「地球の歩き方」逆境だからこそ新機軸…フランスを楽しめる「東京の歩き方」でいいじゃない 編集長に聞く
コロナ禍で観光業界全体が苦しむなか、旅行に関する書籍を発行している出版業界も例外ではない。海外旅行のガイドブック「地球の歩き方」シリーズも、苦戦を強いられている。
創刊以来発行していたダイヤモンド・ビッグ社は2021年1月、「地球の歩き方」などの出版事業や関連事業を学研グループの「学研プラス」に譲渡した。譲渡以前から現在まで「地球の歩き方」編集長を務めている宮田崇さんによれば、「完全に新型コロナの影響」だという。
コロナ禍以前は、読者のニーズに合わせてガイドブックのシリーズを増やしていたことなどもあり、「4年間右肩上がり」(宮田さん)の売り上げを記録するなど好調だったが、そこに新型コロナの影響を正面から受けてしまった。
海外旅行は困難となり、「地球の歩き方」の売り上げも「具体的にお話できるような数字がないぐらい」(宮田さん)になってしまったという。現地取材ができないため、改訂版の発行もできなくなった。
しかし、「地球の歩き方」編集部は、歩みを止めていない。
東京オリンピックのタイミングに合わせて企画されていた新シリーズ「旅の図鑑シリーズ」や「旅好き女子」のためのシリーズ「aruco」の東京版などを発行。コロナ禍でも好調な売り上げを記録し、通常版のガイドブック「不在」の中で奮闘を続けている。
この苦境をも「立ち止まって考えられる良い時間をもらえた」と前向きに捉える宮田さんに、今後の「地球の歩き方」のあり方や見通しなどを聞いた。(編集部・若柳拓志)
●ガイドブックの改訂はコロナ禍で完全ストップ
1979年創刊の「地球の歩き方」は、計160を超える国や地域をカバーする海外旅行用ガイドブックとして知られている。旅先の観光地や名物を紹介するだけでなく、現地の生活習慣や文化のほか、入国までの交通手段なども詳細に掲載されている「旅のバイブル」だ。
ガイドブックの制作にあたっては、必ず編集者、ライター、カメラマンが日本から現地に行き、現地の協力者とともに取材を進め、日本で編集をおこなう。日本から移動する段階から、一般の旅行者と同じ目線で取材するというスタイルを大切にしているという。
「アメリカでのテロ事件後などは特に顕著でしたが、飛行機内への持ち込み条件が変わることもあります。
喫煙者が長年愛用しているライターを空港で取られそうになったという話があった際には、『大切なライターならその場であきらめず、空港内にある郵便局から自宅に送り返そう』というコラムを入れたこともあります」
観光する人が多い場所のガイドブックについては、年1回改訂するというペースで内容の更新をおこなう。その際も毎回必ず日本から現地に向かう。
「街は日々生きています。発展の速いところだと、1年経過するだけでも商業施設がたくさんオープンするようなところもあります。そういう場合は、かなりの部分を作り替える必要があります」
しかし、コロナ禍で海外に出て取材することが事実上不可能になり、ガイドブックの改訂は全面的にストップすることになった。2020年の夏にいくつかの国のガイドブックが改訂されたが、これらは1〜2カ月の現地取材を終えて、2020年3月までに戻ってきたチームの手によってなんとか仕上がったものだという。
「それが現時点では地球の歩き方の最後の改訂版ですね。改訂のための取材が完全にストップして、もう1年半近く経っていることになります」
●コロナ以前に企画した新機軸がコロナ禍でヒット
コロナ禍で移動の自粛が広く呼びかけられる中、海外旅行する観光客はほぼいなくなった。さらに2020年4月に1回目の緊急事態宣言が発令された際には、多くの書店も休業となり、ガイドブックの売り上げは壊滅状態となった。
「過去にSARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)の影響を受けたときの経験から、当初は3〜4カ月踏ん張ればと考えていましたが、そうはならなかったので『これはヤバい』と思いました」
そんな時期で出されたのが「旅の図鑑シリーズ」だ。2020年7月に発売された第1弾「世界244の国と地域」は幸いにも話題となり、よく売れたという。もっとも、この本自体はコロナ以前から企画・制作が進められていたものだった。
「地球の歩き方は、実は地方の書店さんにはあまり置いてないんです。そこで、地方の書店さんにも、こういう本(旅の図鑑シリーズ)があることを宣伝してもらおうと思って、当初2020年7月に開催予定だった東京オリンピックのタイミングに合わせて作っていたんです」
