7浪して医学部に合格した「3児の母親」の執念
3児の母親である前島氏は目下、今春の医師国家試験合格を目指し奮闘中だ(撮影:尾形文繁)
近年、人生100年時代を見据え、年齢を問わず新たなことにチャレンジする人が増えている。愛知県に住む前島貴子氏(53)もそんな1人だ。17歳、14歳、11歳の子どもを持つ前島氏だが、実は目下、今春の医師国家試験合格を目指し奮闘中である。
前島氏が医師を志したのは32歳の時。家業の薬局を経営する傍ら受験勉強に励んだ。36歳で第1子を出産後は、自治体のファミリーサポート制度を利用し、予備校に通学。生後2カ月から予備校近くの保育園に子どもを預け、授業の合間に授乳することもあった。連日、早朝5時から夜7時まで集中して勉強するとともに、24時間利用できるオンライン塾も活用した。
しかし、なぜそこまでして医師を目指そうと思ったのだろうか。そこには、前島氏の育った環境があった。
父親の自殺をきっかけに医師を目指すように
幼少期から複雑な家庭環境で育った前島氏は、高校生の時に両親が離婚。自身が精神的にも苦労した経験から、もともとは「摂食障害やアルコール依存の患者をサポートしたい」と臨床心理士を目指していた。セルフミーティングを主催するなどの活動を続けていたが、医師と患者との板挟みの立場に悩み挫折。そんなさなか、父親が自殺した。
「父のように心身を病んで死を選ぶ人をなくしたいという思いから、医師になろうと決意しました」と前島氏。「大変つらい経験ではありましたが、マイナスな出来事とは捉えていない」と話す。
その翌年から受験にトライ。しかし、現実は厳しく、不合格のたびに自信を失いかけたという。「志望校に落ちた時のショックはとても大きく、勉強を再開するまでに2、3カ月はかかっていました。それでも諦めなかったし、諦められなかったのです」。
そんな前島氏の心の支えとなったのが、どんなときも「絶対に受かろう」と励まし続けてくれた母親の存在だった。「受験の失敗体験を通じて、母との絆を再構築できました」と前島氏は振り返る。
ただし、育児と勉強の両立は容易ではなかった。38歳で第2子を妊娠したものの、つわりがひどく、入退院を繰り返すことに。それでも、できる限り病室で受験勉強を続けた。最も苦労したのは授乳期だ。睡眠時間を思うように取れない中、暗記ポイントをまとめた付箋を壁に貼ったり、テキストをつねに持ち歩き移動中や外出先で勉強したりと、隙間時間を徹底的に活用。昼夜問わず、子どもが寝ている時間の大半を勉強に費やしたという。
「子どもを犠牲にしているのでは」と周囲から批判を受けることもあった。しかし、それを批判ではなく、1つの意見として受け止めるように心掛けた。「批判の裏には自分も何かしたいという思いが少なからずあるのではないでしょうか。現実を受け入れるか、変えていくかは人それぞれ。お互いに後悔しない生き方を選択したいものですよね」(前島氏)。
多忙を極める中、母親と夫が育児と家事を分担してくれた。特に夫はもともと医師を目指していたこともあり、「自分の人生を生きる女性を応援したい」と、料理、洗濯、授乳、オムツ替えなど、全面的にサポート。子どもが発熱することも多々あったが、夜間は前島氏に代わり看病してくれた。このほかにも、積極的に保育園の行事に参加したり、勉強を教えたりなど、あらゆる面で積極的に育児をしてくれた。
夫の転勤に付き添いながらも医学部を受験
「綱渡りのような子育てでしたが、夫と母と私のチームプレーで何とか乗り越えられました。また、義理の両親や友人にも助けてもらいました。勉強に集中する時間が持てたのは、周りの方々のおかげであると感じています」(前島氏)
夫の転勤で福岡、北海道と引っ越しが多かったが、転勤中は地方受験可能な医学部を受験するとともに、全国の受験地を飛び回った。妊娠後期、願書締め切り日当日に上京したことも。そこまでするには、「何としてでも医師になりたい」という譲れない思いがあったからだ。
こうした強い思いと努力が実り、7浪を経て、39歳で藤田保健衛生大学医学部(現:藤田医科大学)に合格。「いま振り返ると、合格したのは奇跡だった」と前島氏は言う。同大学広報部によると、昨年度の医学部合格者の男女比率は、72.5対27.5。医学部の総志願者数(のべ)3679名のうち、30代以上の女性(のべ)は20人(0.54%)と極めて少ない。また、昨年度の医学部合格者全体に占める30歳以上の女性の割合は、0.58%となっている。
