三笘薫がほかの子どもたちと違っていた部分とは 小学生時代のコーチが語る
元川崎フロンターレU−12監督・郄粼康嗣氏インタビュー 前編
かつて川崎フロンターレU−12の監督を務めていた郄粼康嗣さんに、当時携わっていた現在のプロ選手の小学生時代を語ってもらう。ここでは三笘薫(ブライトン)について。当時からほかの選手とは明確に違う部分があったという。
三笘薫の小学生時代のすごさを、当時のコーチが語った
プレミアリーグ、サッカー日本代表で活躍する三笘薫。日本サッカー界のニュースターを幼少期に指導したのが、川崎フロンターレU−12の監督を務めていた、郄粼康嗣氏だ。
郄粼が三笘を初めて見たのは、川崎フロンターレジュニアのセレクションだった。当時、三笘は小学2年生。同じセレクションの1学年上に板倉滉がいて、三笘は下級生で3人合格したうちの一人だった。
「カオル(三笘薫)に才能があるのは明らかでした。わかりやすく言うと、相手の状況を見て、直前でプレーを変えられる。小学校低学年でこれができるのは才能です。タケ(久保建英)もそうでしたけど、それができる選手が上のレベルに行きますね」
相手を見て、プレーを変えることのできる判断力。そして天性のスピードとバネ。さらには高い技術と、三笘のタレント性は傑出していたという。
「カオルは一瞬のスピードがあるんです。一歩目が速かったので、この子は将来、足が速くなると思いました。別件で身体を診てもらった人から言われましたが、『この選手の筋肉の質はちょっと違うね』と言われました」
持って生まれた能力に加えて「新たな技術や課題にチャレンジし、自分のものにする力が図抜けていた」と郄粼は語る。
ある時、郄粼は姿勢や歩き方がパフォーマンス向上につながることに気がつき、三笘たちに教えた。
「授業中に背もたれに寄りかからず、背筋を伸ばして座ると姿勢が良くなるし、体幹も強くなるから、そうしようという話をしたんです。するとそれ以降、カオルはミーティングの時も、食事中もその姿勢をキープしていました」
郄粼は「自分の前だから意識してやっているんだろう」と思い、「授業中はどうしてる?」と聞いたら、三笘は「やってるよ。なんで? やったほうがいいんでしょう」と答えたという。
「ほかの子は言ってもやらなかったり、座っている時に背筋が丸まっていたりするんだけど、カオルは普通にやっているんです。お母さんも『急に姿勢が良くなったんですけど』と驚いていました」
三笘の長所を「自分で理解してやってみて、良いものを取り入れる力」と郄粼は評する。
「カオルのほかにも、上手な選手はたくさんいました。でも学習力の高さで言えば、カオルは飛び抜けていましたね。技術的な課題を与えると、どんどんこなしていくんです。『走り方』と言えば、走り方を意識するし、『姿勢』と言ったら姿勢を正す。そして、身につくまで繰り返して自分のものにする。学習能力が高いんですよね」
【カオルの活躍は驚きでも何でもない】郄粼がジュニアを指導する際、キーワードにしていた言葉がある。それが「世界を目指せ」だ。川崎フロンターレの選手たちに、「サッカーの本場は海外だ。世界最高の選手はどこのリーグにいる? そこを目指すべきじゃないのか?」と言い続けてきた。
「選手たちと会話をして、質問をして、考えさせることを徹底しました。世界で活躍できる選手になりたいのであれば、言葉ができないとだめだし、コミュニケーションがとれないとだめだよねって。技術も大事だけど、生き残っていくためにはメンタルも大事ですから」
そしてジュニアの選手たちに、何年後にプロになるのかを逆算をして、未来像を描かせてきた。
「たとえば12歳の時点で、6年後プロになるために、何が必要か。いま何をすべきか。それに気がつくことが大事で、プロサッカー選手になりたいのなら、勉強も必要です。『サッカーと勉強、どっちが大事?』と訊いて、『サッカー』と言った瞬間に、『それじゃだめだよ。勉強ができない選手はサッカーもうまくならないから。だって、理解力がないってことじゃん』って、そういうやり取りをずっとしてきました」
さらに、こう続ける。
「心が育つと、プレーがどんどん変わるんです。逆に言うと、心を変えないと、技術がいくらあっても、試合で発揮できない。飛び抜けた能力がある子は、プロのステージには立てるかもしれないけど、それ以上の活躍というかブレイクはできないんですよね」
郄粼の教え子は三笘を始め、板倉滉(ボルシアMG)、三好康児(バーミンガム・シティ)、田中碧(デュッセルドルフ)など、海を渡ってプレーしている選手が多くいる。小学生時代から、高い視座で取り組んできた彼らの多くが、"海外組"になったのは、ある種の必然なのではないだろうか。
郄粼も「想定内」と笑みを浮かべる。
「カオルが日本代表になってワールドカップに出て、海外で活躍していますけど、私にとっては驚きでもなんでもない。順当にいけば、それぐらいにはなると思っていましたから。みんな『あそこまでの選手になるかどうかはわからなかったでしょ』って言うけど、カオルは別。必ずなる。ならなきゃいけないと思っていた。20歳前後の時点で、海外でやれる才能はありましたから」
郄粼はカタールW杯が終わり、三笘に「よく頑張ったね。でも、まだまだ足りないよな」とメッセージを送った。
「カオルからは『自分でもまだまだ足りていないです』というような返事が来ました。目の前に自分よりいい選手がいっぱいいるんだから、当然ですよね。何事にも前向きに取り組むカオルだからこそ、まだまだだな、もっとやらなきゃなと思える環境にいられるのはよかったなと思います」
【10得点10アシストはマスト】川崎フロンターレの公式サイトに、三笘が書いたアンケートが残っている。「影響を受けた指導者」の欄には、「郄粼康嗣さん」とある。成長に必要だと思えば、厳しいことを言う優しさを持った指導者は、三笘の将来に向けて、次のようにエールを送る。
「プレミアリーグも日本代表もそうですが、カオルがいる環境が厳しさを教えてくれると思います。その競争に勝ち抜くことで、すべてを掴むことができるはず。当然、勝ち抜かなければ切られる世界なので、まずは2桁を出すこと。カオルの立場では、10得点10アシストはマストかなと思います」
世界を目指せと言い続けてきた郄粼が、世界を主戦場とする教え子に対して要求する"ダブル"(2桁得点、2桁アシスト)。
その言葉には、小学生時代にかけていた「いまのままで満足するな」という叱咤激励が込められているような気がした。
◆後編「『あんな子は見たことがない』久保建英の驚きエピソード」>>
郄粼康嗣
たかさき・やすし/1970年4月10日生まれ。石川県金沢市出身。大学卒業後、指導者の道へ進み、2002年から2015年まで川崎フロンターレに在籍。2006年から2011年にはU−12チームの監督を務め、板倉滉、三笘薫、田中碧、久保建英など、多くのプロ選手の指導に携わった。2016年からはいわてグルージャ盛岡コーチ、専修大学監督、新潟医療福祉大学コーチ、テゲバジャーロ宮崎監督を歴任。現在はフガーリオ川崎のアドバイザー、尚美学園大学のコーチを務めている。