誤審問題で揺れたJリーグ浦和レッズ湘南ベルマーレ戦。ライン際を走る副審の視野は十分に確保されていた。その眼はボールがネットを揺るがした問題のシーンを目撃していたにもかかわらず、副審は実際とは異なる判断をした。それを、視野が確保されていなかった主審に伝えた。
 
 映像で振り返れば、副審の目は確かにゴール方向に据えられているようだった。だが、ボールがネットではなくポストに跳ね返ったと判断した。ゴールネットに触れたボールがあのような跳ね返り方をすることは確かに少ない。滅多にないと言うか、見た記憶はほとんどない。だから、ポストに当たって跳ね返ったに違いないと判断した。
 
 報じられている話によれば、これが誤審の原因だとされている。しかし、過去に見たためしのない瞬間を目撃すれば、エッと吃驚するのが人間だ。「いま跳ね返したのはポストではなくネットだよね」と、むしろ衝撃を受けるものだ。だとすれば、「いやいやそんなことはない。あれはネットではなくポストに違いない」は、副審の思い直しになる。
 
 副審は主審に思い直したことを伝達したことになるが、はたしてそうだろうか。
 
 滅多に見ることができない瞬間を見た人は「俺は見た!」と吹聴したがるものだ。少なくとも僕はそうだ。何を隠そう、真面目な話、UFOを見たことがあるのだけれど、周囲からあいつ頭がおかしいんじゃないの? と、訝しげに見られることを覚悟した上で、見た! 言いたくなった。
 
 実際、UFOを目撃したその瞬間、たまたま隣にいた人に、思わず「いまの見ましたよね?」と確認したものだ。ウンと相手も応えてくれたのだが、人間としてこれは常識的な行動だと思う。
 
 副審が滅多に見ないシーンを目撃したなら、主審にそのボールの異常な跳ね返り方について伝えたくなるはずなのだ。貴重な体験を語りたがろうとするのが人間本来の姿ではないか。
 
 カメラ的に言えば、顔や目はゴールに向いていたが、ピントがずれていたのではないか。瞬間をフォーカスしていなかったのではないか。目が切り取った絵柄は、相当なピン呆けだったのではないか。
 
 歩道で知人とすれ違ったとき、相手から声を掛けられて初めて気付くことがある。逆の場合もある。基本的に前方に目線を据えて歩いているにもかかわらず、被写界深度にはその時々でバラツキがある。
 
「主審はいい位置で見てました」という言い回しがある。だから判定は正しい。そうした方向で語ろうとする時、用いられがちな言い回しである。
 
 日本サッカー協会の審判委員会は、メディアに向けて定期的に説明会を開いている。Jリーグ等で発生した事象を中心に、微妙なフェレリングやジャッジについて説明を加えることで、その方面への理解をメディア側にも深めてもらおうとする催しだ。
 
 判定の定義は結構な頻度で変化していて、こちらにはそのアップデートが求められている。解釈が変更されていることに気付かず、判定にケチを付ける愚は避けなければならないので、可能な限り出席しようとしているが「主審はいい位置で見てました」は、曖昧な判定を検証し審判委員会が見解を述べるという流れの中で、よく耳にする。
 
 この催しは、DAZNの「分析コーナー」に似ている。サッカー協会のHPで誰もが閲覧できた無料の映像コンテンツが、いつのまにか有料になってしまったものだが、それはともかく、そこに出演している上川徹副委員長も「主審はいい位置で見てました」をよく使用する。
 
 浦和対湘南でも、副審の視界についてそのような見解を述べていた。しかし、それでなぜ見間違えたのか。納得のいく説明はなかった。この誤審はいくら審判がよい位置から見ていても見逃しや誤審が起こり得ることを証明したケースといってもいい。