こさささこさんが著した『ある日突然オタクの夫が亡くなったら?』の一コマ(筆者撮影)

故人が残したブログやSNSページ。生前に残された最後の投稿に遺族や知人、ファンが“墓参り”して何年も追悼する。なかには数万件のコメントが書き込まれている例もある。ただ、残された側からすると、故人のサイトは戸惑いの対象になることもある。

故人のサイトとどう向き合うのが正解なのか? 簡単には答えが出せない問題だが、先人の事例から何かをつかむことはできるだろう。具体的な事例を紹介しながら追っていく連載の第25回。

前触れのない夫の急死

<あーあ、あと1000年くらい寿命が伸びないかなあ…まだまだ観たいアニメや映画や特撮、読みたい小説や漫画、遊びたいゲームが大量にありすぎる…

それに、1000年以上生きれば、またラーレラ(『1000年女王』)に会えるかもしれないしね(苦笑)>

(2018年3月8日/吉田正高@yoshidamasataka/X(Twitter)より)

近代と戦後のコンテンツ文化史、とりわけサブカルチャーに精通し、こよなく愛した東北芸術工科大学教授の吉田正高さんは、この投稿から1カ月も経たない年度末の夜半に自宅で心筋梗塞により亡くなった。

<吉田正高の妻です。先日、3月31日夜半4時に心筋梗塞で急逝致しました。享年48歳です。あまりにはやすぎて、いまだに実感が湧きません。おそらく本人も湧いてないことでしょう。最後に見たときは、本人の好きな漫画を布団の中で読んでました。>

(2018年4月3日/吉田正高@yoshidamasataka/X(Twitter)より)

吉田さんのTwitter(現X)で訃報を伝えたのは妻でイラストレーターのこさささこさん。突然夫を失った大きなショックを受けながらも努めて冷静に状況を説明する。その姿勢のままに夫の葬儀を準備し、大学の研究室と自宅に残された膨大なコレクションの整理にも立ち向かっていった。


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その奮闘を後に自著『ある日突然オタクの夫が亡くなったら? 身近な人が亡くなった時にやるべきこと、起こること』にまとめている。この本と日々のつぶやきからは、こささんの懸命な生活の様子が伝わってくる。

当時小学校低学年の娘と未就学の息子を育てながら、亡夫の遺品の整理に難儀し、そして自身が抱える病とも向き合って必死に暮らした。2021年12月に自らも不意に急死するまで。

予兆の有無にかかわらず、人生の幕が急に下りることもある。本人の歩みはそこで終わり、残された人たちは遺されたものを抱えて生きていく。そこにどんな困難があるのか。こささんが残した足跡を辿りたい。

多忙で倒れて記憶喪失に

美術大学を卒業し、東京でイラストレーターをしていたこささんが山形県に居を移したのは2009年3月のことだった。交際していた正高さんが同県にある東北芸術工科大学で教授に就任したため、この機に結婚する。広い一戸建ての住まいで暮らし、やがて2011年に娘が生まれた。こささんは家事と子育てに奔走しながらイラストの仕事も請け負う日々を送るようになる。


長女が生まれる直前のブログ(「おもパン」より)

久しぶりに書籍のイラストの仕事を依頼されたのは、2014年に長男が誕生した直後のこと。普段にも増して無理をして徹夜を続けていたら、40度を超える熱が出てきた。病院で解熱剤を処方されたが体調は良くならない。

<全然治らない。全てを夫に丸投げした。ごめん。>

(2014年6月21日/こさささこ@kosasasako/X(Twitter)より)

この投稿を最後に長く本人からの発信は途絶える。この間、意識を失い、病院で全身の血を2回入れ替えるほどの大手術を受けていた。正高さんのつぶやきから当時の様子がうかがえる。

<私の奥さん(PNこさささこ @kosasasako)のご友人の皆様。ここ数日体調の悪化が著しく、本日より急遽入院となりました。詳細につきましてはフェイスブックのほうに掲載いたしました。絶対安静の状態ですので、当分は本人と直接連絡がとれません。緊急の用件があれば吉田までご連絡を。>

