香港市民を救え!開き始めた台湾の保護傘計画
香港のデモ参加者を救おうと、台湾で「保護傘香港」という会社が設立された(写真:今周刊)
台湾の移民署の発表によると、2019年の香港から台湾への居留ビザ(長期滞在)取得者は5858人。2018年と比べて41.1%増と急増している。
要因のひとつは不安定な香港情勢だ。台湾政府は「政治的な理由」から移住を希望する香港人のための専門窓口の開設を決定。さらに多くの香港人の移住が見込まれる。
移住者のなかには民主化デモに参加した若者もいるが、彼らは決して台湾に安住の地を求めてやって来たのではない。彼らは香港を諦めてはいない。避難先の台湾で香港人は自活と抵抗のための拠点を作り上げているのだ。
忘れられない硝煙のにおい
香港から逃げて来たイヴァンさん(21、仮名)は、2019年に恐怖と混乱の中、台湾に逃れてきた香港人青年だ。彼は夜になると決まって同じ夢を見る。「私が島に閉じ込められている夢だ。夢のなかで、対岸にいる仲間が助けを求めているのに、仲間を助けることはおろか声も届かない」。
まだ少年のような幼さが残るイヴァンさんだが、その表情は厳しく、精神状態が落ち着いていないことがうかがい知れる。彼は香港から台湾に移り住むまでの出来事を話し始めた。
2019年、中国本土への容疑者の引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案の撤回などを求める香港民主化デモに、イヴァンさんも参加していた。イヴァンさんはデモのなかで浴びた硝煙のにおいが今でも忘れられないという。
6月12日と7月1日に、彼は雨傘を盾代わりにデモに参加した。その際、デモ隊の前列にいたイヴァンさんは警棒で殴られ、催涙弾を浴びた。「そのとき身分証を確認され、警察にマークされた。情報は香港立法会(国会に相当)にも渡っているはずだ」。
7月の香港は恐怖に包まれており、当局にマークされたイヴァンさんは香港を離れるしかなかった。彼はスーツケース1つと40香港ドル(約560円)が入った通帳を持って台湾に向かった。海外から民主化運動を行うことにしたのだ。香港デモを契機に、多くの香港人が台湾へ渡った。すでに香港へ帰った人もいるが、イヴァンさんのように台湾にとどまって活動を続ける人もいる。
2020年1月、台北市で「保護傘香港有限公司」という企業が登記された。資本金は500万台湾ドル(約1800万円)。登録された事業内容は日用品の販売から飲食業、国際貿易までと多岐にわたる。
実際に会社の公式サイトを見てみると、「主権を取り戻す」という意味の「光復」という文字がプリントされたTシャツ数種や、香港民主化デモの様子を収めたドキュメンタリー写真集が販売されている。
創業の背景にあるのは、香港の人権派弁護士・黄国桐(ダニエル・ウォン)氏(70)が提唱した保護傘計画だ。保護傘計画の目的は、台湾に逃れた香港の活動家の自活を支援することである。
自由と平和のシンボル「レノンの壁」
4月19日には台北市に「保護傘」という名のレストランも開店した。スタッフは香港人。台湾に逃れてきた香港人を雇用することで、彼らの自活を支援している。レストランの入り口には、香港の民主化運動の象徴となったキャラクター「カエルのペペ」が飾られている。
ペペは右目をおさえている。この右目を覆うポーズはデモ参加中に警察に右目を撃たれた女性を模し、民主化運動への連帯の意を示すものだ。隣には台湾メディアによる香港民主デモのノンフィクション本『烈火黒潮』が並び、カウンターには小さな「レノンの壁」も設置されている。
レノンの壁は自由と平和のシンボルだ。その起源は冷戦下のチェコスロバキアで、ジョン・レノンの死(1980年)を知った若者たちが壁に哀悼のメッセージを描いたのが始まりだ。壁には共産主義体制への反対と自由への願いがこめられており、それが近年、香港でも若者の手によって作られていた。保護傘レストランのレノンの壁には、香港デモ参加者たちへの客からのメッセージが寄せられている。店には大きく「光復香港、時代革命(香港を取り戻せ、革命の時代だ)」というスローガンが掲げられていた。
こうして小さいながらも保護傘、つまり「香港を守る傘」は開いた。「傘の下にいる者」と「傘をさす者」、すなわち台湾に逃れて来た香港人と、それを保護する者たちが慎重にその一歩を踏み出したのだ。
傘をさす人はほかにもいる。ゴシック式の赤レンガ建築が有名で、台北市の観光地として名高い済南教会。同教会の黄春生牧師は、長年にわたり人権運動家を庇護してきた。もちろん香港民主化運動の参加者も例外ではなかった。
