東ちづるさん

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 介護や看取り。これまでの親子関係がうまくいっていない場合、寛容になれず、葛藤を抱える人は多い。そして親の死後、取り返しのつかない“後悔の種”となり苦しむケースも。母娘の呪縛に悩んだという東ちづるさんに、呪縛からの解放についてヒントをもらった。

「親を裏切ったとしても自分の幸せを追求していい」……東ちづる

「母のことは大事な存在だけど、全部が好きというと嘘になると思います。でも、親に対してそういう気持ちを持つ自分のことも嫌だった」

 10〜20代のころをそう振り返る東ちづるさん。優等生を無自覚に演じ、教育熱心な母親の期待に応えようと頑張っていた。

 それは大学受験に失敗したとき、母に「18年間の期待を裏切ったね……」とポツリと言われ、自立して自分の選んだ進路を選んでからも続いた。“母の価値観”は絶対だった。

母の呪縛を解くためにカウンセリングへ

 転機は37歳。自分が親の期待に沿う生き方に縛られて大人になった「AC(アダルトチルドレン)」だと知り、カウンセリングを受けるように。

「母の価値観から解放されていくなかで、母も“よい母”という概念にとらわれているのではないかと思うようになりました。母にも生きたいように生きてほしい。

 親が幸せに生きることは子どもである私にもよいと思い、母娘でカウンセリングを受けることを決めました」(東さん、以下同)

 そのころ、父親が他界。“父とひとりの人間としてもっと話しておきたかった”という後悔も後押しとなった。

「お互い離れて母は母のままで生きたほうがいいのではないか、生きづらさから母を傷つけたことを謝ったほうがいいのではないかという気持ちもありましたが、いずれも最善ではないと思いました。

 もし、このタイミングで離れたり謝ったりしてしまったら母娘関係の未来はない。自分の心に鍵をしたまま、懸命に育ててくれた母に感謝をすることが先だと思いました」

 母娘のカウンセリングは、約8か月にも及んだ。

「自分の幼少期のことを語り始めたときから、母は変わっていったんです。祖母も世間を気にする人で、母自身もそんな祖母の価値観に縛られて生きてきたとわかりました。母にも子ども時代があって、母親である前にひとりの女性だったのだと理解できました」

母からの謝罪でお互いに解放された

 カウンセリングが終了した後、母親から「私があんな育て方をしなかったら……、ごめんね」と謝られたときは、「お母さんも大変だったね」という言葉が素直に出た。あの瞬間は今でも宝物だ。

 一方、母親が長年とらわれていた価値観から自由になることで、東さん自身もより生きやすくなったと感じた。

「人生において何を選ぶかは私の自由だし、私のやることを母がどう受け止めるかも気にすることがなくなりました。つまり、母を信用し、どんな私でも応援してくれるはずという自信が持てたんです」

 今、80代になった母親とは、これまでにないほど良好な関係だ。もちろん、母親のすべてを理解しているというわけではないが、モヤモヤする会話があったときは、母親ではなく“親戚のオバちゃん”の意見だと思って聞き流す術も身につけた。お互いの終末期医療についても話した。

「家族って、違う人間の集合体なんです。だから、わかり合えると思うことが大間違い。

 家族がそれぞれの幸せを応援し合っていればいい、お互いの人生を邪魔せず見守るだけで十分なんです。そのためには、まず自分が幸せになること。何かを我慢したり、諦めると親を憎むことになる。

 一時は親を裏切るような形になったとしても、自分の幸せを追求したほうが親を恨まなくてすむと思います」

東さんからアドバイス

■自分史を聞いてみよう……自分が生まれる前の母親を知ることで、母親ではなくひとりの女性として冷静に捉えられる

■親戚のオバちゃんと思ってみて……親だからこそ言動に心がザワつきストレスに。親戚の言葉だと思えば、客観的に受け取りやすい

■“もしも”の話は晴れた昼間に……終末期の話は気持ちが暗くならない、楽しく明るい日を選んで。おいしいごはんを食べながらでも

お話を伺ったのは……東ちづるさん●俳優。プロボノエンタメ団体「Get in touch」代表。メディアで活躍するかたわら、骨髄バンクなどのボランティアを29年間続ける。著書に『〈私〉はなぜカウンセリングを受けたのか〜「いい人、やめた!」母と娘の挑戦』(マガジンハウス)

(取材・文/河端直子)