Photo: happyphoto / PIXTA(ピクスタ)

写真拡大

 トランプ前大統領の「選挙は盗まれた」「議事堂に行って、勇敢な議員を励まそう」との演説に扇動された熱狂的な支持者たちによるアメリカ連邦議会議事堂占拠は、今後、現代史の画期をなす出来事として繰り返し語られ分析されることになるだろう。

 この事件の不可解さは、トランプ支持者がQアノンなる陰謀論を信じていることにある。この陰謀論では、「アメリカはディープステイト(闇の政府)に支配されており、トランプはそれと闘っている」とされる。彼らにいわせれば、「選挙を盗んだ」のもディープステイトの策略ということになる。

 ディープステイトとはいったい何なのか? 諸説あるものの、この用語が広く知られるようになったきっかけは、NSA(国家安全保障局)、CIA(中央情報局)の元局員で、政府がアメリカ国民に対して組織的な監視活動を行なっていることを告発したエドワード・スノーデンのようだ。スノーデンは、行政権力が法や倫理を無視して歯止めなく監視・統制を強めていく実態を「ディープステイト」と呼んだ。

 だがQアノンの陰謀論は、このような(真っ当な)権力システム批判ではなく、明らかに政府内に巣くう特定の陰謀集団を想定している。この発想は目新しいものではなく、建国以来、アメリカ人は「秘密結社の脅威」に取り憑かれてきた。

 こうした秘密結社のなかでもっともよく登場するのがイルミナティ(Illuminati)だ。といっても、この名高い(悪名高い)結社は日本人にはほとんど馴染みがなく、私もダン・ブラウンの歴史ミステリーを原作にした映画『天使と悪魔』(ロン・ハワード監督、トム・ハンクス主演。2009年)くらいしか知らなかった。ローマ教皇が死んだばかりのバチカンで4人の枢機卿が拉致され、イルミナティから脅迫テープが届く……というのが物語の導入だ。

 キリスト教圏の歴史や文化(サブカルチャー)に大きな影響を与え、いまもアメリカの「怒れるひとびと」を動員するちからをもつ秘密結社とはいったい何なのだろうか?

イルミナティとはどんな団体なのか?

 イルミナティは「陰謀」にまみれているので、主流派の歴史家は敬遠し扱おうとしなかった。その数少ない例外がイギリスの歴史家ニーアル・ファーガソンで、『スクエア・アンド・タワー ネットワークが創り変えた世界』(東洋経済新報社)の冒頭に「イルミナティの謎」の章を置いている。ファーガソンはこの本で、人類の歴史を「スクエア(広場)」と「塔(タワー)」の拮抗と交代として読み解こうとしている。これを私の用語でいうと、「バザール」と「伽藍」になる。

 タワー(伽藍)が強固な階層性組織だとするならば、広場(バザール)は階層性を侵食するネットワークだ。強大な権力もいずれはネットワークに侵食されて崩壊するが、中心のない「スクエア=ネットワーク」だけでは社会を統治することができず、混沌のなかからふたたび「タワー=階層性」が現われる。――この魅力的な歴史観についてはいずれ別の機会に論じてみたい。

 そのファーガソンはイルミナティを、18世紀のドイツ、バイエルン地方で誕生した秘密結社的なネットワークだとする。それが「神話化」することで、現代に至る壮大な「陰謀論のネットワーク」へと成長したのだ。

 アダム・ヴァイスハウプトは1748年に南ドイツの法学教授の家に生まれ、父親が若くして死んだために、大学改革を命ぜられた男爵の後援で父親の跡を継ぎ、若干24歳でバイエルン中部にあるインゴルシュタット大学の教会法の教授に、翌年には法学部の学部長に任命された。

 この若い法学者は、幼少期にイエズス会のきびしい教育を受けた反動でフランス啓蒙運動の過激な哲学者に傾倒しており、それを保守的な南ドイツ移植したいと考えていた。だが彼が奉じたのは禁忌とされた無神論だったので、仲間を集めるにしても、その目的を秘匿しなければならなかった。こうして1776年、ヴァイスハウプト28歳のときに秘密結社「イルミナーテンオルデン(イルミナティ教団)」が創設された。

 この結社のある会員の回想によると、ヴァイスハウプトはイルミナティの目指すところを次のように語ったという。
 
 この上なく巧妙かつ安全な手段を講じ、美徳と叡智をもってして愚昧と悪意に勝利せしめることを目指す団体。科学のあらゆる分野で最も重要な発見をなし、会員を教導して偉大たらしめる団体。現世において全き者となるという確実な褒賞を会員に保証する団体。迫害と弾圧から会員を守る団体。あらゆる形態の専制を封じる団体。
 