これを契機に、「旅の図鑑シリーズ」として、さらに2021年3月に「世界の指導者図鑑」「世界の魅力的な奇岩と巨石139選」「世界246の首都と主要都市」を発売し、同年8月までにシリーズ計10冊を世に送り出している。
また、これまで海外の国や地域でしか出版していなかったガイドブックでも、創刊40周年記念として、初の国内版「東京」を2020年9月に発売した。
さらに、「東京」の読者から、「旅好き女子」のためのガイドシリーズ「aruco」でも東京版を読みたいという声が多く寄せられたため、東京オリンピックの開催に合わせた2021年7月に、「aruco 東京」と、東京で海外を味わえるというコンセプトで「東京で楽しむフランス」「東京で楽しむ韓国」「東京で楽しむ台湾」の4冊を発売した。
「編集チームは、外部のスタッフを含め、それぞれの国・地域を専門的に扱っている人が多いです。
たとえば、通常のフランス編を作っているスタッフの中には、初版から30年間以上ずっと関わっている方もいます。そのスタッフは、日本で過ごす生活の中でもフランスに関わり続けているので、『東京で楽しむフランス』はその方が普段の生活で、どのようにフランスと接してるかをまとめた1冊と言ってもいいくらいのものです」
●「立ち止まって考えられる良い時間をもらえた」と前向きに
そのほかにも「Webで何をやるか」など新たな試みを議論しているという。
地球の歩き方のガイドブックといえば、「持ち歩くための紙媒体」というイメージがあり、実際にこれまでは主に紙媒体で勝負してきた。ただ、近年は公共の場における無料Wi-Fiの整備などが進み、海外でも気軽にネットへアクセスできる環境ができている。
「新たな試みといっても、簡単にできるわけではありません。会議で検討しては止める、といった感じです。
ただ、通信技術の進化を考えると、10年後はどうなっているかという話をして、そこから今やらなければならないことは何なのか、たとえばアプリを用意する必要があるのかどうか、というような議論はしています」
コロナ禍で通常版のガイドブックが作れない、売れないという厳しい時期を過ごす一方、これから何をしなければいけないかを考えるのに「ちょうど良い時間をもらえた」と前向きに捉えている。
「立ち止まって考える時間もないくらい、ずっと走ってきましたので。その意味では、ちょうど良かったのかもと思っています。
スタッフみんな、『このまま紙だけで良いのだろうか』という気持ちがあったと思うんです。『じゃあ何をしなきゃいけないのか』『読者は何を求めてるのか』というのを徹底的に今洗い出しているところです」
すでに実践に移していることもある。公式ホームページでは、現地のスタッフ・協力者による旅先の最新情報をニュースやレポートの形で配信し始めた。
「今年7月から始めたもので、現地と連動しながら情報発信をしています。今後もスタッフみんなで考えながらこういうことをやっていこうと考えています」
●「コロナ禍明けの『地球の歩き方』にぜひ期待して」
コロナ禍が続いている現状、将来的に旅行や観光というものがどうなっているかを見通すのは難しいが、宮田さんは「コロナ禍が終われば、いずれ元に戻る」と考えているという。
海外旅行が再開される時に備え、来たる通常版の改訂作業にすぐ取りかかれるよう、改訂内容の洗い出しなどはすでに始めている。
「ワクチン接種者が増え始めた今年6月くらいから始めました。当初1カ月に1回の頻度で改訂に関する情報を更新するつもりでしたが、今は1週間に1回おこなっています。いつ動くことになるかわからない中、ヨーイ・ドンで改訂に動こうとしたら、情報の定点観測をしておくことは大事になってきますね」
少しずつでも準備をして、互いに情報を共有するというのは、全速力で改訂作業をしていたころの「勘」を取り戻す作業でもあるという。
「1人につき、年間でだいたい10冊くらいの改訂にかかわるのに加え、自分の好きな趣味の新刊を作ったりしていたので、いざという時にそのペースにすぐ戻れるようにするためのウォーミングアップでもあります。
とはいえ、編集部員は揃いもそろって旅行好きなので、いざ改訂できるとなったら、寝る間も惜しんで作業してしまうんじゃないかと違う心配が必要かもしれません。私自身もこの2年弱の間にたまったフラストレーションを考えたら、寝てる時間なんかもったいないと思ってしまいそうですね」
新しいシリーズを世に出すなどコロナ禍での創意工夫をみせてきた編集部だが、やはりベースにあるのは「通常版のガイドブック」で、改訂ができる日を心待ちにしているようだ。
「コロナが明けたときは、すべての旅人に向けて、『我々がきちんと安全に旅できる情報を届けよう』というスローガンにやってます。コロナ禍明けの『地球の歩き方』にぜひ期待していただき、頼っていただければと思っています」