精神病院に「突如閉じ込められた人々」の壮絶体験
「どこか遠い場所にいる誰か」の話が、もしも自分の身に起こったなら?(写真:Luce/PIXTA)
「入院する前は、朝早くに起きて一日中仕事をし、夜勤もこなすほどでしたが、入院中にろくに説明もないまま飲まされた薬は強力で、飲むとボーッとなって昼間でもほとんど寝てしまっていました。
そのうち意識もおかしくなり、手が震えて字が書けなくなり、よろよろするようになりました。ついには口がうまく閉じられずよだれを垂らすようになり、トイレを我慢できず失禁するまでの状態に陥りました」(288ページより)
『ルポ・収容所列島: ニッポンの精神医療を問う』(風間直樹、井艸恵美、辻 麻梨子 著、東洋経済新報社)で紹介されている、元警官で70代男性の原山誠さん(仮名)の談である。北陸地方で介護施設を経営していた人物で、上記のように精力的に働いていたようだ。
だが2018年12月のある日の早朝6時45分、なんの前触れもなく運命が変わった。必要以上に大げさな表現は使いたくないが、そうとしか表現しようがない。
原山さんが妻とともに施設利用者の朝食準備をしていたところ、民間救急業者を名乗る4人の職員が土足で施設に立ち入り、こう告げたのだった。
「認知症で頭がおかしいから、これから病院に連れていく」
ワゴン車に連れ込まれた原山さんには、財布や携帯電話などを持つ時間の猶予すら与えられなかった。妻が「お父さんに認知症なんてない。私はずっと看護師をやってきたからわかる」と強く主張しても聞き入れられず、行き先も告げないままワゴン車は出発した。
約5時間後に到着したのは、かねてその診療体制が問題視されていた報徳会宇都宮病院(その具体的な問題点は本書に詳しい)。原山さんは問答無用で隔離室に入れられ、そののち閉鎖病棟内の4人部屋に移ってからも、財布も携帯電話もないため妻と連絡ができなかった。
なぜ、こんなことが起こったのか?
「医療保護入院」の問題点
最大の問題点は、精神科特有の強制入院の1つである「医療保護入院」だ。この手段を用いれば、たとえ本人が同意しなかったとしても、1人の精神保健指定医の診断、そして家族など1人の同意があれば強制入院させることができるのである。つまり、ある人を強制入院させたいという意志を持つ側にとっては、非常に使い勝手のよい制度だといえる。
ちなみに、この一方的な診察と入院に同意した家族は、20年近くも音信不通で、その後軌道に乗った原山さんの事業に参加してきたものの、金銭トラブルを起こしていた長男だった。
原山さんや妻、次男が「退院させてほしい」と繰り返し懇願しても、願いが叶うことはなかった。病院側が、「手続きをした長男が承諾しない限り退院はさせられない」との一点張りだったからだ。
最終的には弁護士の尽力でようやく退院に至るが、入院中の投薬によって肉体的にも自由が利かず、精神的ショックも大きかった原山さんからは、もはや事業を続ける決意が失われていた。結果的に廃業へと追い込まれ、会社借入金の連帯保証人になっていたため多額の借金を抱え、生活が困窮する。
「退院するときのお父さんは、歩くのもふらつき、車の乗り降りもやっとでした。うまくしゃべることもできず、肉体的に元の状態に戻るには半年ぐらいかかりました」(293ページより)
妻は、退院後の原山さんについてそう話す。
「一緒に住んでもいない長男からの連絡一つで、長年連れ添いベテランの看護師でもある妻とは一切話をしないで、こんな拉致・監禁がまかりとおるとはいまでも信じられない。報徳会宇都宮病院の医師たちに、検査もしないで一方的に認知症だと決めつけられたことで、強制入院でたくさんの薬を飲まされ、身体はどんどんおかしくなりました」(294ページより)
原山さんがこのように憤るのも当然の話である。
高齢化社会に考えるべきこと
2025年には団塊世代全員が、75歳以上の後期高齢者になる。厚生労働省の推計によると、認知症の高齢者(65歳以上)は約700万人となるのだそうだ。認知症予備軍にあたる軽度認知障害(MCI)まで含めると、確実に1000万人を超えるとみられ、高齢者の3人に1人となる。
