JR宇治駅近辺で防犯カメラに映った青葉容疑者とみられる男(松浩不動産提供)

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「京都であんなひどいことをして、亡くなった方もご遺族も本当に気の毒ですよ。でもあれほど暴力的ではなかったと思うんです、少なくともここにいたころは気の小さい人だったんです」

【写真】まだ少し痩せていた中学時代の容疑者

 容疑者が約4年間暮らした茨城県内の雇用促進住宅の元管理人が明かす。

6人の異母きょうだい

 京都市伏見区のアニメ制作会社『京都アニメーション(以下『京アニ』)第1スタジオで35人が死亡した放火殺人事件で、全身をヤケドして重篤な状態が続いている青葉真司容疑者(41)。凄惨な事件から8日たって容疑者の意識が回復したという。

「意識が回復して動機がわかったところで何だというのか。小説を盗まれたから、なんていう妄想を聞いたところでなんの解明にもならない。容疑者の心の奥底を解明しないことには第2の事件を防ぐこともできない」

 亡くなった被害者の友人女性が憤る。

 現場近くの防犯カメラは、ぴちぴちの赤シャツを着た大柄な男が無表情で台車を押している不気味な姿をとらえている。

 多くの命を一瞬にして奪ったモンスターは1978年春、茨城県で生まれた。

「お父さんがモテる人でね。前妻とのあいだに6人も子どもがいたんだけれど、その子どもが通う幼稚園の保育士とデキちゃって、駆け落ち同然で妻子を捨てた。それで生まれたのが真司ら3人きょうだい。2歳上の兄と1つ下の妹がいる」(地元関係者)

 その後も“モテる”父はオンナ遊びを繰り返し、ほどなくして両親は離婚。青葉容疑者ら3人きょうだいは父親に引き取られることに。埼玉県に移り住んだ一家は、浦和市のアパートの1階に居を構えた。

 当時を知る保護者は、

「アパートの窓や鍵がいつもあいていて不用心だなと思っていました。きょうだい3人で学校の校庭なんかでよく遊んでいましたよ。お母さんの姿は見かけないし、今でいう放置子だったのでしょうか。なんか少しかわいそうな感じのする子たちでしたね」

父の自殺と世間への憎悪

 地元の中学に進学した青葉容疑者。小学生のころから続けていた柔道部に入部する。

「上下関係が厳しかった柔道部で1年生のくせに彼は態度が大きく、反則技を使うので組むのをみんな嫌がっていました。股間を蹴り上げるような内股をかけるんですよ。2学年上のお兄さんが部長をしていたから威張っていたんでしょうね。

 彼の自宅に遊びに行ったことのある同級生は“あいつんち、しょんべん臭いんだよ”と言ってました。2年生のころ、学校に何も言わず突然、転校してしまったんです。先生から“青葉どうしたか知ってるか?”と聞かれた覚えがあります」

 と、同部の同級生が語る。

 転校先では不登校がちで「目立たないタイプ」「修学旅行にも来ていない」と同級生の記憶にはほとんど残っていない。卒業アルバムの集合写真にも姿はなく、別撮りの個別写真があるだけだった。

 ひっそりと中学を卒業した容疑者は、埼玉県内の定時制高校に入学、同時に埼玉県庁の文書課で文書の集配をする非常勤職員として働き始める。働きぶりは優秀で、目立ったトラブルもなかったという。

 その後、春日部市内のアパートでひとり暮らしを始めた容疑者はコンビニでアルバイトを始める。順風満帆とはいかなくてもまだ人としての暮らしがあった。だがしかし、容疑者の周辺は世紀末を境に一変する。

「'99年の暮れに父親が生活苦から自殺をしたんです。青葉はひとり暮らしをしてからもたびたび父親のもとを訪ねるなど親子仲はよかったようですからショックだったでしょう。その当時、世間ではハッピーミレニアムムード一色だった。世間への身勝手な憎悪を募らせていったのかもしれません」(民放ワイドショー記者)

 そのころから家賃を滞納するようになったという容疑者。そして、第1の事件が起きる。

「'06年に下着泥棒をしたとして警察に逮捕されたんです。初犯ということもあり執行猶予付き判決になりました」(全国紙社会部記者)

 判決を受けてからは住み慣れた埼玉を離れ、母親の住む茨城県西部にほど近い雇用促進住宅に入居する。春日部のアパートで滞納していた家賃は実母が負担したという。

 当時の管理人が契約書類を見ながら説明する。

「青葉さんは'08年の12月25日に入居し'12年の6月まで3年半にわたって住んでいます。私は'12年の4月から担当したんですが、前任者から“うるさい、周りから苦情が来る、問題あり”と注意がありました」

 真夜中の0時4分に必ず大音量のアラームが鳴る、壁をたたく音がする、など周囲とトラブルを起こしながらも管理人が注意に行くとおとなしく「はい」と従ったという。

第2の事件後、部屋に入った管理人

 '12年6月20日、容疑者は第2の事件を起こす。

「茨城県内のコンビニで店員男性に包丁を突きつけ金を奪いました。翌日出頭し、懲役3年6か月の実刑判決を受けています」(前出の記者)

 元管理人は事件前日の“異変”を明かす。

「前日の夜、彼はハンマーで壁に穴をあけて壊したんです。奇声も激しくてほかの住人から騒音の報告がありました。そして部屋の鍵を管理事務所のポストに入れたのち、コンビニを襲撃したので、計画的犯行だったのでしょうね。

 容疑者の逮捕後、荷物を処分するために部屋に入ったのですが、あまりの汚さに驚きました。すえたにおいのする部屋で万年床にスープが入ったままのカップ麺、破壊された真っ赤なパソコン、ガラス戸は割れ、自暴自棄になった様子が表れていました」

 元管理人は留置所に面会に行ったというが、犯行前日に部屋で大暴れした人物とは思えない態度だったという。

「巨体をかがめて面会室に入ってきました。1か月の家賃は3万円弱で入居中の3年半、ほとんど滞納しているので100万円近くを請求したが支払い能力もないし、実母にも請求できないので延滞金含め約200万円の未納分がそのまま残っています」

 栃木県の刑務所に服役したのち、埼玉県内の更生施設を経て、放火事件当時、住んでいた見沼区内のアパートへ移り住む。

 そこでのトラブルは、前号でも報じたとおり。

 そして7月18日、平成以降最悪の放火事件を起こしたのだ。

 茨城県内に住む実母は再婚し、幸せな生活を送っているが、残された3人の子どもたちについて、近所の住民に悲痛な思いを打ち明けている。

「本当は3人の子どもも夫も手放したくなかった。子どもたちを見捨てたわけじゃない。そばに置いておきたかった」

 容疑者が母親からの愛を事件前に感じることができていたら─。