洗練される企業の「退職勧奨マニュアル」、労働者に対抗手段はあるのか
コロナ禍による人員調整もあり、退職勧奨が様々な企業でおこなわれていると聞く機会が増えました。
業績悪化に伴う整理解雇の法的なハードルが高いので、企業は、退職勧奨という手段を選びがちですが、果たしてそのやり方は適法なものなのでしょうか。
労働者の相談にのっている山内一浩弁護士は「明確な退職強要もまだまだ多いですが、詳細なマニュアルと研修に基づいた巧妙なやり方で自主退職に追い込むことが増えているように思います。だからこそ、退職したくない場合は対抗策が重要になります」と語ります。詳しく聞きました。(新志有裕、齊藤理木)
●マニュアルやプログラムを活用して、「スマート」に辞めさせる
ーー退職勧奨の裁判に関わったことがあるとのことですが、どのような裁判だったのでしょうか。
例えば、IBMによる退職勧奨に関する事件です。この事件では、会社が能力不足と判断した労働者への退職勧奨が問題となりました。退職勧奨の事件が終わった後に発生した能力不足を理由とする解雇事件については、裁判所で全て勝訴か勝利的和解を得ることができたのですが、残念ながら先行した退職勧奨事件について裁判所は、違法性はないと判断しました。裁判所の傾向として、退職勧奨が違法であると認定するのと、解雇が無効であると判断するのには、「落差」があるように思います。
ーーIBMの退職勧奨では、マニュアルもあったそうですが、近年では、そのような「仕組み化」された退職勧奨が広がっているのでしょうか。
そうですね。ドラマに出てきそうな上司が「お前なんかさっさと辞めちまえ」と怒鳴りながら机を叩くといった、明らかに違法なやり方ではなく、表向きは「スマート」なやり方が広がりつつある印象があります。
企業は管理職に事前の研修を行い、どういう言葉を述べてはならないとか、どのようにして労働者を「説得」するか(例えば「業績に問題があるので人事評価が下がる」とか「社内でのキャリアには限界」などを「伝達」するなど)のトレーニングをします。外部のコンサル会社が作成したマニュアルも活用して、表面上は粗っぽさが出ないようにしています。
能力改善プログラム(PIP: Performance Improvement Program)といって、一定期間で目標に達しないと退職を促す仕組みもあります。労働者は、会社主導で設定された目標を達成できないと、「自分に問題があるのだ」と思い込まされ、自分が悪いんだと責任を感じて退職する方向に追い込まれるということですね。しかし、明らかに無理難題な目標が設定されている場合もあり、そのような無理な目標を達成できなかったからと言って、直ちに退職する必要はありません。
最近の企業の多くは、適法な退職勧奨の外形を作ろうとして、かなりの費用を投じるところもあります。IBMでは退職金にかなりの特別退職金が上乗せされていたので、退職に応じる労働者も多かったようです。
ーー明らかに行き過ぎたケースの相談を受けることはありますか。
一見「スマート」な退職勧奨が普及し始めたこともあるかもしれませんが、一見して明らかに違法な退職強要という事件の相談は多くない印象です。ただ、退職勧奨事件自体はかなり増えており、東京都の労働相談の統計でも解雇事件を上回る件数の相談が寄せられています。「解雇が有効となるにはハードルが高い」という認識が使用者に広まっているからかもしれません。
●退職合意後に争うことは可能だが、準備や事情確認が重要
ーー退職勧奨を受けて合意してしまうと一切争えないのでしょうか。
退職勧奨を争う方法として、2つの主張が考えられます。
1つは、退職合意の有効性を争うことです。具体的には、退職に合意したという意思表示に「傷」があること、法律用語では「意思表示に瑕疵がある」と言います。これにより、退職合意が無効であるとか取り消すと主張することができます。
勘違いという錯誤、騙されたという詐欺、あるいは脅されたという強迫という「傷」があるという主張です。ただ、法律上の要件を満たす必要がありますので、よく事情を確認する必要があります。
もう1つは、退職勧奨のやり方自体が違法であり、民法上の不法行為として損害賠償を請求することです。退職勧奨が違法といえるかは、その手段・方法が社会通念上相当性を欠くかどうかを、様々な要素に照らして総合考慮することになります。
具体的には、本人が退職勧奨を拒否しているかどうか、数人で取り囲むなどの退職勧奨する際の方法・態様、面談の回数などが検討されます。退職の意思がないのであれば、そのことを明確に表明すべきですし、退職勧奨の面談自体も断ることが大事です。
ただ、会社はいろいろな「言い訳」をしてきます。企業によっては、先に話した一見「スマート」なやり方をしてくるところもあります。IBM事件では、この「社会通念上の相当性」というハードルを超えていると裁判所が判断してくれず、違法性なしと判断されてしまいました。
