渋谷すばるや錦戸亮のジャニーズ退所に見る、現代アイドルの「悩みと分岐点」
2019年10月9日、渋谷すばるがジャニーズ事務所の退所後、初となるソロアルバム『二歳』をリリースした。フラゲ日となった10月08日付のオリコン・デイリーアルバムランキングでさっそく1位を獲得したのはもちろんのこと、デジタル音源を販売しているiTunes Storeのデイリーアルバムランキングでも初登場4位を記録するなど、ソロ活動の滑り出しは上々といえる。
遡ること1年半前、渋谷すばるが会見で自ら話していた退所理由は「自分の音楽を深く追求していきたい」というものだったが、思えば近年のジャニーズアイドルは「ひとつのことを追求するために」、自ら事務所を離れるというケースがだんだん増えてきている。
ジャニーズ定年説を
消滅させたSMAP
それこそ先月、渋谷と同じく関ジャニ∞のメンバーだった錦戸亮が「僕なりのエンターテイメント」を追い求めるためにジャニーズ事務所を離れているが、ほかにも2014年にはKAT−TUNのメンバーだった赤西仁が、自身の思い描く芸能活動のスタイルを貫くために退所した例もある。
もちろん渋谷・錦戸・赤西以前にも、ジャニーズ事務所との話し合いを重ね、合意の元に事務所を離れた元ジャニーズアイドルは存在する。しかしその退所理由をひとつひとつ見比べていくと、ちょうど90年代あたりを境界線に、アイドルたちが別れの決断を説明する言葉がほんの少し異なっているのだ。
例えば1994年、33歳でジャニーズ事務所を離れた田原俊彦の退所理由は、「30歳を過ぎたら事務所にお世話になるべきではないと思っていた」「基本的にジャニーズ事務所はティーンエイジャーのための会社であるべき」というものであった。
田原が所属していた'90年代中ごろまでのジャニーズアイドルには、ほかならぬ本人たちの中に「ジャニーズ定年説」(おおよそ25歳〜30歳のイメージ)が根付いており、グループの解散にしても退所にしても、自らのキャリアプランを大きく変えるその決断には、まず「年齢」という絶対的な分岐点が存在していたのだ。
しかしそのジャニーズ定年説は田原の退所後、後輩アイドルグループ・SMAPの歴史的大ブレイクによって、事実上消滅していくことになる。
SMAPブレイク以降に
デビューした彼ら
SMAPが自らの人生にも立ちはだかるはずだった定年説を撤廃させ、アイドルのまま年を重ねても変わらず活躍できるようになった一番の理由は、その多岐に渡る活動と実績で「アイドルのマルチタレント化に成功した」ことだろう。SMAPのブレイク以降、アイドルはさまざまなジャンルに積極的に顔を出す存在へと変わっていった。
芝居、バラエテイ、司会業、そして音楽。今やどんなジャンルにもフタを開ければ、アイドルの存在があり、そして私たちお茶の間サイドにも、その挑戦を普通に受け入れられる土台は、今やすっかり出来上がっているのが実情だ。
しかし、「年齢」というわかりやすい再考の分岐点が取り払われた中で、着々と年齢を重ねていく当の現代アイドルたちの人生には、いつしか「何でもできる」からこその、新たな悩みも生まれはじめているのだろう。
SMAPのブレイク以降にアイドルとしてデビューした渋谷、錦戸、赤西が、ここに来て自らのタイミングで続けて再出発を選んでいることには、その悩みのリアリティが詰まっているように見える。
そういえば今回発売された渋谷すばるのソロアルバム収録曲にも、本人によって綴られた、こんな歌詞があることに気づいた。
「色んな事やってきたけど これで生きていきたいと思いました」(渋谷すばる『ぼくのうた』より)
何でもできる環境から、自分だけの生きる道を追求するために、自ら再出発を決断していく元ジャニーズアイドルたち。
その姿はいつからか加速度的にボーダーレス化していくようになった社会の中で、少子高齢化によって定年の線引きも見えなくなってきている私たちの日々とも、どこか不思議に重なるのである。
乗田綾子(のりた・あやこ)◎フリーライター。1983年生まれ。神奈川県横浜市出身、15歳から北海道に移住。筆名・小娘で、2012年にブログ『小娘のつれづれ』をスタートし、アイドルや音楽を中心に執筆。現在はフリーライターとして著書『SMAPと、とあるファンの物語』(双葉社)を出版しているほか、雑誌『月刊エンタメ』『EX大衆』『CDジャーナル』などでも執筆。Twitter/ @drifter_2181