【霜田 明寛】TOKIOの再出発でわかった「国分太一」という男の凄まじさ…その根底にあるもの ジャニーズで「最も売れた男」の価値観

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新しいスタート

TOKIOが新体制に移行した。長瀬智也がジャニーズ事務所を退所し、メンバーは3人に。4月からは「株式会社TOKIO」として新たなスタートをきった。

だが、新体制になってからの3人を見ていても、不思議と“いなくなってしまった”寂しさや“抜けた後”の不安定さのようなものが感じられない。むしろ「株式会社TOKIO」の公式サイトに掲載された企業ムービーからは新しいことを始める高揚感のようなものまで漂ってくる。

ジャニーズ事務所のTOKIOのプロフィールページに掲載された3人の写真には、現在のメンバーの間に、まだ人が入れそうな“余白”も残されていて、またここにいつか2人が合流し、5人に戻ってくれるのでは…とそんな期待をも抱かせてくれる。

メンバーが欠けてもなおどこか安心感があり、エネルギーに満ちている――そんな今のTOKIOの安定感を根底で強く支えているのは、国分太一の存在感ではないだろうか。

たとえば国分は、3月の末にTwiterを開始し、大きな反響を呼んでいる。最初はプロフィール写真を城島茂の顔にし「すいません。おじさんの顔あげちゃいました」とボケたかと思えば、長瀬の最終日だった3月31日には27年分の思いを真面目に綴って投稿。硬軟あわせた発信はセンスの高さを感じさせる。

さらに、4月からTOKIO3人で出演する、殺虫剤などのメーカー・フマキラーのCMでは、国分がクリエイティブディレクターを担当。出演するだけでなく、クライアントであるフマキラーの会長らと話し合ってCM内容を構築したことが明かされた。

株式会社TOKIOでは副社長で、「企画」担当だというが、すでにTwiterで存在感を放つことで「広報」的な役割も担っている。木が縛り合わされたような同社のロゴマークの原案も国分のものだといい、多角的な才能が見え隠れする。

もちろんTOKIOのリーダーは城島茂であり、社長も城島ではあるのだが、城島はこれまで「僕はメンバー各自に自分自身がリーダーだと自覚させることが大事だと思っています」(AERA2014年9月29日号)という方針をとってきた。

TOKIOが結成された頃、城島茂は19歳で、松岡は13歳、国分は15歳。最初は引っ張るリーダーだった城島も、デビュー後は「一歩引いた感じで、みんなの自主性に任せました」と語っている。国分自身も城島の方針のもと、自主性を持って、自身の役割を模索しながら、46歳の今まで進んできたはずである。

では、国分太一とはいったい何者なのか――TOKIO再出発のタイミングで、改めて、彼がどんな活躍をしてきたのか、どんな価値観の持ち主なのかをお伝えしたい。

もっとも売れた男

実は国分太一は、“ジャニーズ史上最も売れた男”と言っても過言ではない。

2008年には「NHKとキー局全てで同時にレギュラー番組を持つ」という、他のジャニーズタレントは誰も成し遂げていない快挙を達成。さらに『タレント 番組出演本数ランキング』では、2014年から2019年まで6年連続で1位を獲得。ジャニーズに限らず、この6年間、全タレントの中で、最も多くのテレビ番組に出演したのが国分太一なのである。

もちろん、舞台やライブなどジャニーズの活躍の場はテレビ以外にも多くある。しかし、少なくともテレビに出演するという役割においては、国分は大きな成果をおさめたことになる。

ちなみに、テレビ以外の仕事を疎かにしていたわけでは決してない。中居正広は「ダンスが上手いジャニーズ」として国分太一の名前をあげているほどであるし(テレビ朝日「中居正広の#ダンスな会」2021年3月6日放送)、映画俳優としては賞も受賞している。

しかし、そんな“出役の最高峰”国分太一を松岡昌宏はこう語っている。

「どちらかといえばプロデューサー気質」

実は本人も、2008年の時点で「芸能界をやめても生きていける自信」をのぞかせていた。

「人と触れあえれば、どうやっても生きていけると思うんです。この業界やめても、どんな田舎に住んでも。自信はある(笑)」(「MORE」2008年1月号)

業界・場所問わず生きていける自信がある、とはなかなかの自信だが、その根拠としているのが、人と触れ合える能力だ。

たしかに国分のその能力が、テレビタレントとしての活躍を下支えしていたことは想像に難くない。

テレビ東京系『男子ごはん』で共演している料理研究家の栗原心平は、「撮影現場でいちばん気を配っている」(「女性自身」2014年5月27 日号)と評している。タレントらしからぬ……と言ってしまっては全タレントに失礼かもしれないが、最も気を遣っているのがメイン出演者というのは、なかなか稀有なことである。

国分自身「知らない人と目が合ったら、とりあえず『こんにちは』って先に言う」(「MORE」2008年1月号)とも語っている。礼儀の基本を徹底した気遣いだ。

40歳を迎えた2014年には「「年を取ること=偉いこと」ではないから。むしろ偉そうになんて全然なりたくないし」(「週刊SPA!」2014年9月16日・23日合併号)と、年上の人間の鑑のような発言も。

だが、彼も最初からそうだったわけではなさそうだ。もともと、本人は「人の注意は一切聞かなかった」(「STORY」2013年5月号)「周りの声も聞かずにただ必死だった 」「タレントが1番だっていう気持ちもあった」(「MORE」2008年1月号)と振り返っている。