2019年、黄牧師は台湾に流れ着いた「香港からの旅行者」のために、教会内に隠れ家を用意した。旅行者のために無償で衣食住を提供。必要であれば病院で受診させた。教会には精神科医がおり、傷ついた旅行者を無料で診察した。
黄牧師は「台湾は聖書に登場する『逃れの町』なのかもしれない。香港人の傷はそう簡単に癒やせるものではないだろう。せめてこの教会だけは彼らの安らぎの場でありたい」と言う。
世界的な新型コロナウイルスの流行以来、香港のニュースを見ることがめっきり減ってしまった。だが実際は香港の抗議者たちを取り巻く情勢は依然として厳しいままだ。
2020年4月18日、突如として香港警察は香港の有力メディア『蘋果日報 (アップル・デイリー)』の創立者である黎智英 (ジミー・ライ)氏や「香港民主化の父」と呼ばれる李柱銘(マーティン・リー)氏、元立法会議員で弁護士の呉靄儀(マーガレット・ン)氏ら15人の民主派活動家を一斉摘発した。すぐ保釈されたとはいえ、中国や香港政府に異を唱える者への強い粛清を感じさせる出来事だった。
この一斉摘発の直前には、中国の出先機関である「中央政府駐香港連絡弁公室 (中連弁)」と「国務院香港マカオ事務弁公室」が香港の立法会を批判する文書を発表し、香港が「国家安全における穴になってはいけない」とした。
広がる「一国二制度」形骸化への懸念
さらに香港政府は香港基本法の解釈を変更。同第22条には「中国政府所属の各部門は、香港特別行政区が本法に基づき管理する事務に干渉できない」と明言されているにもかかわらず、香港政府は中弁連の香港の事務への介入を「当然のこと」としたのだ。中弁連が中国政府に属する一部門ではなく、それ以上の権限を持つ機関であると認められた形だ。この基本法の解釈変更により、香港における一国二制度の形骸化への懸念が広がった。
その頃、人権派弁護士の黄国桐氏は、逮捕された民主活動家のために奔走していた。黄弁護士は「一国二制度は有名無実となった。香港は死に至るほど危険な状態だ」「最近の中国共産党による圧力を考えると、優先させるべきは仲間の身の安全だ」と言う。
また黄牧師は、中国政府が今後、香港で実践することは「殺、関、管」だと話す。「殺」とは「勇武派」と呼ばれる武闘派の若者が、警察によって「自殺させられる」こと。「死因に不審な点があるにもかかわらず、自殺として処理されること」を指す。特に権力による殺害・隠蔽が疑われるケースに使われることが多い言葉だ。
香港デモの際にも、自殺と発表された若者のなかに「被自殺」が疑われるケースが指摘されている。デモ参加前に公の場で、「私は自殺しません」と宣言する若者が相次いだのはこのためだ。
2つ目の「関」は「閉じ込める」の意で、有力な民主活動家らの逮捕・軟禁を意味する。3つ目の「管」は「管理」の管だ。黄牧師によると、中国政府は殺と関で反政府の声を上げることができない雰囲気をつくり、最後に残った民衆を管理すると考えられる。いずれにせよ、聞こえるのは香港の未来を憂う声だ。
黄弁護士は失望することはあっても、いまだ絶望はしていないという。それは若い抗議者も同じだ。黄弁護士は台湾に滞在する香港のデモ参加者たちのために「保護傘計画」を発表した。この計画には黄牧師も関与し、黄弁護士と多くの議論を交わした。
逃亡してきた香港人が台湾で合法的に長期滞在するために、2つの道を開く必要があった。1つは学生としてビザを取得できるようにすること。もう1つは就労ビザの取得だ。
台湾で外国人が就労ビザを取得する条件は、『就業服務法』にもとづき、専門性もしくは技術性のある仕事につき、かつ平均月収が4万7971台湾ドル(約17万4000円)以上でなければならないことだ。しかし、黄牧師は「台湾にいる香港人の中には、(ビザの条件を満たす)仕事に就くのが困難な人もいる」と話す。
だからと言って「台湾に来た香港の抗議者は難民ではない」と黄弁護士は考える。そこで生まれたのが保護傘計画で、台湾に逃れてきた香港人の拠り所を作ろうとしたのだ。黄弁護士はかつて台湾大学で学び、同窓生には馬英九・前総統がいる。土地勘のある台北を保護傘計画の拠点とし、香港のデモ参加者たちがビザを取得して台湾に長期滞在できるようにしたのだ。
「今は香港のために学びたい」
保護傘計画は、今後は貿易業やアパレル業にも進出し、香港の同胞に職と仮住まいの宿を提供。台湾での生活を安心して送れるようサポートしていきたいとしている。
台湾にいる香港の抗議者を支援していたのは保護傘計画だけではない。保護傘計画に賛同した香港の「星火同盟」という組織も資金援助をしていた。 星火同盟は2016年に結成され、クラウドファンディングを通してデモの逮捕者の保釈金や医療支援、法律相談などのサポートをしていた。
