ダルビッシュ賢太インタビュー(前編)

『個別でzoomかメールでも良いので取材してくれないですか?(笑顔の絵文字)僕も伝えたい。』

 彼が自身のTwitterにそう書き込んだのは、4月4日のことだった。

 本名、ダルビッシュ賢太──。俳優時代の芸名は「KENTA」で、その後はパーソナルトレーナーに転向し、現在はサプリメント会社に勤務している。

 ただ、それらの経歴以上に、彼が広く知られているのは「ダルビッシュ有の弟」の肩書きかもしれない。


がん治療で闘病中のダルビッシュ賢太氏

 そのダルビッシュ賢太氏が今、がんとの闘病生活をYouTubeやTwitter等で毎日公開し、自らの言葉で胸中を生々しく、リアルタイムに綴っている。

 時には、心ない言葉をダイレクトメッセージ(DM)等で受け取りもした。自分の真意が正しく伝わらず、もどかしい思いもした。それらを踏まえての、冒頭に記した「僕も伝えたい」の訴えだったのだろう。

 個人的な話になるが、賢太氏のこの願いを筆者に教えてくれたのは、現在米国ラスベガスに住む"ベティ・スズキ"こと鈴木弘子氏である。

 鈴木氏は、長く女子アメリカンフットボールリーグでスター選手として活躍した「海を渡った日本人アスリート」のパイオニア的存在。そして現在は、トレーナーとして数々のアスリートやボディビルダーを指導するミロシュ・シャシブ氏の伴侶でもある。

 賢太氏はトレーナー時代に、シャシブ氏のトレーニングを受けるために渡米。その縁で賢太氏と親交のある鈴木氏が、今回のインタビューをつないでくれた。

 病床の賢太氏が、訴えたいこととは何か──。彼は今、何と戦い、何を欲して自分の言葉を、姿を映像で世間に発信しつづけているのか?

 病院のベッドで抗がん剤を含む点滴を受けながら、賢太氏は入院中の大阪の病院からリモート取材に応じてくれた。

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── まず率直にうかがいますが、賢太さんが今回のインタビューを通して発信したかった思いとは、何でしょうか?

「Twitterでがん治療の発信をはじめて以来、『いいね』とかが広がって、みんなリツイートしてくれたり、いろんなDMをいただいたりするんですよ。同じがん患者......僕よりも全然大変だったり、もっともっと長い期間、抗がん剤治療をしていたり、僕より大変な境遇にいる人からもコメントをいただきました。

 そうすると、がん患者のコミュニティみたいなものができそうになるんですが、僕はあまり、それを求めてないんですよ。そんなに、ほかの患者の方と意見や情報交換をする気はなくて。DMにも『こうしたほうが僕は楽でしたよ』とか、いろんなことを教えてくれたりもするんですが、僕はそういうのに返事をしていない。

 というのも、同じ治療ひとつとっても、副作用の出方やしんどさっていうのは、全然違うと思うんですね。そういう意味で、他人をわかった気になりたくないと思う自分がいるんですよ。

 自分は今、『BEP療法』の3クール目をやってもらっています。BEP療法というのは基本的に、抗がん剤治療のなかでも結構しんどいほうなんです。抗がん剤治療と言っても、たとえばがん細胞を増やさないようにする治療と、がんを治しにいく、潰しにいくっていう抗がん剤治療があるんです。

 BEP療法はがんを潰しにいくやり方なので、そもそもタフ。僕はたまたま、ほかに病気がないし、若いし体力もあってと、いろんなことをクリアできたので今こうやって頑張れているんですけれど、そこは人によって違う。だから、『抗がん剤治療をしている』ということだけで共感や理解ができると思わないんですね」

── 現在は「抗がん剤治療の3クール目」ということですが、具体的にはどのような治療で、どのようなプロセスなのでしょう?

「抗がん剤は点滴での投与で、いつも朝の10時から始まり、夕方5時まで続く。これが基本です。でも、日によっては副作用で身体がしんどいので、ちょっとスタートを遅らせてくださいってお願いしたり。なかなか勇気がでなくて、始まりが午後1時とかになったり。でも結局、終わる時間が延びるだけなんで、意味はないんですけどね。

 基本的に1クールごとに初日からDay16まで投薬日があるのですが、今が3クール目。16日連続で抗がん剤を入れるわけではなくて、1日目から5日目まで連続で入れて、数日開けてからまた2日連続で入れて......というふうにスケジュールが決まってるんです。間に休憩を入れるのは、そうしないと体がもたないからなんですが、そもそも5日連続で入れることがめちゃくちゃタフで、結構しんどい。