その後、前島氏は第2子が0歳の時に医学部に入学した。母親に子どもを預けて昼間は大学に通った。医学部に入学後もたびたび本試験に失敗。不眠に悩まされることもあったが、そのたびに同級生や先生、ネットで出会った友人などに支えられて乗り越えた。授業はつねに前列を確保し、感染症や救急医療の勉強会にも積極的に参加。子ども連れで参加したこともある。そんな前島氏の姿を見て、子どもたちも医療の道に興味を持っているという。
「どんな環境にあっても『生きていてよかった』と感じてもらえる医療を提供することが目標」と語る前島氏
「医師になったら、自身の経験を活かし、ネグレクトなど虐待を受けた人やトラウマを抱えた人が深い愛情を感じられるようなケアをしたい」と前島氏は言う。「また、終末期の患者さんが最期までその人らしく希望を持って生活できるようにサポートしたいです。将来的には、訪問診療で受刑者やホームレスなど適切な医療を受けることができない人々の手助けをしたいとも考えています。どんな環境にあっても『生きていてよかった』と感じてもらえる医療を提供することが私の目標です」。
前島氏のように子育て中の女性が医師となったとき、仕事と育児の両立は可能なのか。女医のキャリア支援、院内の働き方改革に取り組む千葉大学大学院医学研究院の神経内科学准教授・三澤園子氏(44)に聞いた。
三澤氏は9歳と3歳の子どもの母親だ。毎朝3時に起きてデスクワークをこなした後、子どもを研究院併設の保育園に預けてフルタイムで働いている。講演や原稿執筆、管理業務など膨大な仕事をこなす日々。家事・育児以外のすべての時間を使っても足りないのが現状だという。第2子出産時も入院日まで勤務していたほどの激務だ。
「育児中の女性なら、ここまでして続けることなのかと誰しも悩むと思います。泣いている子どもや病気の子どもを預けて働くのはつらい。しかし、医師の仕事は、患者の命を救い、生活の質を高めるやりがいと責任のある仕事です。私の講演を聞いたり、原稿を読んでくれたりした方々がその方法を実践してくれることによって何倍も医療に貢献できる喜びは何物にも代えがたいです」
情報過多ゆえ、目標値を低く設定しがち
とはいえ、三澤氏のように子どもを育てながら仕事を続ける医師は多くない。厚生労働省の調査「女性医師に係る現状について」によると、女性医師の就業率の推移は26歳で94.6%なのが、その後減り続け、38歳時には73.4%(男性は89.9%)と最低値に。女性医師が仕事を中断(休職)、離職した理由のトップは「出産」(70.0%)、「子育て」(38.3%)となっている。
こうした中、「育児と仕事の両立は、診療科の特性と病院の体制に大きく依存する」と三澤氏は言う。育児中は勉強の時間を取ることが難しく、学位や専門医を取りにくいという悩みを抱える女性医師も少なくない。
前述の厚労省の調査では、「子育てと勤務を両立するために必要なもの」として、女性医師の多くが「職場の雰囲気・理解」「勤務先に託児施設がある」「子どもの急病等の際に休暇がとりやすい」「当直や時間外勤務の免除」などを挙げている。
そこで、三澤氏は女性医師が復帰後もやりがいのある仕事ができるよう専門医資格取得を支援。外来勤務だけから復帰できる体制づくりにも取り組んでいる。三澤氏は、教官として産後フルタイムで復帰した初めての事例で、同氏をロールモデルに、次世代も続き始めている。
「若い女性医師の傾向として、情報過多であるがゆえに、結婚・出産する前から目標を低く設定し挑戦しない人が増えていると感じます。医学部に入学したときに描いた理想を追求したうえで、どうしてもシフトチェンジしなければならない状況になったときに調整すればいい。成長し続ける意欲を忘れずにいてほしい」
医師の労働環境は厳しい反面、やりがいがある仕事だ。医師免許があれば、訪問診療やオンライン医療相談など勤務医以外で活躍する道もある。前島氏のように、本人の努力と覚悟、そして、家族の協力が伴えば、年齢にかかわらず目標を実現することは不可能ではない。人生は一度きり。誰もが後悔しない生き方を選択できるよう、社会的環境を整備することが望まれる。