カンニング竹山のツイートは、まっすぐに最も重要な事を伝えている - 赤木智弘

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※この記事は2016年06月04日にBLOGOSで公開されたものです

 お笑い芸人のカンニング竹山氏(以下、敬称略)が、福島第一原子力発電所の視察を行ったと自らのツイッターアカウントで報告を行った。(*1)

 そして多くの反原発と思わしき人たちから「東電に金をもらって安全アピールをしている」とか「裏に隠されている事実を無視している」とか「0.01とは何の数字だ!」といった中傷と思しきリプライを送りつけられている。

 カンニング竹山は、震災以降、幾度と無くプライベートで福島を訪れては、観光地を回ったり、食事をしたりと、福島の現状をツイートしてきた。その活動が反原発の癇に障ったのだろう、事あるごとに「御用」扱いされ、中傷の的にされてきた。

 そうした反原発が福島の現状をポジティブに伝える人を御用扱いする理由は、もはや明確である。恐怖を煽り、人々の支持を得ようとして描き出した「人々が鼻血を出しながら、バタバタと死んでいくフクシマ」という青写真が全く実現せず反原発に恥をかかせた。自分たちの「正しい忠告」を無視して、放射能地獄であるはずの福島に残った人たちが元気にやっているのが許せない。

 そんな他人の不幸を糧にしなければ反原発の1つも主張できない連中が、ただ有名人が福島の現状を伝えただけで、頭から湯気を吹き出して怒っている。彼らの抱えるリスクは放射線よりも、怒りのあまりの脳卒中の方が高いだろう。とても心配だ。

 中には「相方が白血病で亡くなったのに酷いやつだ!」などと送りつけている人までいる。

 カンニング竹山のかつての相方である中島氏が白血病で亡くなったのは2006年。原発事故とは全く関係がないことは言うまでもない。他人の死を利用してまで、カンニング竹山に誹謗中傷の言葉を投げつける反原発の行動は、極めて卑劣であると言えよう。

 中でも「プライベートの視察なんてありえない。金をもらってやっているのだろう」と思っている人は多い。しかし、僕はこの視察に金が出ているとはまったく思っていない。なぜなら、僕自身も福島第一原発に視察に行っており、お金どころかアゴアシも出なかったからである。

 僕が行ったのは今年2月の上旬だった。

 原発事故の社会的影響などを調べ、『「フクシマ」論』など、数多くの著作を送り出している社会学者の開沼博さんに誘われる形で、視察に同行させてもらった。常磐線でいわき駅まで行き、そこからタクシーでJビレッジまでと帰りの往復は自腹であった。

 Jビレッジから福島第一原発へは、立ち入り制限区域や東電の敷地を通るので、東電側が用意した送迎バスを利用する。貴重品などの荷物はJビレッジに置き、メモのためのノートや筆記具などの最小限のものだけを持って移動する。ここではまだ普段着のままである。

 2015年5月から運用が開始されている大型休憩所に入り、いろいろと説明を受けたり、内部被曝量の検査を受けたりして、その後、食事をとる。食事はメニューが4種類あり、一律380円で提供されている。この食事も自腹である。そして、何より東電側から執筆なり宣伝の依頼なんていうこともなかった。カンニング竹山の「プライベートで視察」というのは実に正しい言葉である。

 さて、カンニング竹山のツイートを最初にちらっとだけ見たときに僕はこう思った。「ああ、バスから降りない形での視察だったのか」と。

 なぜなら、僕が行った時は防護服なしで外に出られるエリアは、大型休憩所周辺と、5・6号路側だけであり、敷地の大半は防護服着用。その上で、防じんマスクのみで良いエリア、半面マスクのエリア、全面マスクのエリアと分かれている。そんな状況だったからだ。

 まずは構内用の靴下を履き、自分の上着の胸ポケットなり、ポケット付きのベストなりに積算線量計を入れる。その上に防護服を着用する。防護服は不織布製で、放射性物質の衣類への付着を防ぐ役割だ。次に靴下をもう1枚、防護服の裾を入れ込む形で履く。次に半面マスク。決して息苦しくないが、慣れないうちはゴムの臭いが鼻につく。そして手袋。防護服の袖を入れ込む形で1枚して、その上をテープでぐるぐる巻きにする。そしてもう1枚。裾や袖から放射性物質が入り込まないように、徹底的にガードをする。目には自前のメガネかゴーグル。外に露出している部分は顔の半分だけである。僕は単なる視察だからいいが、この装備で作業する作業員たちの苦労は、想像に難くないものであった。

 2月初旬当時では、ここまでしてはじめて原子力建屋直近以外の大半の場所に降りることができたのである。

 ところが6月上旬の今では、カンニング竹山は防護服も着ていなければ、マスクすらしていない。最初にこの話を聞いた時に「バスから降りない形だったのかな?」と思ったが、写真を見たらバスから降りている。線量計を入れるベストを除けば、普通の工事現場などでの格好となにも変わりはない。

 線量が低い場所を回ったのかとおもいきや、同行した共同通信の記者が書いた記事(*2)には「1~4号機を見渡せる高台でバスを降りた」とある。この場所は、僕が視察した時には、建屋のすぐ側を除けばもっとも線量が高く、防護服を着ていてもあまり長居をしたくないと、案内してくれた方がおっしゃっていた場所だった。防護服もマスクも無しでその場所に降りられるということは、それだけ放射性物質への対策が進んだということである。

 反原発の中傷には「そんなに線量が低いはずがないだろう!嘘をつくな!」というものもあった。彼らがいかにニュースや東電側のリリースを見ずに、ネットや身内の情報だけで知った気になっているかという証拠でもある。

