせたりする必要があるでしょう」

そう、感覚に特性があることは、それが過敏であれ鈍麻であれ、決してネガティブなことではないのだ。とくに「感覚鈍麻」といった、いまだ正しい知識の行き届かない特性に関しても、(現時点は)ただの少数派であるにすぎない。

私たちは、特性のあるなしにかかわらず、どんな人でも平等に暮らしていく権利がある。それが“当然”に配慮される社会になることを、願ってやまない。

(加藤 路瑛 : 「感覚過敏研究所」所長)
(黒川 駿哉 : 精神科医)
(国実 マヤコ : 書籍編集者、文筆家)