だが2019年末、星火同盟が集めた寄付金7000万香港ドル(約9億6000万円)が当局により凍結された。保護傘計画もその影響を受け、黄牧師によると、「星火同盟の資金が凍結されて以来、保護傘の経費は黄弁護士と個人の支援者によってまかなわれている」という。
香港から逃れてきたイヴァンさんも、以前は保護傘計画のサポートを受け、そこで黄弁護士と出会った。黄弁護士は、知り合って間もないイヴァンさんのために支援を惜しまなかったという。イヴァンさんは「私は黄弁護士のことを尊敬している。彼のようにお金も権力もあり、台湾での身分も保証されている人なら、のんびりと人生を送ることもできるのに、私たちのためにこんなに力を尽くしてくれて……」と黄弁護士に感謝の気持ちを表す。
イヴァンさんら「香港からの旅行者」は台湾ですべきことが2つあると考えている。1つは自活、そしてもう1つはたとえ心が痛んでも香港から目をそらさないことだ。そのために、イヴァンさんたちは抗議者たちが安心して暮らせる環境作りに励んでいるのだ。イヴァンさんは「もし私達が何もせず、デモのことを忘れてしまったら、何のために台湾に来たのかわからない。次の一手のために今は時間が必要だ」と話す。
将来、イヴァンさんが香港に戻れる日が来るかどうかはわからない。だが彼はもう覚悟ができているという。イヴァンさんは香港の大学の理工科で学んでいたが、台湾では政治を学びたいと考えている。現在、外国籍の学生が台湾の大学に進むための予備教育課程に在籍し、進学に備えている。イヴァンさんは「以前は、勉強は将来食いっぱぐれないためにするものだと思っていた。今は香港のために学びたいと思う」と話す。
4月、香港の抗議者にもう1つ明るいニュースが入って来た。かつて香港で営業し、中国政府に批判的な「禁書」を扱っていたことで、閉店に追い込まれた「銅鑼湾書店」の店主・林栄基さんが台北市で店を再開させたのだ。
だが、台湾に来てすべてが順調というわけではなかった。4月23日の夜10時、取材班は開店が2日後に迫った銅鑼湾書店にいた。書店は雑居ビルの10階、小ぢんまりとした店だ。実は、林さんはこの数日前、何者かによって赤いペンキを浴びせられるという被害に遭っている。台湾にも林さんらへの妨害勢力が存在するが、林さんは恐れない。彼のしわくちゃになったカバンには「書枱不屈膝(本棚は屈服しない)」という思いが記されていた。
台北市に再オープンした銅鑼湾書店(写真:今周刊)
「元々、カナダに行こうと思っていた。しかしカナダに行ったところで何ができるのか。台湾なら本屋をすることで抵抗できる」と、林さんは台湾に来た理由を話す。店の開店資金はクラウドファンディングで募った。彼のもとに600万台湾ドル(約2100万円)が集まったが、本棚や書籍の購入などに資金の約半分が消えたという。林さんは冗談を交えて言う。「この店は方角がよくない。香港人は風水を気にするが、北向きは商売には向いていないんだ」。
傷ついた抗議者たちの道しるべ
林さんは、いま店を開くことは以前とは異なる責任があると考えている。「香港では自分の金で店をやっていた。しかし今は寄付してもらった金だ。私はただの金の管理を託された管理人なのだと思う。とにかく、もう後戻りはできない。もし辞めてしまったら、香港の若者に示しがつかない」。
林さんは生涯、香港に戻ることはないと考えている。しかし、「人生には、やらなければならないことがある」と覚悟を見せた。そして、林さんは笑いながら入口のほうにある児童書コーナーを見せてくれた。「児童書がない本屋などありえない。児童書がない世界は本当につまらないものだ。本というのは次の世代に伝えるものなのだから」。
銅鑼湾書店の林さんとイヴァンさんら保護傘の若者たちの年齢差は40歳以上だ。しかし、同じように香港を憂い、両者が持つ使命感は日々重くなっている。彼らが願うのは台湾での一連の活動が暗闇の中の蛍火のように、傷ついた抗議者たちの道しるべになってほしいということだ。
イヴァンさんは「私は台湾に来られたことを感謝している。ここがとても好きだ」と話した。だが、どんなに安らげる場所であっても、イヴァンさんは台湾を安住の地とすることはできないという。「私が望む安心とは、(香港の)友人と酒を飲みながら楽しく過ごすことだと思う。(自身が台湾に渡ったことは)とても後ろめたい。今は死ぬ気で勉強しなければならないと、自身に言い聞かせている」。彼らにとって台湾へ逃れたことは決して敗走ではない。イヴァンさんは「いつも香港を思っている」と話した。(台湾『今周刊』2020年5月4日)