映画の中の名画 【第3回(『ブレードランナー』とSF映画へのオマージュ)】 1-3
*前のページに戻る


“ブレードランナーは、
映画の誕生そのものを
俎上に載せていた”

ロイが壁から顔を出すシーンは、多分、壁ではなくキャンヴァスを頭でぶち破った絵画から取られたものでしょう。描いたのは、誰あろう映画草創期に活躍した監督ジョルジュ・メリエスで、彼はキャンヴァスをぶち抜いて、顔を出した『男の肖像』[*5]をトロンプ・ルイユ(だまし絵)として描いていたのです。

[5]
ジョルジュ・メリエス『男の肖像』
1883年頃/ヴァルラフ・リヒャルツ美術館 
メリエスの自画像だというものもいるが、全く根拠はなく、当時の絵画の巨匠としてモローをモデルに描いた可能性が高い

ロイとメリエスが描いた男の向きは左右反対ですが、その角度は同じで顔つきさえもよく似ていて鏡像のようです。ちなみにこの男の顔は、メリエスの自画像だというものもいますが、彼は若くして禿げていて鼻の形も違い、全くの別人です。

絵の中のキャンヴァスには「アド・オムニア(すべてに)レオナルド・ダ・ヴィンチ」の文字があることから、絵画の巨匠を描いたもので、メリエスの絵画の師匠で当時、巨匠として名をはせたギュスターヴ・モローがモデルではないでしょうか。

いずれにしてもリドリー・スコットは、このメリエスの『男の肖像』を意識し、わざわざ映画の中に借用していたのです。なぜなら、まさにメリエスこそが、SF映画の創始者で、史上初のSF映画『月世界旅行』の監督だからです[*6]。さらに深読みすると、自身が美術を学び、映画監督になったリドリーは、同じくモローに絵画を学び、映画監督になったメリエスにオマージュを捧げていたのです。

[6]
ジョルジュ・メリエス監督の映画『月世界旅行』(1902年)の1場面

【映画『月世界旅行』との関係性】

この『月世界旅行』と『ブレードランナー』を比較すると面白いことに気づきます。『月世界旅行』では、地球から月に6名の人間が送りこまれますが、彼らは月旅行に出発する前の天文学者の集いで、三角帽子にフリルの襟飾りをしていて、まるで道化師のような恰好で登場します。

服を着替えて大砲の砲弾に乗り込むと、月に向けて発射されます。到着した月では、今度はサルまねのパントマイムをする道化師のような月人2名が現れ、これを殺すと捕らえられて月人の王のもとへと連れてこられます。

この王を殺して全員が逃走、計6名の月人を殺し、地球に砲弾ごと落下して帰るのですが、その際に月人1人も落下して連れ帰ります。

これは、『ブレードランナー』の物語を反転した鏡像の物語と言えないでしょうか。宇宙から地球に6名のレプリカントがやってきて、いわば、地球の王であるタイレル博士を殺します(フロイトのいう父殺しの物語です)。彼らは道化師となってブレードランナーと闘いますが、計6名のレプリカントは殺され、デッカードは落下せずに1人、生き残ります。

実は、フィリップ・K・ディックの原作では、逃亡したアンドロイドは8名でした。リドリー・スコットは、メリエスの最初のSF映画へのオマージュを完徹するために、レプリカントの数を6名にしたのでしょう。

『ブレード・ランナー』の当初の設定では、これまで登場した4名のレプリカントに加え、当初「ホッジ」と「メアリー」というレプリカントが構想されていました。「1名(ホッジ)は、すでに死亡」していると説明され、「メアリー」については撮影される予定が、予算の関係でカットされたため、レプリカント1名が言及されない有名な瑕疵が生まれます(これによって、描かれなかったもう1人のレプリカントとして、デッカード=レプリカント説が浮上します)。

この欠陥を後の『ブレードランナー ファイナル・カット』で修正したのですが、普通に考えれば6名を5名に変えれば済むことでした。ところが、6名はそのままで、死亡者を2名と変更したことからも、監督の6名へのこだわりは明らかでしょう。