(2014年6月24日/吉田正高@yoshidamasataka/X(Twitter)より)

意識が戻ったのは1カ月後だった。

<入院中の奥さん、意識が戻りました! 気管切開しているので、声は出せないのですが、さきほど見舞いにいったら、私が誰かも認識し、娘と息子の写真をみせたら微笑んでいました。とりあえず一安心ということで、ご心配をおかけした皆様、申し訳ございませんでした。>

(2014年7月26日/吉田正高@yoshidamasataka/X(Twitter)より)

退院するまでにはさらに数カ月を要し、自宅に戻った後も長期の療養を余儀なくされた。後遺症から3年間ほどの記憶が抜け落ち、脳はてんかん発作を起こすようになった。クルマの運転ができなくなるばかりか、急に倒れたり入院したりする事態を想定して生活することを余儀なくされることになる。

<入院生活が長かったから、「もしまた自分が突然いなくなった場合」を考えて娘に自分で出来ることの範囲を広げている。昨夜は台所のビーカーが身長より高い位置にあったので、届かない。わたしがとれば早いのだが、「もぐちゃんどうやったらとれるか自分で考えてみて」>

(2016年10月6日/こさささこ@kosasasako/X(Twitter)より)

趣味人が残した膨大なコレクション

苦難は家族で乗り越えていった。2017年11月にこささんに異変が起きて入院した際も、正高さんは仕事を制限して家のことに注力している。

<そんなわけで、奥さんが入院している関係で、家事と子どもの世話を一手に引き受けることになったため、現在、勤務校での仕事以外の仕事ができなくなっております。今回は長期入院ということもなさそうですので、お仕事をご依頼いただいている関係者の皆様は、いましばらくご猶予いただけると幸いです。>

(2017年11月7日/吉田正高@yoshidamasataka/X(Twitter)より)


こささんの投稿を引用するかたちで発信(吉田正高さんのXより)

8歳年上の正高さんは、こささん曰く「いつも面白いことを探している人」だ。大学で教鞭をとりながら、大好きなアニメやマンガ、ゲームの研究に熱中し、2009年には「コンテンツ文化史学会」を立ち上げて会長に就くなど、趣味と仕事を高度に両立するバイタリティに溢れていた。一方で妻や子供に関するつぶやきも大量に残しており、良き趣味人と良き夫、良き父も両立していた様子がうかがえる。

その正高さんが、冒頭で触れたとおり、この5カ月後に心筋梗塞で急逝する。48歳だった。

<子供みたいな人でした。でも、大人らしく、キチンと仕事も出来る人でした。もっともっとたくさん研究する事があるんだといつも言ってました。時間が足りないといつも言ってました。でも、時間が足りずに逝ってしまいました。>

(2018年4月3日/こさささこ@kosasasako/X(Twitter)より)

あまりに突然で、受け入れるのが難しい。それでも膨大なやるべきことがこささんの両肩にのしかかってきた。

葬儀の準備と関係者への連絡、必要最低限の行政手続きは大変だったものの姉兄の協力もあって何とか済んだ。

しかし、その後には財産と遺品の整理の問題が待ち構えていた。お墓の問題もある。正高さんの両親はすでに亡くなっていて、あちらの実家に残る財産的なものも片付けなければならない。大学の研究室も撤退しなければならないだろう。ほかにもまだ気づいていないやるべきことがあるかもしれない――。

持病もない仕事盛りの40代で、自らの死の備えをしている人はそうはいない。それでいて稀代の趣味人ゆえに、自宅にも職場にも膨大なコレクションが蓄えられている。遺品整理のなかでも相当に手強い部類に入る。

4月の終わり、こささんの心の叫びが残されている。

<吉田の追悼ツイートありがとうございました。私への労りのお言葉もありがとうございます。ただいま滅法忙しく、泣きたいほど忙しく、泣けないほどです。でもたまには泣いてます。>

<健康だったはずの同居している夫(オタク)が突然死ぬと、どれだけ大変か、いかに準備していなかったか、何を準備すればいいのか、そんなことをそのうちつらつらツイートしようかと思います。本当に大変です。とりあえず、遺影、マイナンバー、連絡網。死ぬ時この三つは重要です。>

