事業承継・相続はなぜ難しいのか? 一度分散した株への対応について、「長男」が弟妹へつづった手紙とともに紹介します(写真:Graphs/PIXTA)

同族企業の事業承継・相続はなぜ難しいのでしょうか? 「税金対策だけに目を奪われると、本質を見失ってしまう」と言うのは、さまざまな事業承継・相続を見てきた石渡英敬さんです。同氏の新著『新 事業承継・相続の教科書』より一部抜粋し再構成のうえ、本稿では、終戦直後に創業された繊維業を営んでいるF社の相続を例に一度分散した株への対応について解説します。

複雑な株主構成

終戦直後に創業され、現在法人化70年の繊維業を営んでいるF社。創業者が昭和の時代に事業を大きく伸ばし、簿価純資産が300億円を超えるまでになりました。ところが創業者が95歳で亡くなり、3人の子ども(2代目社長で長男の和田さん68歳・次男・長女)たちは、財産の相続でもめることになってしまったのです。

F社の株主構成は複雑です。まず、公益財団法人が10%保有しています。次に従業員持株会が30%、2代目の長男に出資させてつくった持株会社が30%。ここまでで計70%の支配権になり、創業者の生前から2代目の長男が実質的にF社を支配する形に承継が進められました。

問題は、残りの30%です。「資産管理会社」が15%、残りを長男、次男、長女の3人で5%ずつ持ち合っています。そして、その資産管理会社の持ち主は、創業者の妻が40%、長男、次男、長女がそれぞれ20%ずつという具合に「田分け」されていました。


F社の資本関係図(画像:『新 事業承継・相続の教科書』)

F社の創業者は本社ビルと併せて賃貸オフィスビルを建て、それを資産管理会社で所有し、本体とテナントから年間2億円を超える賃貸収入を得ていました。長期にわたって現金が資産管理会社に蓄積され、それを、妻40%、長男20%、次男20%、長女20%の持ち株割合で所有していました。

問題はそれが「田分け」されており、かつ、本体株式の15%を支配している点です。創業者の死後、長男以外が結託すれば、後継者である長男は、資産管理会社から追い出されてしまうリスクにさらされ、かつ、本体の15%の支配権を失うのです。

一方、創業者の個人財産は60億円にのぼりました。遺言がなかったので、これらは相続人ですべて共有の状態になり、遺産分割協議となりました。

「兄貴は会社をもらっているよな。俺と妹で個人財産は半分に分ける」と言う次男。「会社は会社だ。おやじが会長になってからの30年、俺が社長をやってきたんだ。会社の株は対価を払って取得している。会社を財産分けに入れるのはおかしい」と言う長男。

「私、父さんには冷たくされてきたわ。その分、遺産はたくさんもらわないと納得できない」と言う妹。90歳を越える母は、子どもたちの言い争いを聞いておれず、自室に引きこもってしまいました。

遺産分割の話し合いがまとまらないまま、F社はコロナ禍に見舞われ、百貨店での売り上げが一時期ゼロになるなど、本業は大打撃を受けます。コロナ禍のため、弟や妹との協議の場をリアルで設けることもできず、相続税の申告の期限(相続から10カ月)を超えてしまいました。

一度分散した株式に、どう対処するか?

株式が分散する事例は、戦後、爆発的に増えました。法律が子どもたちに財産を均等に分けることを支援する形になったので、当然といえば当然です。

F社の、その後を見てみましょう。

株式が田分けされてしまい、創業者の死に伴って、2代目社長の和田さんは資産管理会社の支配権を弟や妹に握られそうになります。簡単には株を手放しそうにない弟と妹。創業者の死からちょうど1年が経過しても、遺産分割協議もまとまらない状態でした。コロナ禍の中で開かれた経営者の会で、和田さんから私に声がかかりました。

1週間後、私は和田さんのオフィスを訪ね、状況をお聴きしたところ、遺産分割の問題と、すでに贈与されている株式の集約の問題を同時に抱えて悩んでおられ、初回のミーティングは状況確認だけで2時間を要しました。

いちばん印象的だったのは「弟も妹も、文句しか言ってこない。それなら株式をすべてくれてやるから、経営をやってみろ、と言ってやりたい」という言葉でした。本音だったと思います。

二度目の訪問で、私は和田さんにとって受け入れがたいこととは承知のうえで、思い切って、1つの方針をお示ししました。

「忍び難きを忍び、弟さんと妹さんに頭を下げてしまいませんか?」 私の言葉に、和田さんは失望のため息をつきました。

「石渡さん、あなたは何もわかっちゃいないよ。どうして私が弟や妹に頭を下げなきゃならんのか。話にならん」


3つのステージ(画像:『新 事業承継・相続の教科書』)

「和田さん、お気持ちはお察しいたします。これまでお聴きした状況から、私には『3つのステージ』が見えていますので、ご説明させてください」

「3つのステージ?」

「はい。1つ目のステージは、弟さん妹さんとの清算です。今、和田さんはどっぷりとこのステージに浸っておられます。お父さまの相続をまとめ、かつ、分散した株式を買い取る。これは、簡単なことではないでしょう」

私が和田さんに1枚の図をお見せすると、和田さんはじっと見て言いました。「うむ。で、2つ目は?」

「2つ目と1つ目のステージは実はセットです。和田社長のお望みはなんでしょうか? 事業を継ぎたいとおっしゃっているご自身のご長男に、しっかりと経営のバトンを渡すことではないですか?」

「そのとおりだ」

「であれば、第2ステージは、まずは第1ステージを乗り越えたうえで、和田さんからご自身のご長男への株式の承継に備えた対策を練ることです。事業承継税制や除外合意など、国が準備した制度を上手に活用しない手はありません。そのためにも、第1ステージをクリアしないと第2ステージは始まらないのです」