 1クールが終わってから、10日か2週間くらい空けて次のクールに進むんですが、この間が一番怖いですね。1回始まると、もう受け入れるよって覚悟も決まるんですが、クールとクールの間っていうのは、怖いですね。

『3クール目も必要』と先生に言われた時、僕は母を溺愛しているので母に相談したら、『頑張ってほしいなんて言えない。でも賢太が頑張るんやったら、それを応援するだけ』って言ってくれて。それで僕はやるよと。ただ、1週間でもいいから長く休みたいとお願いしてから、今回3クール目に入ったんです」

── そのように苦しい治療のなかで、情報発信を続ける理由はなんでしょうか?

「僕が一番したいことっていうのは、僕のTwitterやYouTubeを見て、数秒だけでも『自分も頑張ろう』とか『元気になったな』って思えてもらえたら、一番うれしい。その数秒だけでいいんです。

 もちろん、SNSで発信することによって『がんになったらこういう治療があるよ』『抗がん剤治療というのはこんなにしんどいよ』とか知ってもらうのもいいことでしょう。けれど、僕はそんな大げさなものというよりは、僕が発信したSNSの画面をみんなが見て、『私も頑張ろう、俺も頑張ろう』って2〜3秒思ってもらえるだけでいいんですよ。

 あとはもう、顔洗って急いで仕事に行く用意をして、玄関を出た時には忘れてしまっていていい。そんなに大きなことを期待しているわけではないです。でも、見た人がちょっとだけでも元気になったと言ってもらえたら、もうそこが一番うれしいですね」

── そういう「短期間でも人に元気を与えたい」という思いは、常に思っていたことなのでしょうか? それとも闘病生活のなかで得た心境の変化なのでしょうか?

「そこはやっぱり、家庭環境が大きいと思うんですよね。うちは男3兄弟。長男の有はもう、若い時から野球で注目されて、高校1年に東北高校に行くので15歳〜16歳の時には家にいなかった。次男もあまり家にいなかったなかで、その家族の輪を、いつか絶対に自分の力で戻そう戻そうと思っているんです。

 それがたぶん、形にはなってきてるんですよ。本当にね、長い時間はかかったけれど......まだ完璧にはできてないんですが、自分的には全部、落ち着いてきたんですよ。30歳過ぎて、やっとね。

 そういう想いがあったからなのか、この病気になった時も、なんか悲観的にならなかったんですよ。僕もそれこそ、真面目に生きてきたほうではないんです。警察に捕まったりはないですが、女遊びをしたり、若い時にヤンチャをして、すごく人を傷つけてきたって思ってる。やっぱり、すごく後悔があるんですよ。

 だから病気が見つかった時、因果応報じゃないけれど、自分がやったことが返ってきたと思ったんです。それが返ってないと、僕は結局、やりっぱなしの人生じゃないですか。いいことも悪いことも返ってくるほうがいいし、自分の人生を振り返った時、やっぱりしんどいことや失敗からのほうが成長できた。

 だから、がんと闘病してる今は、僕としては学び。やっぱりがんにならないと、がんになった人の気持ちはわからないし、抗がん剤の苦しさも知らない。もちろん、全部わかったわけじゃないですよ。でも、少しはわかる体験をできているわけですから、たぶん、俺、病気してよかったんです」

 すごい考え方ですね──ふと、そんな言葉を漏らすと、「結局、今、僕にできることって、朝、腕を出してそこに点滴を入れてもらうことだけですけどね」と、賢太さんは事もなげに言った。

「闘病生活を公開することで、数秒でもいいから人に元気を与えたい」という彼の願いの根源には、やはり、家族への強い想い......あえて言葉にするなら「愛」があるようにも感じられた。

 インタビュー後半では、そんな賢太氏が語る「兄・ダルビッシュ有」像や、その関係性をお届けする。

◆ダルビッシュ賢太・後編>>兄・ダルビッシュ有を語る「メディア嫌いになったので、世間に伝わってこなかっただけ」


【profile】
ダルビッシュ賢太(けんた)
1992年1月19日生まれ、大阪府羽曳野市出身。イラン人の父と日本人の母を持ち、3人兄弟の三男として生まれる。長男はサンディエゴ・パドレス所属のダルビッシュ有、次男は元総合格闘家のダルビッシュ翔。2009年から「KENTA」の芸名で俳優活動をはじめ、その後パーソナルトレーナーに転身。2022年に精巣がんが見つかる。身長176cm。