賃金が上がらなくなったきっかけは1990年代の出来事が原因の可能性(写真:makaron/PIXTA)

物価の上昇を懸念する声が高まっています。しかし、個々の商品やサービスの価格をつぶさに見ると、実は上昇している品目はわずかなのです。こうした状況は日本特有で、長年の間、賃金が上がらないという副作用を招きました。なぜこのような事態に陥ったのか、理由と背景について『世界インフレの謎』より一部抜粋・編集して解説します。

物価はCPI(消費者物価指数)で見るのがもっとも一般的です。日本では総務省統計局がこの統計を作っており、毎月月末になると新しい数字が公表されます。最近は物価が注目を集めており、新聞やテレビでも大々的に報道されるので、気づかれた方も多いのではないかと思います。

ただ、報道されるのは「先月は全体で〇%の上昇でした」という数字ばかりです。これを見るだけでは、たとえば日本のインフレ率が、IMFに加盟する192カ国の中で最下位というようなことはわかりますが、なぜ最下位なのかまではわかりません。「なぜ」までたどり着くにはもう少し工夫が必要です。

600品目の状況を可視化

実は、「〇%」という数字の背後には、それを形づくる、もっとたくさんの数字が存在しています。当たり前のことですが、物価というのは何か単一のものの値段ではありません。世の中で売り買いされているさまざまな品物の値段を集めて作られています。

具体的に言えば、日本の消費者物価は約600の品目から構成されています。600品目の中には、シャンプーなどのモノはもちろん、理髪料金などのサービスも含まれています。そうしたさまざまな品目について価格を調査し、それを集計することで〇%という数字になるのです。

日本の物価が奇妙なことになっているということは、世界最下位だということからも、ある程度は理解できると思います。私は数年前にこの奇妙さの正体を知りたいと考え、どのようにデータを料理すればよいかと工夫しました。たくさんのデータを使ってあれこれと複雑な分析をすることはもちろんできるのですが、それでは複雑な分析の結果を複雑なかたちで見せるということになってしまいます。そこをひと工夫したかったのです。今風の言葉で言えば、データの可視化です。

そうして私が最終的に行き着いたのは、600品目のそれぞれについて前年の同じ月からどれだけ上がったか下がったか、つまり個別の品目ごとのインフレ率を計算し、その頻度分布を描くという方法でした。誰でも思いつきそうなことですが消費者物価のデータをそのようなかたちで可視化した例はなかったようで、その後、「渡辺チャート」と呼ばれるようになりました。

下の図は2022年6月の数字を使ってそのチャートを描いたものです。横軸は品目別のインフレ率です。たとえばプラス20%というのはその品目が20%上昇したことを、マイナス20%はその品目が20%下落したことを意味します。縦軸は、その品目が600品目全体に占める割合を示しています。

割合とは、その品目が何個あるかという「個数」ではなく、その品目の消費金額が全体の消費金額に占める割合にしています。その品目が私たちの生活で重要な品目で、たくさんの金額をそれに費やしている場合は、縦軸方向の棒の高さが高くなります。


このチャートから読み取れる第一のことは、高インフレの進行です。ガソリンなどエネルギー関連の品目が10%を超す高い伸びとなっています。これは、海外発のインフレが国境を越えて侵入してきているということを示しています。本稿ではこれを「急性インフレ」と呼ぶことにします。

このチャートのもうひとつの注目点は、横軸のゼロ%の近辺に鋭角的にそびえたつピークです。これは多くの品目がインフレ率ゼロの近辺に集中していることを意味しています。正確に計算すると、私たちが日常的に購入するモノ・サービスのうち約4割がゼロ近辺にあることがわかります。

言い換えれば、日本の企業の約4割は昨年と同じ値札をつけているということです。私はこれを日本企業の「価格据え置き慣行」と呼んでいます。この現象は1990年代後半から観察されるようになったのですが、それがいまなお続いており、日本経済の慢性的な病となっています。これを「慢性デフレ」と呼ぶことにします。

米欧のデータを使って同じ図を描いてみると、急性インフレは日本と同じように現れますが、ゼロ%にそびえたつピークは見られません。つまり、慢性デフレは日本に特有の現象だということです。

先ほど述べた、日本のインフレ率が最下位であることや価格転嫁ができないことは、慢性デフレと密接な関係にあります。約4割の品目がゼロ%なのですから、残りの6割がいくら頑張っても全体としてのインフレ率が顕著に高まることは期待できません。だからこそ万年「最下位」です。

また、輸入物価が上がったとしても、約4割の品目はゼロ%で、転嫁率もゼロです。それゆえ、全体としての平均的な転嫁率も低いのです。このように、日本の物価に見られる奇妙さの多くは、ゼロ%の品目がたくさんあるということに起因しています。

このように、日本は「急性インフレ」と「慢性デフレ」という2つの病を抱えることを、データは示しています。こうした日本の問題の複雑さは、米国と比較すると、よりはっきりと見えてきます。

米国の病は急性インフレだけなので、その治療に専念すればよいことになります。インフレが問題であれば、治療は金融引き締めです。もちろん、どのように、どの程度引き締めるのかという技術的な難しさや、引き締めを嫌がる勢力をどう説得するかという政治的な難しさはあります。しかし、少なくとも原理的にはやるべきことは単純で、貨幣量を減らし金利を上げる。これに尽きます。

