■私が銀座のクラブを知った日

私にも、銀座を見なければ眠れない日々があった。

ハナから私事で恐縮だが、私と銀座の縁から書くことをお許しいただきたい。

MTG社のEMSトレーニング機器「SIXPAD」の新製品発表会に出席した俳優の香川照之さん(=2018年9月14日、東京都港区のリッツ・カールトン東京)写真=時事通信フォト

早稲田大学の3年間、私は「バーテンダー」をやっていた。アルバイトではない。当時は、履歴書に「高校卒」と書けば、何も聞かずに雇ってくれた。その前に、バーテンダースクールに3カ月ほど通っていた。

新宿、渋谷、上野と流れ、お決まりの年上のホステスと半同棲。彼女が銀座のクラブで働いていたため、銀座のクラブというのを知ることになる。

クラブの名は『ジュン』といった。当時としては超が付く一流店だった。店の前に黒服が立ち、入る客を誰何(すいか)する。私は毎晩のように、彼女が店を終わって出てくるのを待っていた。

あるとき、塚本純子ママが、「あの子も入れてあげなさい」といったらしく、クラブに招き入れられた。

煌(きら)びやかな内装で、派手な女性たちが着飾っているというイメージがあったが、そうではなく、高級な美人喫茶のような店だった。女性も私より年上ばかり。「あなた学生さんなの?」と珍しそうにじろじろ見られたが、優しく接してくれた。

記憶に間違いなければ、俳優の二谷英明が馴染みのホステスと話し込んでいた。女優の司葉子の夫の相澤英之自民党議員が数人のホステスを相手に語らっていた。静かな時間が流れていた。

■ママに「請求書を送ってよ」というと…

それから2年後、編集者になった私は、売れっ子作家と銀座で食事をしていた。作家から「どこか銀座のクラブへ行きたい」といわれたが、新米編集者に顔のきく店などあるわけもない。仕方なく『ジュン』へ行って、黒服に「ママを呼んでくれ」と頼んだ。

塚本ママは快く入れてくれたが、作家のほうは仰天していた。私の面目は立ったが、心配なのは勘定である。ママに名刺を渡し、「ここへ請求書を送って」といったが、いくらになるか気が気ではなかった。貧乏月刊誌では銀座のクラブの接待費など出るわけはない。

といって、月給5万円の私に払う余裕はない。だが、いつまでたっても請求書は送られてこなかった。しばらくして、恐る恐る店に行ってみた。ママに「請求書を送ってよ」というと、「いいのよ、出世払いで」と笑っているだけだった。

そんなことが3、4回続いたある夜、ママから、「今度、この店にいた子が独立して小さなクラブを開いたの。行ってやって」といわれた。ピンときた。ここは今のお前には分不相応だから、もっと安い気軽な店にいったほうがいい。そうママはいいたいのだと。

■香川照之氏とENEOS元会長のセクハラはなぜ起きたか

それから十数年がたち、私は銀座で毎晩のように飲むようになった。だが、なぜか『ジュン』だけには足を向けなかった。当時の彼女と別れてしまったのも、気おくれさせた理由だった。気がつくと店はなくなっていた。出世はしなかったが、あの時溜まったツケを払う機会がなくなってしまった。

さて、本題に戻ろう。俳優の香川照之氏(56)と石油元売り最大手ENEOSホールディングス会長だった杉森務氏(66)が、高級クラブでホステス嬢にした乱暴狼藉は、この2人の卑しい本質を満天下に知らしめることになった。

なぜ彼らが、強制わいせつ罪にも問われかねないセクハラを、ホステス嬢にしたのかを考える前に、彼らの行状を見てみよう。

まずは杉森氏のケースから。彼は「1979年、一橋大学卒業後に当時の日本石油に入社。99年に日本石油と三菱石油が統合された際は販売企画課長として、新ブランド『ENEOS』の誕生に尽力し、2017年に東燃ゼネラルと統合した翌年、グループのホールディングス社長に就任した人物である」(週刊新潮9月29日号)

週刊新潮によると、7月1日、杉森氏は沖縄の得意先の幹部らとともに、那覇市の中心部にある歓楽街・松山の高級クラブに来店したという。

■女性は幾度も拒む仕草を見せたが…

店のVIPルームで飲み始めた杉森氏は、隣に座った初対面の30代女性ホステスをいたく気に入った様子で、手を握ったりした後、大声を出して彼女を抱き寄せたというのだ。

「持ち込みのワインを飲みだして気持ちが大きくなったのか、杉森さんは彼女のドレスの中に手を入れて、胸を触り始めた。それには飽き足らず、ついにキスを強要した。彼女の肩に手を回し、その腕で強引に首を絞めるような格好で唇を奪ったのです」(同店の内情を知る関係者)