ーー適法ならば問題はない、ということでしょうか。
確かに、企業には経営の自由がある以上、経営状況が悪い場合には退職勧奨をすること自体違法ではありません。ただ、退職したくないという労働者の気持ちも十分理解する必要があると思います。
いくら退職金にそれなりの特別退職金が上積みされても、次の再就職先の見通しがついていなければ労働者が引き続き同じ企業で働きたいと願うのは自然でしょう。また仕事にやりがいを感じてその企業で長く貢献していきたいという想いも大事にされるべきです。そのように考える労働者に対して、やめさせようとして何度も退職勧奨することには大いに問題があると思います。
例えば、IBM事件のプログラムには、部門ごとの退職予定数について管理職が「結果責任」を負うと明記されていたように、企業の中には管理職がどれだけの労働者を退職させたかで人事評価するところもあるようですが、管理職をこのような形で退職勧奨に駆り立てるのはやめてほしいですね。
●退職合意をめぐって、より労働者を保護する判断枠組みも
ーー退職勧奨を規制する制度を作ることは難しいのでしょうか。
男女雇用機会均等法など個別の法律で規定はありますが、退職を勧奨すること自体は許されないわけではないので、退職勧奨自体を規制する制度を作るのはなかなか難しいと思います。
ただ、制度を作るのは難しいかもしれませんが、最近裁判所は、退職合意に関して、前に述べた「意思表示の瑕疵」とは違う判断枠組みを採用し始めたように思います。それにより、労働者が保護される範囲がこれまで以上に広がる可能性があります。
最近ではTRUST事件(東京地裁立川支部平成29年1月31日)がありました。妊娠を契機とした退職の合意について、裁判所は、広島中央保健生協事件判決の考え方を取り入れ、退職合意をした際、労働者が自由な意思に基づいて合意したと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか、慎重に判断する判断枠組みを示しました。
この判断枠組みは、元々は賃金など労働条件の不利益変更について労働者が同意した際、その合意が有効かどうかで使われていました。その判断枠組みが、雇用機会均等法の趣旨を背景としているとはいえ、退職合意についても用いられている点は注目すべきです。
この判断枠組みがもっと定着すれば、退職勧奨に対して労働者が争いやすくなるのではないでしょうか。自由な意思に基づいて合意したと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するかをめぐっては、企業が労働者に退職条件など適切な説明をしたか、労働者がそれを理解し承認した証拠がきちんとあるかといった点などいろいろな要素が問題となりますので、争う方法が増えたと思います。
ただ、企業も「スマート」になってきていますので、説明責任を果たしたと主張するためにいろいろな資料などを用意してくることに注意も必要です。
●面談の証拠として録音することが大事
ーー労働者の対抗策として、具体的にどのようなものがありますか。
証拠が必須です。退職勧奨の面談などを録音し、証拠化することが大事です。
労働組合に相談することも有効です。人員削減といった大人数のケースでも、能力不足といった個別のケースでも、労働組合による介入で違法な退職勧奨をやめさせる可能性が高まります。個人でも加入できる労働組合、いわゆるユニオンは、ネットで検索すればすぐ出てきますよ。
また、今ではネット上に退職勧奨について様々な情報が載っていますので、違法な退職勧奨はどのような場合かを事前に知っておき、備えることも大事です。
ーー違法な退職勧奨を受けた労働者はまず何をすればいいのでしょうか。
証拠の収集以外では、一人で抱え込まないで、誰かに相談することです。現代型の「スマート」な退職勧奨では、まるで労働者の側に問題があるかのような言い方をされますが、そのような言われ方に諦めてしまわず、労働組合や弁護士に相談してください。労働組合や私たち弁護士は、企業に対して退職勧奨を止めるよう通告します。そうすれば大体の企業は勧奨をやめます。
違法な退職勧奨に対して戦う方法は必ずあることを忘れないでください。
【取材協力弁護士】
山内 一浩(さんない・かずひろ)弁護士
1992年4月弁護士登録。1998年11月から2000年11月まで日本労働弁護団事務局長。現在日本労働弁護団常任幹事。著書に『中高年・管理職 働き方のルール』(旬報社、2001年12月)、その他分担執筆多数。東京都産業労働局「労働協約の手引き」監修。
事務所名:旬報法律事務所
事務所URL:http://junpo.org/