「可愛すぎるアスリート」と呼ばれて 28歳になった重量挙げ・八木かなえが今語る本音
五輪2大会連続出場の重量挙げ選手に聞く、過度な期待の受け流し方とは
3大会連続の五輪出場を目指すウエイトリフティング・八木かなえ(ALSOK)が、「THE ANSWER」のインタビューに応じ、“期待との付き合い方”について語った。旧階級も含めて全日本選手権5連覇中の28歳。高校時代に「かわいすぎる重量挙げ選手」と注目を浴びた頃、周囲の期待と自身の目標の間に生まれたギャップに悩んだ。葛藤を抱えた当時の心境を振り返りながら、次世代の選手たちに「自分の決めた目標へ突き進む大切さ」を伝えた。
期待と目標――。他人が求める「期待」と、自分が定める「目標」は必ずしも同じではない。本来、自分が決めるはずの目標が他人の言葉によって揺らいでしまう。大きな期待は時に心を惑わせる。
八木は過去にそんな経験をしたアスリートの一人だ。
5歳から器械体操を始め、中学3年の時に参加した高校見学でウエイトリフティングに出会った。兵庫・須磨友が丘高から本格的に競技を開始。器械体操で培った体幹や瞬発力が生き、競技歴わずか8か月ながらアジアユース選手権で優勝した。高校2年だった2009年11月の世界選手権で日本代表に抜擢され、いきなり10位と健闘。“五輪期待の星”として少しずつ世間に知られる存在となった。
実力もさることながら、注目を浴びたのは容姿だった。愛くるしい笑顔からは想像もできないパワーを発揮し、重いバーベルを上げる女子高生。市議会議員や海女さんなど、当時は「美人すぎる〇〇」が大きく流行っていた。そんな流れで現れたスポーツ界の新星。「かわいすぎる重量挙げ選手」はネット上でも話題になっていった。
全国高校女子選手権では3連覇を達成。三宅宏実(いちご)の後を追うように頭角を現した10代選手に注目が集まるのは当然だった。しかし、当時はシニアで日本一になったこともなく、本人は20歳で迎える2012年のロンドン五輪に出られるなんて思っていなかった。自己記録から見えてくる実力、立ち位置は自分が一番わかっていたからだ。
言葉を選びながら、当時の胸の内を明かしてくれた。
「やっぱり戸惑いは大きかったですね。それこそ、学生の時は取材を受けるのも好きじゃなかったです。もっと実力があれば、取り上げてもらえることも嬉しかったのかもしれないですが、『まだ自分はそこまでの実力じゃないのに』というのが凄く自分の中にはあって」
周囲は“メダル獲得が目標”を前提、八木の「取材が嫌ではなくなった」理由とは
決して注目を全面的に嫌っていたわけではない。注目度や人気に比例して、企業などのサポートが増すスポーツ界。メディアに取り扱ってもらう機会が増えれば、競技の普及や選手の活動の幅が広がる。10代の八木もこれを理解していた。
ただ、悩みを抱えたのは期待と目標の乖離だった。
「そこが大きかったです。オリンピックに自分が出られるような選手じゃない時も、オリンピック出場を期待されてしまうことが多かったですね。オリンピックに1回出たら、次はメダルと言われるようになる。実力とのギャップのようなものはありました。
メダル候補と言われると、応援してくれる人もメダルを期待するわけじゃないですか。そういう時に獲れなかったり、できなかったりした時に凄く申し訳なく感じる。自分の目標と同じくらいの扱いだったら、それはそれで頑張れたのかもしれないですけど、プレッシャーに感じることも多かったですね」
おっとりとした口調で10年ほど前の自分の気持ちを思い返した。
高校3年だった2010年、金沢学院大に進学した2011年もロンドン五輪は「全く出られるとも思っていなかったですし、そもそも出ることが目標でもなかった」という。24歳で迎えるリオ五輪がターゲットだった。しかし、ロンドン五輪の選考会を兼ねた2012年4月の全日本選手権で初優勝。真夏の祭典への切符を予期せぬ形で手にした。