「確かに。そして第3ステージは?」

「はい。これまで和田さんは創業者であるお父さまとともに、30年以上の長きにわたって会社を成長させてこられたわけです。再来年には70歳になられます。まずは第1ステージをクリアし、さらに第2ステージもクリアしていただいて、第3ステージでは和田さんご自身の人生を謳歌していただきたいのです」

「私の人生か……」

「今の和田さんは、お父さまが残された事業と遺産にがんじがらめになられ、弟さんと妹さんとのもめごとの中に生きておられます。そこから早く脱して、奥さまやご自身の3人のお子さま方、お孫さんと、人生を楽しんでいただきたいと思っています。そのために、私はライフプランナーとしてお手伝いをさせていただきます」

このとき、和田さんの「心のスイッチ」が入った音が、聞こえた気がしました。

秘密保持契約を和田さんから求められ、より深いコンサルティングに進ませていただくことになりました。

内容証明郵便よりも、虎屋の羊羹

その後、私は和田さんと週に一、二度、打ち合わせを重ねていきました。「2人に頭を下げるといっても、どうすればいいかな?」

「私に1つアイデアがあります。『肉筆の手紙』を書かれてはいかがでしょうか? 面と向かって詫びる機会をつくることは難しいと思いますので、これまでの心のすれ違いを文章で詫びて、これからの思いを伝えるのです」

「なるほど。トライしてみるか……」

手紙の作成には、和田さんの奥さまやご長男にも加わっていただき、顧問税理士や弁護士の視点も加えて、鳩居堂の高級和紙の便せんに、ご自身で一文字一文字書いていただきました。

和田さんのご了解のもと、ほぼ原文のまま掲載します。

B男さん、C子さん、2人に今の私の思いを率直にお伝えします。

まず、父の相続に際し、ここまでの話し合いの進め方について、お詫びします。

本来は、父が亡くなる前に、財産の相続について話あっておくべきでしたが、長男として父にうまく働きかけができなかったことは残念に思っています。

父の相続については、税理士のS先生とN先生にご尽力いただき、遺産分割案をまとめていき、近日中に調印をさせてください。

併せて、検討をお願いしたいことがあります。B男さん、C子さんが保有する会社の株式についてです。

今現在の会社のおかれている状況はコロナ禍という激しい逆風もあり、昨年F社は赤字決算となりました。かつ、時代の流れは加速してきており、企業経営は、今非常に厳しい局面を迎えています。父が苦労して大きくしてきたF社グループを、よりよい形で次世代に残していくにはどうすればよいか? つねに考えています。

私がF社の社長となってから、もう30年を超えました。次世代にバトンを渡す準備にかかっています。社員やF社を取り巻く多くの関係者が見守っています。この世代交代も多くの課題を抱えています。

その1つとして、株式の分散が進んでしまうと、会社を引き継ぐ子どもの世代やその後の世代にとって、大きな負担となるかもしれません。そのために今、父の遺産分割協議書の調印と併せて、F社と資産管理会社の株式を私に売却してほしいと考えるのです。

B男さん、C子さんの今の株式持分は、父があなたたちのためにと熟慮したうえで配分した、ある意味での遺言書のようなものだと思うようになりました。公正な価格で買い取ることが、父のB男さんC子さんへの思いを尊重することであると考えています。

相続税評価額で合意してもらえれば、1人〇億円、2人合わせて〇億円で買い取ることになります。私にとって換金性の乏しい自社株をこれ以上の価格で買い取ることは、現在の厳しい経営環境や、今後の事業承継でのさらなる課税を考えると、会社にとっても大変厳しい状況になることを理解してもらいたいのです。このお願いを受け入れてもらえたら感謝に堪えません。

C子さん、母と同居してくれていることと、手厚く面倒を見てもらっていることには心から感謝しています。ありがとう。母の余生を家族みんなで温かく見届けていきましょう。

令和××年×月×日 Aより

この手紙によって、受け取った弟さんと妹さんのお気持ちがどのように変化したのかは、私はお二人に直接お会いしていませんのでわかりません。ただ、この手紙を実際にご自身で手書きした和田さんのお気持ちには、大きな変化があったようです。

長年、経営の最前線におられた和田さんだからでしょう。「忍び難きを忍ぶ」と腹落ちしてからの弟さん妹さんとの交渉は、非常にスピーディーかつ効果的でした。

「内容証明郵便を発信すれば、対立は致命的に」

結果的に、創業者が亡くなられてから1年と6カ月で遺産分割協議はまとまり(新型コロナ感染症による相続税申告期限の延長措置の適用あり)、その3カ月後に株式の売買契約も完了したのでした。


「内容証明郵便よりも、虎屋の羊羹」という言葉は、税理士であり、公認会計士、弁護士でもある関根 稔先生の言葉です。

「相続について紛争が予想される場合は、内容証明郵便を発信すれば、対立は致命的になってしまう。そのような喧嘩腰の対応ではなく、菓子折を持っての挨拶のほうが有効だ」「100点ではなく60点を取る。(中略)人生において100点を目指す必要はない」「トラブルの解決は法務(法律)ではなく、営業の仕事なのだ」(『税理士のための百箇条― 実務と判断の指針(69ページ)』財経詳報社刊)。

相続でのもめごとは、相手の責任が100で、自分の責任はゼロだと感情的に捉えてしまいがちです。そんなときに思い出したい先人の格言です。

(石渡 英敬 : プルデンシャル生命保険エグゼクティブ・ライフプランナー)