女性は幾度も拒む仕草を見せたが、杉森氏は「銀座では普通だよ、こんなの」「いいから乳首、触らせろ」などとしつこくいい募り、別のホステスにも同様の行為を働いたという。

そして、ドレスを強引に脱がしてしまったというのである。

「こうした状況が2時間近くも続き、さすがに見かねた他のホステスが“会長、こっちで歌いましょう”とカラオケを勧めたりしたようですが、それでは満足できなかったのでしょう。杉森さんはセクハラを続けてきた彼女のドレスを強引に脱がし、上半身を素っ裸の状態にしてしまったのです」(同)

衆人環視の中で理不尽なことをされた女性は、その場に泣き崩れてしまった。そしてようやく店側は、ホステスを交代させる形で彼女を解放したという。

さすがに杉森氏たちは帰ったが、懲りずに翌日も来店したというから呆れる。

だが、被害を受けた彼女は体に異変を感じていた。

■強い腕力で迫られ、何度も抵抗したことが原因に

「帰宅した翌日、病院で検査を受けたところ、肋骨の骨折や、首がむち打ちのような状態となっていることが認められ、全治2週間との診断を受けたようです。強い腕力で杉森さんが迫り、それを拒もうと何度も抵抗したことが原因になったと思います」(同)

それだけではない。その日以来彼女はPTSD(心的外傷後ストレス障害)のような症状に悩まされ、仕事も満足にできない状態だというのだ。

刑事事件になってもおかしくはない。被害女性は、杉森氏に謝罪や治療費を求めるために連絡を取ったが、応対したのはENEOS本体だったという。

そして、“事件”から1カ月以上がたった8月12日、杉森氏は取締役会で辞任を表明したのである。

ENEOS側は週刊新潮に対してこう答えている。

「元会長による不適切な言動は当社にとって受け入れがたいものであるとして、元会長に速やかな辞任を求めるなどの対策を講じました。元会長も深い反省を示し、辞任届を出したことから受け入れることとしたものです。

その一方で、当社は被害女性が当時のことを思い出すことに非常なストレスを感じておられる旨をお伺いしており、辞任理由における本件への言及も含めて、プライバシーに関わる恐れがある情報発信は厳に控えておりました」(ENEOSホールディングス広報部)

写真=iStock.com/MaximFesenko
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MaximFesenko

■香川氏は銀座のクラブでセクハラに及んだ

直近まで独裁的に牛耳ってきたトップに対して、広報がかなり思い切ったことをいっているのは、それだけ、社にとっても目に余る破廉恥行為で、これが報じられれば社の大きなイメージダウンになると認識しているからだろう。

新聞は辞任したと報じただけだったが、デイリー新潮が報じたのを知り、慌てて「杉森務氏(66)の辞任理由について、性暴力だったと明らかにした」(朝日新聞デジタル9月21日 15時50分)と後追いした。

香川照之氏が銀座のクラブで、ホステスにセクハラの限りを尽くしていたと報じたのも週刊新潮(9月1日号)だった。

2019年7月、銀座のクラブでホステスに対して胸部を触る、キスをするなどの性加害に及び、被害女性がPTSDを患っていたことが判明したというのである。

件の女性・美麗(仮名)は、トラブル翌年の20年5月、香川氏の暴走を止められなかったという理由で、クラブのママに対して損害賠償の請求訴訟を起こしたという。

■それほど酔っていなかったが、様子がおかしくなり…

「東京地裁に提起された訴訟自体はすでに昨年、取り下げられているが、手元にある訴状によると、香川は19年7月に、銀座の高級クラブを訪れていた。その訴状には、同日午後11時ごろ、当該クラブの個室で行われたこととして、こう書かれているのである。

〈訴外香川の隣にいた子が席を外したため、その席に原告が移動したところ、突然、訴外香川は、原告の服の中に手を入れ、ブラジャーを剝ぎ取った。剝ぎ取られたブラジャーは、被告及び同行の客3名に次々と渡され、全員がその匂いを嗅ぎ、いろいろと卑猥なことを申し述べた〉
〈そして、訴外香川は、原告にキスし、服の中に手を入れ、原告の乳房を直になでまわしたり揉んだりして弄(もてあそ)んだ〉

その場に居合わせたほかのホステスにも話を聞いてみたところ、香川氏は来店当初それほど酔っておらず、陽気に盛り上げ役に徹していたという。

しかし、徐々に様子がおかしくなり、ホステスのドレスに手を突っ込んでわきを触り、匂いを嗅ぐなどの行為に及んだ。そして、極め付きが美麗さんをターゲットにしたセクハラだったという。

「『彼女は明るく、酔ったお客さんをあしらうのが上手で、だから余計にいじられたのでしょう。間もなく香川さんは美麗さんのブラジャーを剥ぎ取り、その匂いを嗅ぎながら彼女をはやし立てました。さらには美麗さんの胸元に手を突っ込んで、胸をもみはじめた。キスまでしていましたからね』」(週刊新潮)