五輪出場の目標達成がリオから4年早まり「一歩早く叶えたので(五輪本番で)経験を積みたいというのもあったし、自分のいい記録を出したいなというのもあった」と上方修正。順位よりも自己記録の更新を心の真ん中に置いた。
しかし、周囲は違う。取材で聞かれる質問は“メダル獲得が目標”という前提の上に成り立つものが多かった。メディアにとっては、少しでも大きく扱い、視聴者や読者に見てもらうには「メダル候補」「期待の星」など、人の興味を引く切り口が必要である。
八木も決してメダルが必要ない、獲りたくないというわけではない。自分が熱中してきた競技の魅力を知ってもらえることは、ありがたいことだと感じていた。注目されることで応援してくれる人も増え、支えを実感できる。ただ、12位で終えたロンドン五輪以降、期待と目標のギャップはリオ五輪にも続いていった。
前向きに捉えられるようになったのは、社会人になってからだった。普段は母校の須磨友が丘高で練習する。メディアに出演すると、「先輩、この前見ましたよ」と後輩たちに話しかけられることが増えた。八木の存在を知り、ウエイトリフティングを始めた子もいる。競技の知名度も上がり、少しずつ競技人口が増えていることを実感できた。
「テレビに出たら後輩たちが凄く喜んでくれて、競技を知ってもらうにはこういうことも大事なんだなと。それから取材なども嫌ではなくなりました。『憧れて入りました』とか、そういう子たちが最近多くなってくれている。メディアに出ることでウエイトリフティングを知ってもらえて、その嬉しさの方が大きくなってきたのでやりがいも生まれてきたと思います」
次世代の選手へアドバイス「周りがどう言おうと…」
期待と目標のギャップも、リオ五輪の前には受け入れられるようになった。今では「メディアの力に頼らないといけない」と競技普及を目的にテレビや雑誌などにも出演。目標とは違う、少し大きめの期待にも「いい意味でスルーする」と笑うことができる。
「言われたことを鵜呑みにして全てを取り込むようなことはしないです。『自分の目標があるから』と思えるようになったので、気持ちも楽にいられるようになりました。(報道と)うまくお付き合いできるようになったというか(笑)」
容姿への注目を競技に向けさせる、または期待と現実のギャップを埋めるには「もう練習あるのみですね。やっぱりそこしかない」と言い切った。これから先、自身と同じ悩みを抱える選手が出てくるかもしれない。子供たちや高校生など、若い選手に向けて自分なりのアドバイスを送ってくれた。
「自分を見失わないことですかね。周りがどう言おうと、自分の決めた目標に向かって進むことの大切さを伝えられたらいいなと思います。自分に合った目標が大切。目標が大きすぎると、なかなか達成できずにしんどくなってしまうことが多いです。
達成できるか、できないかギリギリのところに目標をしっかりと定めて、そこに向かって練習して、それをクリアできた時はもうちょっと大きな目標にすればいいと思います。大きな目標を持っておくことは大事かもしれないですが、大きな目標を持つなら目の前の目標も一つ持ってみる。そうすれば自然とやる気が出るんじゃないかな」
自身は全日本選手権53キロ級で2015年から4連覇。新階級制により55キロ級への転向を余儀なくされたが、昨年大会も優勝した。嘘偽りなく、来年の東京五輪出場をはっきりと見据えている。
3度目の夢舞台は、どんな大会にしたいのか。この問いの答えには、“等身大の八木かなえ”が映されている。
「コロナで試合がなくなって目標を失った子たちも凄く多い。そういった子たちにオリンピックって本当に凄いということを知ってもらいたいです。そこを目標にしてもらったり、オリンピックではなくても何か頑張れるような目標を見つけてもらえるように。そういうことをお伝えできたらなと思います」
目標を決めるのは、他の誰でもない自分自身。その道を歩むのも自分しかいない。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)