20代前半の頃、尖っていた理由を「臆病だったからだと思うんです。攻撃をしておかないとボロが出て恥をかいてしまうって」(「女性自身」2014年5月27日号)と自己分析している。

さらにその前には空回りに苦しみ、自己嫌悪に陥った時期もあった。国分は「デビューして三、四年目あたりまで、アレンジや演出、曲順のアイデアとか、全部俺がワーって言って、そこにみんなに枝葉をつけさせてた時期があった」という。そこには「誰かがやらなきゃっていう義務感と焦り」があったというが、口調も荒くなってしまったことで、自己嫌悪に陥ってしまう(「SWITCH」2006年2月号)。

2005年に起きた変化

今から振り返ると別人のようだが、その変化のきっかけは何だったのか――。それはおそらく、2005年にある。

国分が31歳を迎えるこの年、堂本剛と組んだユニット『トラジ・ハイジ』として映画に初出演、主題歌も年間ランキング9位に入るなどの実績を残す一方で、もうひとつ国分の人生にとって大事なものが始まる。

それが、テレビ朝日系列で放送された『オーラの泉』だ。

この番組は、江原啓之と美輪明宏の2人が出演するスピリチュアルトーク番組で、国分は進行役だった。しかし、レギュラー放送開始直後は、番組の内容について半信半疑の状態が続いていたという。

だが、エレベーターで美輪、江原と3人になったときに、二人に「あなた、まだ信じてないでしょ」と内心を見透かされ「やばい。感づかれた」と焦ることになる。

しかし、続けていくうちに「目に見えないことだって、あるんじゃないか」と感じ始め、「それを否定しながら生きていたら、本当はもっと楽しいことがあるのに、気づかないまま人生が終わってしまい、損をすることになると思うようになった」(「新潮45」別冊『江原啓之編集長KO・NO・YO』2007年11月)という。

最終的には「人との出逢いは必然」と感じるようになり、美輪にも「あなた、目が変わった(「女性自身」2009年4月7日号)」と言われるほどに変化する。ボロを出したくないという気持ちも消え「大いに恥をかきたいです。(中略)知らないことは知らないという姿でいるほうが気持ちいいじゃないですか」(「女性自身」2014年5月27日号)と、謙虚な姿勢を貫くようになる。

『オーラの泉』は4年ほどで終了するものの、この番組を経て、国分の冠番組は一気に増加した。その後『すぽると!』やTBSの朝の顔を務めるなど、TOKIOのメンバーとしてだけでなく、国分太一個人としても仕事が広がっていき、前述した2008年の“偉業”、そして2014年の番組出演本数1位の“頂点”にまでたどり着くのである。

「数字」との距離感

もう一つ、国分の価値観の重要な位置を占めるのが「数字」との独特な距離の取り方だ。

国分のインタビューでは「数字」という言葉がよく出てくる。その出発点は「デビュー初登場1位が当たり前」のジャニーズタレントの中にあって、彼らのデビュー曲『LOVE YOU ONLY』が、1位をとれなかったことにあるようだ。

この曲、売り上げは50万枚を越えるなど十分なヒットではあるのだが、それでも「スタートダッシュが悪かった」(「週刊SPA!」2014年9月16日・23日合併号)と認識されている。バンドとしてのキャリアを振り返っても「CDの売り上げとか。正直そんなに数字は出ていない」(「AERA」 2014年9月29日号)と発言するなど、実は数字を強く意識してきたことが感じられる。

一方で、数字への懐疑的な視点も忘れない。TOKIOが初めて1位をとったのはデビューから7年目。スタッフが喜んでくれたという当時を振り返って「この世界の評価は数字だけではないけれど、数字が与えてくれる喜びも確かにあるんだと実感できた」(「週刊SPA!」2014年9月16日・23日合併号)と語っている。

かつて国分はこうも語っていた。

「数字で評価されることが多い仕事ですが、いずれは数字ではなくて『TOKIO』という名前で評価されるようなグループになりたいと思います」(「サンデー毎日」 2014年7月6日号)

その夢は傍から見ると叶っているようにも見える。

〔PHOTO〕Gettyimages

だが、これからTOKIOは「会社」になる。一般論で言えば、会社になれば以前にも増して様々な「数字」を突きつけられそうなものである。

では国分はここから数字で評価されることを目指すのだろうか――という疑問が浮かんだ時、頭に浮かぶのは、『TOKIOカケル』の3月31日放送分、長瀬の最後の出演回だ。

国分は番組の終盤で『アンパンマンのマーチ』をかけた。

放送時間にすると長瀬の最後の挨拶と同じほどの長さをとって、この曲を流したのだ。国分は「皆知ってる曲なんだけど、歌詞に注目してほしい」と言った。

聞きながら国分が「いいねここ!」と言った箇所がある。

なんのために生まれて なにをして生きるのか 
こたえられないなんて そんなのはいやだ! 

そして国分は、最後の「いけ!みんなの夢まもるため」の部分を口ずさんでいた。

きっと国分は見つけたのだと思う。もちろん、ここで国分がなんのために生まれてなにをして生きるのかを勝手に決め付けることはできないし、それは失礼なことだと思う。

ただ、国分のこれまでを振り返りながら思う。人と丁寧に触れ合うこと、現場の楽しく豊かな雰囲気づくりに心を砕くこと、「目に見えないもの」も受け入れ自分の保身にはこだわらないこと……そんな価値を大事にしている国分にとって、その「何のために」の「何」が数字ではない可能性は高いのではないだろうか。そして、その「何」はきっと「みんなの夢」の方向を向いているはずだ――と。