【ブラタモリごっこ】Googleマップで「史跡」と検索すると街歩きが楽しくなるらしい♪見なれた街がRPGに

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街歩きってお好きですか?わたしはお誘いを受ければ楽しく歩くのですが、自らはあまり「歩きに出よう」とは思わないタイプ。近所をぶらつくにしても、何か目的がないとなかなか腰が上がらないものです。そんな人にも、街歩きガチ勢にも教えてあげたい「とっておきの秘密」がTwitterで話題になっています。Googleマップの裏ワザで、街歩きが各段に面白くなるんですって。とっても気になったので、さっそくレッツ街ブラ♪

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話題のツイートがこちら

ツイートされたのは漫画家・イラストレーターのzinbeiさん。
「とっておきの秘密」をこんなにも大々的に投稿してくれるなんて、太っ腹ですね。

「史跡」とは

貝塚、集落跡、城跡、古墳などの遺跡のうち歴史、学術上の価値の高いものを指し、国や自治体から指定されている場所だそうです。ウィキペディア調べです。

確かに、それらの場所をめぐるのは、知的好奇心が刺激されそう。
と言うか「散歩するのに目的地をくれー!」と思っているインドアなわたしには、かなりなお役立ち情報です。

普段目的地の名前や住所を入れて検索することに使っていたGoogle マップで、キーワード検索するという方法は目から鱗。

というか「その手があったか!」と両膝をバシバシ叩きたい気分。

さっそく街歩きに出てみることにしました。

知らない街を歩いてみたい

今回は家からも比較的近く、かつ何かありそうな匂いがしてくる東京都・世田谷区の一部で街歩きしてみようと思います。
まずはGoogleマップで史跡を検索。



え、案外たくさんある!

ちなみにこの赤い吹き出しに書いてあるマークは、史跡、名勝、天然記念物の地図記号。
茶畑の地図記号とほぼ同じなんですが、見分け方は、茶畑よりも史跡の地図記号の方が大きめ、とのこと。

とりあえずどこに行けばいいのかしら、と一瞬悩みますが、これだけたくさんの目的地候補があるならこの悩みもむしろお楽しみ。

まずは1箇所決めてそこへ向かい、たどり着いた時にどっちに行きたいかで決めることにしました。
オープンワールドのRPG感覚。

最初に目指したのはここ



萩原朔太郎終焉の地です。

テクテクと街を歩きます。
この時せっかくのお散歩だし、音楽とか聞かずに街の音まで楽しんじゃおうとイヤホンを外して歩いたのですが、すごく良かったです。
鳥の鳴き声や近隣のお家から漏れ出る大音量クラシック、公園で遊ぶ子供たちの声…
何だか世界が輝いて見えるかも!





こういう道とか階段、坂道って何となくエモいよな、と思いながら歩きます。
別段こんな場所で育ったわけでもないのにノスタルジーを感じてしまいます。

歩き続けること数分。着きました。



鉄塔!萩原朔太郎終焉の地は、鉄塔!
実はGoogle マップの情報で鉄塔なのは知ってたんですけど、実際到着してみてびっくり。
住宅街に突然現れる感じがしました。
史跡ってこんな住宅地にもあるんですね。



こちら鉄塔の麓にあった説明書き。
昔ここに萩原朔太郎が住んでいたから、終焉の地として記録されているのでしょうか。
ただし、鉄塔が登場するのは娘・葉子の小説らしいので、タイトルに葉子の要素もいるのでは?と思ったり思わなかったり。

そもそもここの正式名称は「萩原朔太郎終焉の地」ではないのか?



全くの余談ですが、隣には「がいし」の説明書きもありました。

「がいし」。聞いたことあるな、と思ったんです。

で、記憶を探ってみると出てきたのが宮沢賢治の詩「冬と銀河ステーション」に「電信柱の赤いがいしと松の森」という一節があったなと。

わたしは「がいし」を知らなかったので、勝手に「宮沢賢治のことだから、彼の世界観の中にあるものなんだろう」と軽く考えていましたが、これか!!!