そんなところからも、もはや認知症は特別なことではないことがわかる。したがって本人や家族としては“いかに備えたうえで普通につきあっていくか”、社会としては“いかに認知症の人が当たり前にいることを受け入れる体制を構築できるか”が重要になってくるわけである。
しかし、だからといって原山さんのように、突如として精神科病院への強制入院を余儀なくされるようなことがあるべきではない。だが現実問題として、それは決して少なくない。しかも1人の意志によって根拠も不明確なまま強制入院させてしまえるのだとしたら、同じような人が今後増えていったとしてもまったく不思議ではない。
事実、本書においては同様の理不尽なケースが緻密な取材によって明らかにされている。夫からの数年にわたるDVの影響で不安定になり、精神科クリニックに通院していた30代派遣社員の松岡薫さん(仮名)を襲った事態もその1つだ。あるとき言い争いの末のショックで、精神安定剤などをオーバードーズしたことで、夫の同意により精神科病院に医療保護入院となった。
3カ月経ってようやく一時帰宅が許されたが、戻った自宅はもぬけの殻で、夫と子どもの行方がわからなくなっていた。住民票にも閲覧制限がかけられていたため探す手段がなく、途方に暮れているという。ここにDV夫の思惑が介在していないと考えるほうが、むしろ難しいのではないか。
精神科病院は「精神保健福祉法」のもとで、患者が拒否しても医師の判断と家族の同意で強制的に入院させる権限や、病棟の入口が常時施錠される閉鎖病棟を持つ。
入院患者には「携帯電話を持ち込めない」「面会を制限する」「外部とのやりとりは手紙だけ」などのルールが主治医の判断で課されることもあり、患者が病院内から情報を発信することも極めて難しい。
そのため精神科病院には、通常の病院よりも自主的かつ積極的な情報開示が求められるはずだが、その姿勢には乏しいのが現実だ。大多数の精神科病院の内情は、いまもブラックボックス状態にある。(214ページより)
「眠剤飲ましたろか!」
しかも重要なポイントは、これらはほんの一例にすぎず、似たような、あるいはそれ以上に“ありえない”ことが精神科病院で行われているという事実だ。
たとえば、大阪府内で精神科病院の調査を行う認定NPO法人「大阪精神医療人権センター」が2015年に発行した冊子からの抜粋例にもそれは明らかだ。そこには、訪問調査と患者の声を踏まえた具体的な内容がまとめられているのである。
トイレ:個室にトイレットペーパーが設置されていない。詰まっているため使えない。
隔離室:天井までの高さの鉄格子があり、ナースコールがなく、職員を呼ぶには扉をたたくか大きな声を出すしかない。
職員の患者に対する言葉づかいなど:患者から「いい人もおるが、たまに口の悪い看護師がいる」「職員から『うるさい! 黙っとけ! 眠剤飲ましたろか!』と言われた」との声があった。
拘束中の尊厳:救急病棟の観察室ではカーテンが開いたままになっていたため、身体拘束されている患者が廊下から丸見えになっていた。職員がこうした環境に慣れてしまっていることに、危惧を覚えた。
職員から患者への暴力について:患者から具体的な職員名もあげて『暴力を受けた』『叩かれた』との話があった。またこの病院の実習生から「職員の暴力がある」との連絡が当センターに入っていた。(218〜219ページより)
こういった個別の実情はNPOなどの地道な調査によって一時的に明らかになってはいるが、病院を評価する判断材料は依然として限られているようだ。したがって患者や家族は病院選びに苦心するしかなく、その結果として医療保護入院にまつわるトラブルも起こりやすくなっているのだろう。
向精神薬は身体拘束と同じ
医療保護入院によって、本来なら入院する必要のない“患者”を長期入院させ、動けないように身体拘束したり、薬漬けにしたりして本人の自由を奪う──。にわかには信じがたいことだが、そんなことが実際に行われていることが、本書を読むと嫌でもわかる。