 イルミナティは「啓明」という名のとおり、その目的は「迷信と偏見の雲を追い散らす、理性の太陽によって啓蒙し、知性を導く」ことであり、「私の目的は理性を優位に立たせることだ」とヴァイスハウプトは宣言した。そのための方法は「陰謀」ではなく「教育」で、結社の総則(1781年)には「この同盟の唯一の意図は、空虚な手段に訴えることなく、美徳を助長し、それに報いることによる教育である」と記された。

イルミナティはフリーメイソンの内部に埋め込まれることで成長した

 イルミナティは啓蒙主義を掲げる秘密結社として創設されたが、その性格に決定的な影響を与えたのは、ヴァイスハウプトがイエズス会しか「組織」を知らなかったことだ。その結果、矛盾するようだが、「イエズス会のような階層性をもつ反イエズス会(反カトリック)の秘密結社」が生まれることになった。

 イルミナティの会員は、多くが古代ギリシアや古代ローマに由来する暗号名をもち(創設者であるヴァイスハウプトの暗号名は「スパルタクス」)、会員は下から「修練者」「ミネルヴァル(ギリシア神話の知恵の神アテナに相当するローマ神話の女神ミネルヴァからとった名称)」「啓蒙されたミネルヴァル」の3階級に分けられ、低い階級の者には結社の目的や活動内容は漠然としか知らされなかった。

 入会にあたっては秘密厳守の宣誓をしなければならず、この誓いを破ると「この上なく陰惨な死」をもって罰せられることになっていた。新加入者は孤立した「細胞」に組み込まれ、上位の会員の監督下に置かれるが、その人物の正体は知らされなかった。

 とはいえ、創設時の会員は学生が大半で、2年経っても会員総数はわずか25人だった。1779年12月(創設3年目)でも60人にしかならなかったが、それからわずか数年のうちに会員数は1300人を超えるまでに急増し、バイエルンだけでなくドイツ各地に支部をもつようになった。

 なぜこのような「躍進」が可能になったのか。それは、イルミナティがフリーメイソンに食い込んだからだ。

 フリーメイソンもまた陰謀論の定番で、その神話化された来歴については諸説が入り乱れているが、中世の石工(王宮や教会などの建築家)組合を前身とし、「理性の時代」の潮流のなかで、17世紀中期にスコットランドのロッジ(地方支部)が「思索的メイソン」を受け入れ、そこからイングランド、フランス、ドイツ、北米へと広がっていったとされる。

 フリーメイソン自体も啓蒙主義(理神論)の秘密結社だが、1770年代になると、ドイツでは名士の社交クラブのような存在になっていたらしい。そうなると、「テンプル騎士団を起源とする伝承がないがしろにされている」と不満をもつ会員が現われ、「厳格な典礼の遵守」を求めるようになった。

 そんな「原理主義者」が新興の弱小秘密結社に目をつけ、それを利用して“堕落したメイソン”を立て直そうとした。イルミナティは「寄生植物」のように、フリーメイソンの内部に埋め込まれることで成長したのだ。

 フリーメイソンの原理主義者たちは、イルミナティの組織に自分たちの儀式を次々と加えた。修練者の階級は「ミネルヴァル」と「小啓明者」に分かれ、その上に「大啓明者(スコットランド修練者)」と「教導啓明者(スコットランド騎士)」が置かれた。上位の「啓蒙されたミネルヴァル」階級も「小密儀(司祭)」「大密儀(魔術師)」「王」へと階層化された。「王」の会員のなかから国家監査官、管区長、長官、首席司祭といった結社の役員が選ばれ、多数の地方「教会」は「県」「地方」「査察」の傘下に入った。

「秘密結社のなかの秘密結社」として組織が整備されるにつれて、イルミナティはドイツの名士たちに強烈な魅力をもつようになった。それはいわば招待制のサロンのようなもので、イルミナティであることが新たなステイタスシンボルになったのだ。こうして、ドイツの錚々たる諸侯や貴族、知識人だけでなく聖職者までもが結社に加わった(モーツァルトのオペラ『魔笛』(1791年)にイルミナティの影響が見られることはよく知られている)。

 だが上流階級への急速な浸透がバイエルン政府の警戒を招き、「宗教に背き、敵対する」として、創設から8年後の1784年には活動を事実上禁止する3つの布告のうちの最初のものが発せられた。調査委員会によってイルミナティの会員が大学や官界から追放され、職を失い、投獄されたり国外に追放される者が出ると、結社はあっけなく崩壊した。ファーガソンは、「イルミナティは、1787年の末までには実質的に機能しなくなっていた」と述べる。

 それにもかかわらず、なぜこの秘密結社は「神話化」していったのか。それは同じ頃、ヨーロッパで大事件が起きたからだ。それが1789年のフランス革命だ。

続きはこちら(ダイヤモンド・オンラインへの会員登録が必要な場合があります)