この詩と出会った中学生の頃からの謎(というほどのものでもないけど)が解けました。
宮沢賢治の詩の謎が萩原朔太郎終焉の地で解ける…
わたしの中で「文学にゆかりのある貴重な資産」という認識が濃くなりました。

Googleマップの「史跡」は結構サクサクまわれる

とりあえず近くの史跡に行ってみるかと歩を進めること数分。
狐塚之霊碑につきました。



かなり古い霊碑ですが、これ、公園の中にあります。



この日は子どもたちが結構たくさんいて、お母さんたちも集まっていまして、なかなか賑やかでした。

この狐塚之霊碑には、キツネの霊魂を祀っているという役目があるそう。明治5年頃に病気や不慮の事故がこの辺りで続出し、それが「キツネにとりつかれたため」と思われたことから、祈祷によりキツネの魂を稲荷神社に封じ込めた、という経緯があったのです。

不幸が重なると、人はいろんな理由を付けたくなるもの。
そんな人間のサガがこの霊碑を造ったという事実の一方で、こんなに近隣の皆さんの憩いの場になっているって面白いですね。
祀られているキツネさんも賑やかで喜んでいることを心から願います。

1箇所ずつ、こうして何らかの思いを馳せて歩いていますが、案外サクサクと進んでいます。
歩き始めてまだ30分くらいでしょうか。

ここから向かったのが杉大門橋跡。

橋ってなんかいいよな~特に橋の下の鉄骨とかそそるよな~なんて考えながら歩いていたのですが、ついてみてびっくり。



橋じゃない…!

そうなんです、ここ、橋跡だけど普通の住宅街の中にあって、どちらかといえば遊歩道的な場所なんです。
地図見てもここに川があるわけでもない。



あくまで橋跡、跡なんだから、そりゃそうですよね。
勝手に橋とか小川とかを想像していました。

せっかくの遊歩道なんだから、歩いてみるか!と中を歩きます。
ちなみに、要所要所にこういった名前が書いてあるので、この辺は橋が多かったのでしょうね。







と、ここで、Googleマップで史跡とされている場所にたどり着きました。
松陰橋跡です。



でも、他のところと同じような形で名前が書いてあるものがない!

どうしたもんかと辺りをキョロキョロしますが、ここが「松陰橋」であることが記されているのはこの看板だけかと諦めかけた、その時。

ピンと来ました。

この道、所々に「ゴミはお持ち帰りください」という看板がかかっていたんです。
結構目立つように掲げてあったので印象に残っていたのですが、もしかして。



あった!

「ゴミはお持ち帰りください」の看板の後ろに隠れていました!

確かに大事なことなんですけど、ちょっとだけ切ない気持ちに。
せめて「松陰橋」の名前は見えるようにしてあげて欲しいな…
一応、史跡としてGoogle マップに載っているわけですから。

実はわたし、母方の実家が山口県。一時期わたしも山口でお仕事をしていた関係で、吉田松陰のことは日頃から「松陰先生」とお呼びしているのですが、松陰先生の神社が近くにあるとなれば行かないわけにはいきません。
ということで次の目的地、決定。

ほんの数分の距離で到着。





ちなみに史跡としてGoogle マップにあったのは、この一之鳥居扁額です。
かぶっていた帽子を脱ぎ、一礼して境内へ。

松陰先生の像が迎えてくださいました。



松陰先生の絵はよく拝見していますが、像で見るとなんか若い!めちゃくちゃお若い感じがします。
それもそのはず、松陰先生は30歳で亡くなっていますので、この像のようにお肌がパーンと張った感じが正しいのです。

この後は普通にお参りをしておみくじを引きました。



大吉を引き、松陰先生らしいありがたいお言葉をいただいて大満足。

ちなみに、境内には松陰先生たちのお墓に加えて松下村塾(模造)もあります。



この模造松下村塾は、昭和13年に隣接する国士舘校内に松陰先生顕彰のために作られたものだそうです。
当時、全ての建築材料を山口県の萩で集めて、東京に移送して造ったとか。かなり力が入ってます。(松下村塾は山口県萩市にありました)

さて、松陰神社はたっぷりと時間をかけてお参りしてしまったのですが、ここまでで大体1時間半。(松陰神社についた時点で1時間)
一人で歩くお散歩の所要時間としてはいい感じなのではないでしょうか。

終わりどころを見つけられない、というのが欠点かもしれませんが、それくらい楽しくて疲れませんでした。
今回はストイックに史跡だけを歩いて回りましたが、途中カフェなどで休憩を挟めば、1日かけて充実できるのではないかと思います。

これは新しい趣味に認定しても良さそう!

ただの地図上では住宅街でも、史跡マップを持って歩いてみると、いろんな発見があります。
自分で語れるうんちくが無くても、ガイドさんがいなかったとしても、史跡の説明書きなどを読んで歩くとすごく充実感が得られますよ。

たとえば家族で休日に行くところに困った時や、友人同士、カップルのお出かけのマンネリ化防止などにも役立つのではないかと思います。

わたし個人としては、ちょっと気分転換をしたい時や「あー、今日のお休み充実したな」と思いたい時にやる新しい趣味にしたいなと思いました。

本当に「とっておき」。
みなさん、ぜひ、やってみてください!