ダグラス社の超傑作機「DC-9」 ”経営傾くほど売れた”のはナゼ? 特徴的な「リアジェット」は利点多数!
1965年2月25日に初飛行しました。
近距離多頻度向けにデザインを工夫
1965(昭和40)年2月25日は、ダグラス・エアクラフト社(その後マクダネル・ダグラス社となり、現在はボーイング社の一部に)の双発ジェット旅客機「DC-9」が初飛行した日です。同社史上、シリーズ累計でもっとも製造されたジェット旅客機で、胴体後部に2基のエンジンが備わった「リアジェット」のスタイルと、水平尾翼が垂直尾翼の上部に備わる「T字型尾翼」が特徴です。
ダグラスDC-9-10(画像:マクダネル・ダグラス社の当時の公式ページより)。
DC-9は、当初長距離路線向けに開発されたダグラス社の先代ジェット旅客機(同社初のジェット旅客機でもある)DC-8と異なり、近距離・多頻度運航の路線に対応すべく開発されました。たとえば、機内には「エアステア」という内蔵式階段が取り付けられ、大空港のような設備がない場所でも発着可能に。また同装置には、搭乗降機時の時間を短縮する効果もあり、短い便間でも運航ができるようになっています。
また、特徴的な「リアジェット」は、この当時の近距離向けジェット機によく見られたスタイル。主翼下にエンジンを備えるより、脚を短く、つまり胴体を低くすることでき、そのぶん旅客の乗り降り、貨物の積み降ろしの時間短縮につながる効果も期待できました。
その一方でDC-9は、先代のヒット作、DC-8のデザインの面影を感じるようなところも多くありました。胴体の設計などはDC-8をほぼ踏襲したものとなっており、特徴的なコクピットの窓の配置などにそれを見ることができます。
なぜ&どれだけDC-9系は売れたのか?
DC-9が初飛行した当時、欧州ではシュド・カラベルやBAC 1-11といった双発短距離用ジェット機が出現していたのに対し、アメリカではライバルのボーイング社が737を開発を進めているさなかでした。そこでDC-9は開発の本格スタートとなった1963年から、初飛行まで2年弱というハイペースで開発が進められ、1965年末に就航。エンジン数が少ないなどから経済性に優れ、市場ニーズにもあった機体として顧客からも人気を博しヒット作に。製造機数は1000機近くにもなり、いくつも派生型が生み出されます。
ただ、当時はベトナム戦争による資材不足のなか、DC-9は想定を上回る売れ行きとなってしまい、製造が間に合わず。こうしたことが一因で同社は倒産寸前となり、1967年にはマクダネル社と合併。マクダネル・ダグラス社として再出発することになりました。DC-9は「売れすぎて会社が倒産寸前に追い込まれる」という、民間航空業界ではある種の”伝説”を作ってしまったわけです、
ボーイング717(乗りものニュース編集部撮影)。
DC-9は会社名が変わったあとも、シリーズ派生型の開発が続けられました。合併したことで型式のアルファベットが「MD(マグダネル・ダグラス)」にかわったものの、DC-9のベースデザインそのままに、エンジン、機体設計の変更、当時の先端技術を盛り込んだ発展形「MD-80シリーズ」は5つの型式で、計1100機以上のヒットを記録。同社のなかでも屈指のロングセラー機となりました。
DC-9の派生型はマクダネル・ダグラス社がボーイング社に実質吸収された1996(平成8)年のあとも開発が進められ、「MD-95」は「ボーイング717」と型式名を改称。717は唯一の「ダグラス生まれのボーイング」、かつ「最後のDC-9派生型」となりました。
なお、DC-9の各種派生型はTDA(東亜国内航空)、そしてTDAの国際線開設にともなって社名変更をしたJAS(日本エアシステム)で長年主力機として使用。JASがJALと合併したあとも、一部の機体がJALへ引き継がれました。一方最終派生型の「ボーイング717」は国内航空会社での導入はなく、日本ではレア機のひとつとなっています。