(ともに2018年4月26日/こさささこ@kosasasako/X(Twitter)より)

夫の突然死とその後をマンガで

職場の片付けは姉兄や正高さんの同僚、学生の手伝いもあって5月のうちに終わらせることができた。行政の手続きや子育てを含む日々の苦難は、ご近所さんや行政の専門家が手を差し伸べてくれた。しかし、自宅には膨大なコレクションが眠っている。

自宅には正高さんの仕事部屋に加え、2つのコレクション部屋もある。合わせて20畳ほどの広さがあり、そこに天井近くまであるラックが何台も並び、それぞれの棚に書籍や雑誌やDVDやレコード、フィギュア、ゲームソフトなどがぎっしりとしきつめられている。全年齢のものから成人向けのものまであり、生前から子供の立ち入りは禁止していた。いまも大人しか整理することが許されない空間だ。


正高さんの仕事部屋(こささんのXより)

すべて廃棄したり売却したりするのなら話が早いが、コンテンツ文化史として貴重な資料が含まれるし、なにより正高さんが愛情を注いだコレクションをむやみに処分するのは胸が痛む。夫婦で楽しんだ思い出もある。後悔しないように少しずつでも分類していって、残すべきものを選別していこう。

イラストに育児、家事。こささんの仕事に正高さんコレクションの整理が加わった。

この途方もない作業をマンガにしよう。そう心に決めてTwitter(現X)で発表するようになったのは5月下旬からだ。

<ものすごく迷ったんですが、今日から夫が亡くなった漫画をアップしていきます。彼は私の描いた物が好きだった事と、自分が載っているものが好きだった事と、おそらく生きていたら「描いてよ!」と言いそうだからです。そういう人でした。子育ての隙間を縫って描くのでクオリティは低めです。>

(2018年5月20日/こさささこ@kosasasako/X(Twitter)より)

夫の死と自分の死


この連作マンガをまとめたものが『ある日突然オタクの夫が亡くなったら?』だ。葬儀や遺品整理、相続などの手続きについて専門家の監修をつけて2018年12月にKADOKAWAから刊行した。

コレクションはそのまま保存するものと捨てるもの、売却するもの、寄贈するものの4種類に分けると方針を決めた。しかし、一見ただの雑誌の付録に見えて希少価値がついているものや、江戸時代の春歌を収録したフォノシートと春画カードのセットのように誰に価値を尋ねればいいのかわからないものが大量にある。

娘の誕生日会を自宅で開くために2019年12月までの完了を目指したが、どうにもゴールが見えてこない。それでも休日に姉夫婦や兄が手伝いに来てくれて、少しずつだが片付けが進んでいく実感は確かにある。

<正直言うと、日によって鬱々とした気分になったりしてたんだけど、目の前から夫の物が日々物理的に減ってきたら気持ちが少しずつ晴れてきた。もっと減ったらきっともっと晴れるだろう。最終的に図書館へ送ったらさらに晴れるだろう。いくぜ!やるぜ!あとどれくらいかかるかわからないけど…>

(2019年10月29日/こさささこ@kosasasako/X(Twitter)より)

娘の誕生日までにという当初の目標は叶わなかったが、年が明けた後も前向きに夫の遺品と向き合った。そんな折りに再び病院のお世話になる。

<先日倒れまして、今、病院に入院しています。病院て眠れないですね。辛い。早く帰りたい…>

(2020年1月11日/こさささこ@kosasasako/X(Twitter)より)

このときは数日で退院できたが、自分の身にいつ死が降りかかってきてもおかしくないと自覚して生きている。自宅には緊急ボタンを置いており、娘にも救急車の呼び方をレクチャーしている。証書や通帳もわかりやすくまとめてあり、重要なパスワードや連絡先などの書類を入れた緊急用の鞄も用意している。自分が死んでしまったときに遺影に使えるよう、そして思い出になるよう、時々子供に自分の写真を撮ってもらっている。

<あしなが育英会なんてものがあるなんて知らなかった。私はてんかんを患ってて、なるべく死なないようにしてるんだけど、それでも自分が死んだら子供どうしようかなーと思いながら暮らしてるんだけど、いざとなったらあしなが育英会を頼る事も選択肢の一つに入れなさいと教えとこう。まあ先の話だけど。>

