昨年の西日本豪雨で甚大な被害を受けた、岡山県倉敷市真備町地区の特別養護老人ホーム屋上から撮影。高齢者を先に避難させたが逃げ遅れ、屋上で救助を待った(岸本祥一さん提供)

梅雨前線の停滞によって6月下旬から降り出した雨が、九州南部を中心に記録的な大雨をもたらした。気象庁の会見では、観測地点によっては昨年7月の西日本豪雨の雨量を上回る可能性があるとの見方も示された。

避難指示・勧告は、鹿児島・宮崎・熊本の3県で合計196万人超に発令。鹿児島県では34カ所で土砂崩れが発生して2人の方が亡くなったという(5日現在)。

今回の九州の豪雨における避難指示対象者の避難率をみると、鹿児島市では1%にも達しなかった、との報道も出ている。

過去の大規模な豪雨災害において「被害を拡大させた要因の1つ」として指摘されるのが避難率の低さ、すなわち「逃げ遅れ」である。全国で200人以上の死者を出し、「平成最悪の水害」といわれた昨年7月の西日本豪雨でも、やはり逃げ遅れが大きな課題となった。

避難しない=危機感の欠如とは言えない

なぜ危険が迫っていることがわかっているのに、人は逃げ遅れてしまうのか。その理由を知りたくて、昨年、私は西日本豪雨の被災地をまわって被災者の方々への聞き取りを行うとともに、防災や災害心理学の専門家へのインタビューを行った。そうした取材の成果をまとめたのが、今年6月下旬に刊行した『ドキュメント豪雨災害 西日本豪雨の被災地を訪ねて』である。

西日本豪雨の被災地を取材して痛感したのは、「身の危険を感じたら、安全な場所にすぐに逃げる」という、言葉にすれば単純なことが、実は極めて難しい現実である。

避難情報が出ているにもかかわらず、避難行動を起こさない人に対して、「危機感が足りない」などと批判めいた声が上がることがある。しかし、取材を通じて見えてきたのは、「避難しない=危機感の欠如」という単純な公式には当てはまらない被災者の姿だった。

大規模な浸水被害が発生した岡山県倉敷市真備町有井地区にある特別養護老人ホームの施設長・岸本祥一さんは、早い段階から災害の危険性を認識して避難準備を行い、避難勧告が発令された時点ですぐに施設にいた36人の高齢者を系列の施設に避難させて、被害を未然に防いでいる。災害直後の新聞報道では避難の成功例として伝えられていた。

ところが、詳しく取材をしてみると、高齢者の避難は迅速に行ったものの、その後岸本さんを含めて20人以上の職員は逃げ遅れて、浸水によって孤立。屋上まで水に浸からなかったために犠牲者を出すことはなかったが、もしハザードマップが示す「最大浸水深5メートル以上」まで水がきたら、建物全体が水没し、逃げ場を完全に失ってしまった可能性もあった。

当時を振り返り、岸本さんは「高齢者を避難させた後、椅子を机の上に上げたりしているとき、なぜ私は『そんなことは放っておいて、すぐに逃げろ』と言えなかったのか。根底には、晴れの国・岡山で大きな水害が起こるはずがないという根拠のない思い込みがあったんだと思います」と話す。


倉敷市真備町地区を流れる末政川の堤防決壊地点周辺の様子。撮影は2018年12月(筆者提供)

真備町川辺地区で被災した槙原聡美さんは、「2階で寝れば大丈夫」と言う夫を説得して、家族4人で自治体の指定避難所へと向かった。

しかし、混雑のために避難所に入れず、その後しばらく、すでに避難勧告が発令され、いつ災害が起こってもおかしくない地区内を車でさまよったり、自宅へ戻ったりしている。

車での移動中、川が氾濫して道路が冠水している「異常な光景」も目の当たりにしている。それでも「少し移動して何も問題がないと、『あそこの場所だけが特別だったんだ』と思ってしまう。自分が危険なところにいる実感はありませんでした」と振り返ってくれた。

スムーズな避難を妨げる「心理的要因」

岸本さんも槙原さんも、災害を予見して何らかの行動を起こしており、危機感がまったくなかったわけではないだろう。しかし、岸本さんは自分たちが逃げるタイミングを失して建物の屋上に孤立し、翌日自衛隊に救助された。槙原さんは危険を感じて避難行動はとっているものの、夜中のうちに何度か浸水するかもしれない自宅へと戻っている。

スムーズな避難ができない要因はいくつかある。その1つが、「正常性バイアス」や「同調性バイアス」といった心理的な要因だ。

正常性バイアスとは、簡単に言えば「ある範囲までの異常は『異常』と認識せずに、正常なものとして考えてしまう心理」を指す。槙原さんが、道路の冠水に遭遇しても「危ない」という実感が持てず、危険地帯である自宅に戻ったりしているのは、まさに正常性バイアスが働いているからだろう。