 福島第一原発では、構内の表土剥ぎとりと、モルタル吹付けを急いでいた。多くの放射性物質を含む表土をなくし、その上からモルタルを吹き付けることで、地中に残った放射性物質から発せられる放射線がモルタルで遮られると共に、また風雨による放射性物質の飛散や地下への染みこみを防ぐことができる。僕が行った時にはまだ土と砂利がたくさん残されていたが、記事に掲載された写真の下の方を見ると、地表のほとんどが灰色のモルタルになっていることが分かる。

 もちろん、モルタル吹き付けでの放射線量削減は、あくまでも福島第一原発という管理された場所でのみ行うことができることである。原発構内の放射線量が低いからといって、周辺の立ち入り制限区域の放射線量が下がったということではない。また、当然立ち入り制限区域の全ての地面にモルタルを吹き付けることが現実的ではないことは言うまでもない。あくまでも限られた範囲での処置である。

 では、なぜそんなことをする必要があるのか。東電が安全をアピールしたいから、無理やり構内の線量を下げているのだろうか。

 いや、そうではない。防護服などを着こまなくても作業をできる環境が、今後何十年にもわたって続くであろう、事故を起こした原発の廃炉という作業において、極めて重要であるから線量を下げたのである。  事故対応において最も重要な事は、作業員の労働環境が真っ当なことである。

 事故が起こった当初、作業員たちはJビレッジで防護服を着こみ、バスで福島第一原発まで移動していた。マスクも全面マスクで、鼻が痒くなってもかくことすらできなかった。労働環境は極めて過酷だった。

 僕が行った時は、大型休憩所で防護服を着た。マスクもハーフマスクなので、顔をかくことができる。しかし、防護服で耳は塞がれ声は聞こえにくいし、声を発する方もハーフマスクをしているので、声がこもってしまう。そして体が掻きづらいことは言うまでもない。

 工事の現場では、お互いの姿が見えない状態で作業をすることも多く、正確な声掛けやコミュニケーションが安全上重要になってくる。耳や口元を覆われた状態での作業というのは、できれば避けたい状況である。

 福島第一原発での事故が起きて以降、様々な作業員が現場に出入りしてきた。しかし、最初の頃はあまり多くの人を送り込むことができなかった。構内には元からある建物はあったが、震災の影響でそのダメージは大きく、使えなくなったまま放置されている建物も多かった。構内には大型休憩所もなく、作業の拠点は分散し、作業員の負担はあまりに大きく、労働できる時間も短く、作業効率も悪かった。

 その後、徐々に除染や労働環境の整備を進めることで、徐々に受け入れることのできる作業員の数は増えていった。福島第一原発構内で着替えや休憩ができるようになり、作業員の負担は減った。そして今回、カンニング竹山が、防護服すら着なくなっても働ける環境になったと伝えたのである。これで、積算線量計の装備を除けば、ほぼ他の現場と変わらない労働環境になったということである。

 改めてカンニング竹山のツイートを見返すと、彼が伝えているのはまさにこの「労働環境の改善」(*1)(*3)である。

 原発事故当初の緊迫状態の中、事故の抑止に向けて働いた作業員たちが「サムライ」などと讃えられていた。そこには当然の敬意がある一方で、労働環境が死の可能性すらある悲壮な状態であったということの裏返しであるともいえた。そうした中で福島第一原発の作業員というのは、一部の人達には「ニッポンスゲー」の材料として翼賛され、一部の人達には「汚染されたフクシマの真実を伝える人材」として利用された。いずれにせよ、福島第一原発での作業員というのは、他の現場の作業員とは異なる存在として扱われていた。

 しかし、これから数十年、もしくは数百年続くであろう、事故を起こした原子炉の廃炉作業において必要なのは、特別扱いされる作業員ではなく、他の現場と同じように着々と仕事をこなす普通の作業員である。

 今後の廃炉作業がどのように進むものであるとしても、原子力専門の技術者を除けば、現場で行われる作業というのは必要な施設の建設や、不要な施設の撤去。そして作業員に対しての食事や販売といったサービスの提供という、どこの大型現場にでもある、普通で、しかも不可欠な作業である。

 そうした普通の作業を適切にこなすためには、普通の作業員たちの存在が必要不可欠なのである。だからこそ、東電は作業員の負担を減らし、労働環境を良くすることを急いでいるのである。

 廃炉作業が数十年、数百年続くということは、福島第一原発という現場で、20年30年働き続ける作業員がいてもおかしくないということだ。これから働き始める若者が、もしかしたら引退するまで福島第一原発の現場で働き続けるかもしれない。そうした作業員たちに、快適で安全な職場を提供すること。そうしたごく当たり前のことを真っ当に行えばこそ、それだけ廃炉作業は早く、かつ安全に進むのである。

 カンニング竹山は、そのことを自らの言葉で率直に伝えたのである。「福島は安全」ではなく「作業員に笑顔や活気があること」に注目したのである。彼は今の福島第一原発で、もっとも重要なことを伝えたといえよう。

*1:本日、プライベートで東京電力福島第一原子力発電所に視察に入りました。(カンニング竹山 Twitter)
https://twitter.com/takeyama0330/status/737645442813427713
*2:笑顔も活気もあるじゃない! カンニング竹山さんが驚いた福島第1原発(Yahoo!ニュース 高橋宏一郎)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takahashikoichiro/20160601-00058346/
*3:東京電力福島第一原子力発電所には何回も福島県に通うなかで東京電力さんと知り合い数ヶ月前から申請し本日視察させてもらいました。(カンニング竹山 Twitter)
https://twitter.com/takeyama0330/status/737662732065869829