病院が身体拘束を行う場合は家族の同意を得る必要がある。しかし、向精神薬はたとえ大量に飲ませる場合でも、家族に同意を求めることすらない。「病院の秩序のため」「家族のため」と言われ、患者は薬を強制的に飲まされる。
患者を過度に沈静化して無抵抗にするという点で、向精神薬は身体拘束と同じだ。その意味で、向精神薬の投与は「化学的拘束」とも言われる。入院中、患者は看護師の前で薬を飲み、しっかり飲んでいるか確認される。口を開いて飲み込んでいるかまでみられることもある。(152ページより)
そこに人権という概念が欠けていることは、誰の目にも明らかだ。
なお薬の問題に関しては、本書の核である精神科病院の現実と同様に衝撃的なのが、第5章で明らかにされている「子どもへの投薬」だ。児童養護施設に、子どもたちを薬漬けにする現実があるというのである。
「児童養護施設で薬を飲んでいた6年間、中でも中学校時代の3年間はとにかく体がだるくて、登校しても教室ではずっと寝ているような状態でした」
現在、高校2年生の遠藤裕子さん(16歳、仮名)はそう振り返る。遠藤さんは7年前の春、父親から虐待を受け、児童相談所での一時保護を経て、神奈川県内にある児童養護施設に入所した。当時はまだ小学4年生で、突然親元から離された寂しさのために泣き暮らす毎日だった。
「この子、薬を飲んだほうがいいんじゃない」
「ほかの子に影響を与えるといけないから、いったん薬を飲ませよう」
施設の職員がそう打ち合わせ、総合病院の精神科に連れていかれたことが、向精神薬の服用のきっかけだった。(158ページより)
処方された向精神薬「コンサータ」を朝に飲んだあとはだるくて二度寝することになり、追加された「ストラテラ」を飲んだあとは幻覚症状と幻聴、被害妄想に悩まされたという。
しかも被害妄想で学校の友人との関係が悪化したと施設職員に相談すると、また精神科に連れていかれ、「エビリファイ」という別の薬が処方された。その後も幻聴やいらつきが止まらないと訴えると、さらに追加で複数の漢方薬が出された。結果、精神的にとても疲れ、いつも情緒不安定だったと当時を振り返る。
「薬物療法で選択肢が増えた」
そんな遠藤さんは2018年に児童養護施設を退所し、父親とは別の男性と再婚した母親の元へ戻った。現在は通信制高校に週2回登校し、アルバイトも始めている。自宅に戻って薬をやめてからはプラス思考になり、1人の時間を楽しめる余裕も出てきたようだ。
児童養護施設に入所している子どものなかで、虐待を受けた経験のある子は約6割におよぶ。障害のある子どもの割合は3割近くまで増加しており、上記の遠藤さんがそうであるようにADHDと診断された子どもは、10年前とくらべて2.9倍に膨らんでいるのだそうだ。
「以前は児童の衝動的な暴力にも職員が対症療法で対応するしかなかった。医師との連携で選択肢が増えた」(162ページより)
都内で児童養護施設を運営する施設長はこう話す。たしかに、薬物療法によって情緒や生活の安定が図られることはあるのだろう。そういう意味で、メリットはあるのかもしれない。だが、それが子どもたちの行動を抑制するための手段として用いられるのであれば話は別だ。いうまでもなく、それは彼らの人権侵害につながりかねないのだから。
なんの根拠も提示されないまま精神科病院に強制入院させられ、人生を狂わされる人がいる。他方には、親の事情で児童養護施設への入所を余儀なくされ、環境の変化に抗っているうちに薬漬けにされる子どもがいる。
どちらも一般的な“常識”からすれば理解に苦しむような話だが、残念ながらこれは現実なのだ。だからこそ私たちは、「どこか遠い場所にいる誰か」の話としてではなく、「もしも自分が同じ立場に立たされたら」と、自分ごととしてこの問題を真剣に考えてみるべきではないだろうか。そうすることですべてが解決するわけではないが、しかし、それが小さなきっかけになることは間違いないのだから。
(印南 敦史 : 作家、書評家)