『ブレードランナー』とは、6名が月へ行くメリエスのSF映画へのオマージュであり、メリエスが描いた、トロンプ・ルイユ(だまし絵)である『男の肖像』を、まさに「だまし絵」のように引用することで、そのことを明示していたのです。

【『ブレードランナー』のさらなる“深み”】

しかも、メリエスが目指した草創期の映画とは、曲芸や奇術の延長線上にあり、道化たちが活躍する見世物の世界だったのです。事実、メリエスがリュミエール兄弟からカメラを購入しようとしたとき、競合したのは、あのマネが描いたアクロバットや蛇使いなど、見世物的なヴォードヴィル・ショーを上演していたフォリー=ベルジェールでした[*7]。

メリエス自身も、奇術や見世物を上演する劇場のオーナーであり、自らもイリュージョニストとして活躍していたのです。

[7] エドゥアール・マネ『フォリー=ベルジェールのバー』 1882年/キャンヴァスに油彩/コートールド美術館 左上に空中ブランコに乗る女性の足が見える。こうしたショーを上演する劇場が最初に見世物としての映画に興味を持ったのだ(この作品は、『コートールド美術館展 魅惑の印象派』において、2020年1月3日から3月15日まで愛知県立美術館で、3月28日から6月21日まで神戸市立博物館で展示される予定)
" />
[7]
エドゥアール・マネ『フォリー=ベルジェールのバー』
1882年/キャンヴァスに油彩/コートールド美術館
左上に空中ブランコに乗る女性の足が見える。こうしたショーを上演する劇場が最初に見世物としての映画に興味を持ったのだ(この作品は、『コートールド美術館展 魅惑の印象派』において、2020年1月3日から3月15日まで愛知県立美術館で、3月28日から6月21日まで神戸市立博物館で展示される予定)
その出し物の中には、幻灯機のショーもあり、こうしたマジック・ランタンやファンタスマゴリアなどの幻灯機の世界が映画の前身だったのです。中でも、幻灯機で投影されていたものの一つに、セバスチャンが生み出した小人の道化師のようなジャック・カロが描いた道化師や[*8]、人間の服装をした動物たちがいたのでした。

[8]
「マジック・ランタン・ショー」を描いた版画が刷られたカード
19世紀後半/パリ 
幻灯機によるショー。なんと、そこで写されていたのは[2]で紹介したジャック・カロの『あしなえのギター奏者』の反転像だった

つまり、リドリー・スコットはSF映画の金字塔ともいえる『ブレードランナー』において、最初のSF映画である『月世界旅行』だけでなく、なんと映画の誕生そのものを俎上に載せていた可能性があるのです。

恐るべし『ブレードランナー』、恐るべしリドリー・スコット。一見するとシンプルな父殺しと生への葛藤のストーリーに忍び込ませた絵画のイメージに、深い意味が隠されていたのです。

映画の中の名画/『ブレードランナー』の真意を解き明かす絵画編〈完〉
*次回は、『ブレードランナー 2049』を公開予定です。

最初のページに戻る

◀︎1 2 3

映画の中の名画
第1回:『ブレードランナー』の真意を解き明かす絵画(1)

第2回:『ブレードランナー』の真意を解き明かす絵画(2)--『ブレードランナー』とメランコリアのポーズ

【著者紹介】
平松洋(ひらまつ・ひろし)

[美術評論家/フリーキュレーター]企業美術館学芸員として若手アーティストの発掘展から国際展まで、様々な美術展を企画。その後、フリーランスとなり、国際展や企画展のキュレーターとして活躍。現在は、執筆活動を中心に、ミュージアム等への企画協力を行っている。主な著書に『名画の謎を解き明かすアトリビュート・シンボル図鑑』『名画 絶世の美女』シリーズ、『名画の読み方 怖い絵の謎を解く』、『芸術家たちの臨終図鑑』、『終末の名画』、『ギュスターヴ・モローの世界』、『ミケランジェロの世界』、『ムンクの世界』、『クリムトの世界』ほか多数。