実際、米国はその治療をすでに実行に移しています。金融の世界はグローバルにつながっているので、各国の中央銀行が行う金融政策は、多くの場合は同じ方向を向くようになります。

日本は金融引き締めに転じるべきか

ところが、2022年現在、米国が引き締めを始めているのに対し、日本は金融緩和を維持しており、政策の方向が正反対を向く状態となっています。その結果、為替相場が円安方向に不安定化するなど、不都合を引き起こしています。こうしたことを踏まえれば、米国と同じく日本も引き締めに転じるべきという最近よく耳にする主張にも、たしかに一理あると言えるでしょう。

たしかに、日本も米国と同じように引き締めを始めれば、急性インフレという病にはよい効果が期待できます。しかし同時に、引き締めにともない生産や雇用は悪化するので、消費者は生活防衛に走ることになるでしょう。そのとき消費者は、いまよりもさらに価格に敏感になります。

そうすると企業は、価格の引き上げによって顧客を失うリスクが高まったと認識し、原価が上昇しても価格を据え置くという姿勢をさらに強めることでしょう。その結果、先ほどの図のゼロ近辺の品目はさらに増加し、そびえたつピークはもっと高くなります。

このように、金融引き締めは急性インフレという病は癒すことができますが、同時に、日本が長年患ってきている病、慢性デフレをさらに悪化させてしまうことにもなるのです。

日本には価格が動かない品目がたくさんあるという、先ほどの話を講演会などで話すと、「日本は昔からそうだった」という意見がかならず返ってきます。日本の企業は顧客を大事にするので原価が多少上がっても耐える、それは国民性に根差すものだというのです。しかしデータを見る限り、昔からそうだった、これは国民性だというのは、正しくありません。

下の図は、モノの価格、サービスの価格、そして賃金がこれまでどのように推移してきたかを示したものです。比較のために米国の同じグラフも下に示してあります。図は1973年から始まっていますが、これは変動相場制に移行した年です。固定相場制と変動相場制では物価の決まり方が異なるので、ここでは変動相場制の時期に絞っています。


モノ価格、サービス価格、賃金のいずれも、1973年から95年ごろまでは右肩上がりです。米国の図と比べても、右肩上がりの傾きは遜色なさそうです。つまり、それまで日本の価格は(そして賃金も)しっかり動いていたのです。

1970年代や80年代のデータを使って渡辺チャートを描いてみると、先ほど見たような、ゼロ%のところに高いピークがそびえたつ図にはなりません。ゼロ%が突出して多いということはまったくなく、ピークは2〜3%の近辺にあり、米欧のデータを使って描いた図と同じ形状をしています。このことから、昔からそうだった、国民性だからといった説明は的外れであると言えるでしょう。

ところが、1990年代後半以降は、モノ価格、サービス価格、賃金のどれもが、それまでとはまったく異なる動きに変わります。あたかも定規を当てて水平線を描いたかのように、いっさいの動きが止まってしまうのです。これこそが、慢性デフレです。

日本のグラフの異様さは、下の米国のものと比較すると一目瞭然です。米国は1995年以降も、それまでとほぼ同じ右肩上がりを続けています。米国以外について同じ図を描いてみても、日本のような奇妙な動きを見せる国はひとつもありません。

それにしても、なぜこのような劇的な変化が起こったのでしょうか。ここでは、そのタイミングから類推できること、1990年代後半に発生した金融危機との関連を指摘しておきたいと思います。

1997年の山一證券の破綻を機に、大手の金融機関が次々と経営難におちいったあの時期のことをご記憶の方も多いだろうと思います。金融危機によって雇用が確保されるかどうかという心配に駆られた人々は、生活を切り詰めるようになりました。

そうした中では、当然のことながら消費者は価格に敏感になるので、企業は値上げなど考えることすらできなくなります。どの経営者も守りに入り賃金も凍結されます。このように考えれば、あの当時、価格と賃金がぱったりと動きを止めたのは当然と思えてきます。

しかし不思議なのは、その後のことです。2000年代には金融機関の経営も安定を取り戻し、景気も持ち直したのですが、それでも価格と賃金は横這いのままだったのです。両方ともあたかも凍りついたように動いていません。そしてその状態のまま今日に至っているのです。


動きを停止したのが、モノ価格、サービス価格、賃金の3つ、ほぼ同時だったのは、偶然ではありません。賃金だけが横這いで価格は右肩上がりを続けたとすれば、消費者は生活が成り立ちません。賃金が横這いだとすれば価格も横這いでなければ困るのです。

一方、企業にとっては、賃金が右肩上がりで価格は横這いというのでは経営が成り立ちません。価格が横這いなのであれば賃金も横這いでなければ困ります。

かくして、価格も賃金も同時に横這いというのが、両者の「落としどころ」になったと考えられます。本音を言えば、消費者は賃上げが欲しいでしょうし、企業は値上げが欲しいでしょう。しかしそこまで欲張れないとすれば、三つ巴で横這いというのは、それなりに居心地のよい状態と言えなくもありません。だからこそ、それが長続きしているのでしょう。

(渡辺 努 : 東京大学大学院経済学研究科教授)