日本神話の怪物ヤマタノオロチには足があった!?島根県の博物館に聞いてみた

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しばらく前になりますが、平成30年(2018年)に以前から憧れであった出雲を旅行し、島根県立古代出雲歴史博物館(以下、博物館)を見学させていただいた時のこと。

出雲の神話世界や石見銀山など、島根県の豊かな歴史文化について学ばせて頂きましたが、その中で気になる点がありました。

スサノオのヤマタノオロチ退治。月岡芳年「日本略史之内 素戔嗚尊 出雲簸川上八頭蛇を退治したまふ図」

日本神話のハイライトとして有名な、スサノオノミコト(須佐之男命)のヤマタノオロチ(八俣遠呂智)退治を紹介する映像作品「中世のヲロチ神話」に登場するヤマタノオロチには四本足が生えており、空を飛んで移動していたのです。
※漢字表記は『古事記』より。『日本書紀』では素戔嗚尊、八岐大蛇。

ヤマタノオロチとは八つの頭と八つの尾を持った大蛇で、あまりの大きさ(自重)ゆえにその腹はいつもボロボロに擦り切れて血みどろとなっていると聞きましたが、空を飛べるならそんな痛い思いはしなくてすむはず。

そもそも、蛇は足がないから蛇なのであって、足が生えていたら文字通り「蛇足(だそく)」となってしまうのではないでしょうか。

一体どういう事なのか?これがヤマタノオロチに対する島根県の公式見解なのか?……そんな疑問を、博物館に問い合わせてみたのでした。

蛇を龍と同一視していた?中世人の感覚

そして、博物館からご回答が届きました。本題について頂いたメールを抜粋します。

博物館に展示されていたヤマタノオロチとスサノオの面。

ご質問がございました映像(プログラム名:「中世のヲロチ神話」)は、中世の時点における「ヤマタノヲロチ神話」を紹介したもので、制作にあたっては、「雲州樋河上天淵記」(注1)という史料を基にしております。しかし、その中には「大蛇に足がある」や「空を飛ぶ」という記述は見られません。

映像の背景となった中世は、大蛇と龍が緊密に結びつき、大蛇が龍のイメージとして認識されてきた時代でもあったことから(注2)、「中世のヲロチ神話」の制作にあたっても、そのような時代背景をもとに八岐大蛇を描写していますが、複数の資料や内容を用いて映像を制作したことに関する説明不足もあり、今回のような疑問を持たれたかと存じます。

歴史系の博物館である当館としては、展示や教育普及活動などの情報発信は、正確な情報に基づいて行われなければならないと考えております。このため、調査研究に裏付けられた展示等により、真正性や客観性を保ちながら、広く皆様から信頼される博物館を目指し努力してまいりますので、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

注1:「雲州樋河上天淵記」の制作年代は、奥書より大永3年(1523)であったと考えられます。
注2:黒田日出男『龍の棲む日本』(岩波新書、2003年)、3(ギリシャ数字の3です)「龍体の神々と国土守護」などを参考としました。

ちょっと長いので要約すると、博物館からの回答趣旨は以下の通りです。

一、映像制作に際しては戦国時代の史料『雲州樋河上天淵記(うんしゅうひのかわかみあめがふちき。大永3・1523年)』を元にしているが、史料に「ヤマタノオロチに足があり、空を飛んだ」という描写はない。

一、では、なぜそのように描写したのかと言うと、中世の日本では蛇を龍と同一視する感覚があり、そこでヤマタノオロチも「龍のように足があり、空を飛ぶ」という描写を採用した。

一、ちょっと説明不足だったが、これからもよりよい歴史情報を発信していく。

先ほどの絵を拡大すると……あれ?ヤマタノオロチのツメ先らしきもの(黄丸部分)が描かれています。大蛇を龍と同一視する感覚は、確かにあったようです。

……とのことで、丁寧なご回答、誠にありがとうございます。ちょっと従来のイメージと違ったので面食らいましたが、古くから何度も語り継がれてきた有名な物語なので、飽きられないよう、オリジナリティを出したかったものと思われます。

とまぁこういう事もありますから、博物館など公的機関の情報であっても鵜呑みにせず、感じた疑問は積極的に訊いてみると、新たな発見が得られるかも知れません。

※参考文献:
戸部民夫『日本神話−神々の壮麗なるドラマ』新紀元社、2003年10月
黒田日出男『龍の棲む日本』岩波新書、2003年3月

島根県立古代出雲歴史博物館