一方、同調性バイアスは、まわりの人に合わせようとする心理だ。西日本豪雨の後に広島市が実施したアンケート調査でも、「避難しなかった理由」として「近所の人が誰も避難していなかったから」という回答が高い割合を示していた。

砂防堰堤などの防災インフラが整備されているがゆえに、避難情報が発令されていても避難せずに、土砂災害の被害に遭った方もいた。たしかに砂防設備があれば、ほとんどの土石流は食い止められる。


倉敷市真備町地区を流れる末政川の堤防が決壊した地点。取材した2018年12月時点では、まだ補修工事の最中だった(筆者提供)

だが、100%防ぎ切れるとは断言できない。広島市安芸区矢野東の梅河団地では、災害の5カ月前、2018年2月に完成したばかりの治山堰堤を越えて土石流が団地に流れ込み、5人の住民が犠牲となった。

「災害心理の観点からすると、人はなかなか動こうとしない動物である」。災害心理学を専門とする広瀬弘忠さんのこの言葉は、被災地で見聞きしたことと符合する。

いつ、どこに避難するか事前にルール決めを

人間は、自分の身に危険が迫っていても、正常性バイアスなどによってすぐにはそれを実感できず、逃げ遅れてしまう。そんな性質を抱えながら、われわれはどうすれば適切に避難行動を起こせるようになるのか。私が可能性を感じたのは、防災科学技術研究所の三隅良平さんが示してくれた「4つの指針」である。

【1】自分が暮らす地域の過去の災害歴や地理的な特徴を知る。
【2】避難行動を起こす自分なりのルール、避難方法をあらかじめ決めておく。
【3】大雨や台風のときには、自分から情報を取りにいく。
【4】あらかじめ決めたルール・方法に基づき、避難行動を起こす。

【1】の地理的な特徴の把握には、自治体が公開しているハザードマップを確認しておくことが、1つの方法となる。国土交通省の「ハザードマップポータルサイト」 では、全国のハザードマップなどを閲覧できる。

【2】では、【1】で得た知識に基づいて、いざというときの判断・行動の基準を決める。一口に避難といっても、住んでいる場所や住宅の状況によって、その方法やタイミングは異なる。川のそばに住んでいるのであれば、氾濫時に家ごと流されてしまうかもしれないので、氾濫の危険が少しでもあれば、すぐに自宅を離れなければならない。

一方、河川から離れた場所で、ハザードマップの想定浸水深があまり深くない場合は、大雨の中で無理に家を出て避難所に向かうよりも、自宅の上階に避難したほうが安全だったりする。

自宅を離れて避難する場合、「どこに、どういうルートで避難するか」も決めておく。というのも、指定避難所の中には浸水エリア内や土砂災害警戒区域内に位置しており、豪雨災害時に避難所として機能しない場所もあるからだ。

平時にしておくことは、以上の2点。そして、大雨の予報が出たときには、【3】と【4】を実行する。

自分で決めたルールに基づき、行動を起こすには、判断や行動の根拠となる情報が必要となる。情報を得るには、行政から警報や避難情報が発令されるのを待つのではなく、スマホやパソコンを駆使して自らリアルタイムの気象・防災情報を取りにいく。

その際、雨雲の動きをチェックする「雨雲レーダー」 、土砂災害の危険度を知る「土砂災害警戒判定メッシュ情報」 、全国の河川の水位情報を知る「川の水位計(危機管理型水位計)」 などが使える。

情報を待つのではなく自ら取りにいく

自分から情報を取りにいき、もし【2】で決めた「自分なりの避難ルール」に合致する状況になったら、すぐに避難行動を開始する。

三隅さんが示した「4つの指針」は、非常時の危機感や切迫感といった正常性バイアスに影響されやすい曖昧な感情や感覚ではなく、平時の冷静な頭で考えた自分なりのルールで避難行動を起こすかどうかを基準としている。


実際、被災地の取材では、事前に行動のルールを決めていたことで、“危険を感じる前に”避難行動を起こし、自分や家族の命を守った方にも話を聞くことができた。

危機感や切迫感はたしかに避難行動を起こすスイッチになりうる。しかし、人はその危機感をなかなか持てないものだし、危険を感じたときにはすでに避難の選択肢が限られ、逃げ遅れてしまうことも多い。だからこそ、平時から判断・行動のルールを決め、家族とも共有しておく。

そうすれば、災害が起こりつつあるとき、正常性バイアスのわなを回避して、「決めたことだから」とシステマチックに避難できるのではないだろうか。