■口外しない“掟”はあっても、度を越している

こちらも強制わいせつ罪になりかねない行為である。その上、あまり酔ってはおらず、初めての店で、これだけのハレンチなことができるというのは、ほかにも“余罪”がありそうだ。

クラブのママに損害賠償を求めたというのだから、当然、香川氏にも同様のことをしたと思える。香川氏側は、事務所があわてて謝罪に訪れ、慰謝料の名目で多額の金品を彼女に払って示談にしたのだろうか。

銀座には店で起きたことは口外しないという“掟”はある。だが、香川氏の行為は度を越している。口外されても仕方ない。

香川氏の場合もセクハラの代償はあまりにも大きかった。もはや「土下座」しても元には戻らない。

この2人のセクハラ報道を読みながら、沖縄のクラブは知らないが、私も知っている銀座のクラブで、なぜ、こんなことが起きたのかを考えてみた。

■今回のような大騒動になったケースを知らない

昔も、勝新太郎が十数人も引き連れてクラブをはしごしていたり、石原裕次郎がホステスを何人も愛人にしたりといわれた店はあった。

私は、あるクラブで顔見知りのヤクザに挨拶されたこともあった。しかし、彼らは大声を出すことも他の客にすごむこともなく、静かに飲んで静かに出て行った。

写真=iStock.com/ez_thug
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ez_thug

時には、芸能人が酔ってくだを巻いたこともあったが、芸能ゴシップの片隅に出るくらいだった。記憶をたどっても、今回のような大ごとになったケースを思い出せない。

なぜなのだろう? 雇われママが多くなったため、ママが昔のように、客に“毅然(きぜん)”と対処できていないからか。働いている女性たちが、おカネだけが目当てで、自分の仕事に誇りを持っていないからか。

今はほとんどないが、二昔前までは「文壇バー」というのがいくつかあった。そこへ行けば、綺羅星のごとく、売れっ子から文豪といわれる作家たちに会え、話を聞くことができた。酒の飲み方は作家の山口瞳さんに教えてもらった。社会や時代を見る眼は本田靖春さんから学んだ。  

多少のノスタルジーもあるが、銀座のクラブはホステス嬢と疑似恋愛もできる「大人の社交場」だったのだ。そこでは「粋」に遊ぶことを学んだ。

■一番変わったのは「お客」ではないか

何度か一緒に酒を飲んだ作家の渡辺淳一さんが、「クラブでモテる秘訣は女性を口説かないことだ」といっていた。今夜は彼女を何が何でも口説くぞとギラついた眼をしている男に、真っ当なホステス嬢は靡(なび)かない。私のことをいわれているようでドキッとしたものだった。

こう考えてみると、あの当時と一番変わったのは「お客」ではないかという結論にたどり着く。なぜなら、今回の2つのケースで不可解なのは、これだけの傍若無人な行為を、衆人環視の店の中でやっていた(杉森氏の場合はVIP専用の個室だそうだが)にもかかわらず、止めようとした客がいなかったということである。

クラブというのは、あるハードル(カネや地位)を越えた人たちの集まりだから、店に入れば浮世のしがらみを忘れて、ひと時を過ごすというのが共通認識であるはずだ。有名芸能人だろうと大企業の会長だろうと、座を乱す奴は、ほかの客が黙っていなかった。少なくとも、私が通っていた頃の銀座はそうだった。

ましてや、今回の暴行行為は、店側が穏便に収めようとしても、客が承知しないはずだ。

■クラブという「場」が変わってしまった

もし私がその場にいたら、「やめろ」と怒鳴ったに違いない。ほかの客も、香川氏や杉森氏を止めたはずだ。それは、人道的な行為というわけではない。銀座だけではなく、クラブというのはそういう「場」だったのだ。

今は、客もママも、ホステス嬢たちも変わってしまったのだろう。全部がそうだとはいわないが、銀座のクラブが、安手のキャバクラと変わりがなくなってしまった。2人の目を覆うばかりのセクハラは、そういう時代を象徴する“事件”だと、私には思える。

長年、銀座で多くの酔客を見てきた『クラブ由美』のママ・伊藤由美さんが『「運と不運」には理由があります 銀座のママは見た、成功を遠ざける残念な習慣33』(ワニブックス)でこう書いている。

「お酒は人間を丸裸にします。理性のタガが緩み、心の鎧が外され、その人の本質が表に出てきます。酒は人なり。お酒を飲んだときの品性=酒品は、その人の本当の姿でもあるのです」

酒品か。杉森氏や香川氏は酒でその人となりが露わになった。2人の行為に多くの人が顔をしかめただろうが、自分の酒品がそれほどいいものか、改めて問い直すことも必要だろう。杉森氏や香川氏の卑劣な行いは、そのことの大切さを教えてくれる。

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。
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(ジャーナリスト 元木 昌彦)