(2020年4月18日/こさささこ@kosasasako/X(Twitter)より)

そのうえで睡眠と栄養をしっかりとって健康に生きていこう。それでも日々のストレスから長らく不眠症に悩んでいたが、正高さんの死と向き合うことで改善した。新しいアカウントで2021年7月から8月にかけて連投したマンガ「#てんかんふみん」で、そうした心境の変化を伝えている。


「#てんかんふみん」の最後のページ(こささんのXより)

最初に倒れたときのことを思い出す日も増えてきた。昔自分が書いたブログを読み返して、喪失していた記憶と向き合うようになったのもこの頃だ。コレクションの山は3年半が過ぎても未踏エリアが残っているけれど、この頃のこささんのつぶやきを追うと、少しずつ穏やかな心境に向かっていっているように思える。

遺品整理の担い手は親族へ

こささんの最後の投稿は、44歳の誕生日を迎えて数日しか経っていない2021年12月15日の朝のものだった。

<昨夕、急に息子が「僕も鉛筆削れるようになりたい」というので、鉛筆の削り方を教えることに。

「カッターは動かさず鉛筆を動かすんだ」「えっと、えっと」「違う!その親指は下!そっちは上!」「えっと」「そうだ!できるじゃないか!」「僕、一日で削れるようになった〜」よかったよかった。>

(2021年12月15日/こさささこ@kosasasakoesu/X(Twitter)より)

この数時間後にこささんは自宅で亡くなる。

訃報を伝えたのはこささんの姉である塚口綾子さんだ。こささんのTwitter(現X)にはログインできなかったため、自身のアカウントに連投して報せる。葬儀はすでに親族のみで行ったこと、娘と息子を親族で引き取り、遺品整理も引き継ぐことなどが書かれていた。

<いま、彼女がKADOKAWAさんから出版していただいた『ある日突然オタクの夫が亡くなったら?』のページをめくりながら、ひとつひとつ進んでおります。

生前の彼女が書籍中でも気にしていた2人の子どもたちとの時間を大切に過ごしていければと思っております。>

(2021年12月19日/塚口綾子@tsukaguchi/X(Twitter)より)

娘と息子の生活拠点は東京に移った。塚口さんたち親族は休暇などを使って山形の吉田家に出向き、遺品の整理を続けている。


塚口さんのnote。吉田家の整理の様子を不定期でレポートしている


吉田家には正高さんの遺品とこささんの遺品が残されている。こささんの制作物は将来子供たちが判断できるようにできるかぎり残していくつもりだ。正高さんのものも子供に委ねるものはそのままにしたいが、そのための振り分けがまだ完了していない。塚口さんはこう語る。

「山形に置いておくと整理が進まないので、最低限“処分するもの”をこの夏に確定させ、残りは東京に場所を借りて移動させたいなと考えています」

前述のとおり、一括廃棄ならすぐに終わる。故人が残していったものにこれだけ多くの人が心血を注ぎ、時間をかけているのは、故人が残したものを尊重し、故人とのつながりを大切にしたい思いが生きているからだろう。

正高さんとこささんが何を感じ、何を考えていたのか。今に残るXから触れられるものは少なくない。

#引用元と参考文献
吉田正高@yoshidamasataka/X(Twitter) https://twitter.com/yoshidamasataka
『ある日突然オタクの夫が亡くなったら? 身近な人が亡くなった時にやるべきこと、起こること』(こさささこ著、KADOKAWA)
こさささこ@kosasasako/X(Twitter) https://twitter.com/kosasasako
こさささこ@kosasasakoesu/X(Twitter) https://twitter.com/kosasasakoesu
おもパン(こさささこさんのブログ) http://omopan.blogspot.com/
コンテンツ文化史学会 http://www.contentshistory.org/
塚口綾子@tsukaguchi/X(Twitter) https://twitter.com/tsukaguchi
塚口綾子さんのnote https://note.com/tsukaguchi/

(古田 雄介 : フリーランスライター)