24日に行なわれたサッカーJ1リーグ清水VS神戸戦で、大きな揉め事が起きました。神戸・ウェリントン選手が退場処分に激昂し、仲裁にやってきた清水GKを振り払うようにして投げ飛ばしてしまったのです。その前後でもウェリントン選手は清水ベンチ付近で清水側スタッフと小競り合いを起こすなどしており、非常に荒れたゲームとなってしまいました。

もちろん神戸側にも言い分はあります。この試合は4分台と表示されたはずのアディショナルタイムがなかなか終わらず、最終的には18分50秒にも及ぶ異例の長さとなっていました。その間に負傷退場者の発生による長い中断や、清水の同点ゴールなどが生まれていたのです。

規定の90分を過ぎる段階では神戸が3-2とリードしていたものが、同点ゴールが生まれたのはアディショナルタイム13分過ぎ。ウェリントン選手の蛮行も、清水に同点に追いつかれたあとのアディショナルタイム14分41秒〜17分過ぎにかけて起きたものでした。「あまりにも長いアディショナルタイムが、この騒動の原因である。主審が悪いのである」とする主張には、一定の納得感はあります。

その意見を後押しするように、試合直後に清水・鄭大世選手は「レフェリーにとってはアンラッキーな試合だったと思うし、すごく難しい判断にはなってくると思うけど、少し相手のほうがアフター気味だとかボールを見ずにアタックするという最初の部分で摘み取っておかなかったら、こういう結果、こういう状況になってしまうと、今日は審判の方も学んだと思います」と語っています。主審を擁護する立場であるとしつつも、主審にも責任の一端を求めた格好です。

<現役Jリーガーも「レフェリーのコントロール不足が過ぎる」とツイート>



つまりは、この長すぎるアディショナルタイムを生んだ原因は、主審がファウルを的確に罰するなどして「試合をコントロールする」ことができなかったためであるという話です。試合をコントロールできなかったことでアフター気味だったりボールを見ずにアタックするような状態となり、その結果負傷者が続出するような展開となってどんどん時間を空費し、異例の長さのアディショナルタイムになってしまったのであると。そして、その異例な長さのアディショナルタイムのなかで同点ゴールが生まれたため、神戸側のフラストレーションも爆発してしまったのであると。

要するに「主審が悪い」あるいは「主審にも責任がある」という見立てです。

実際にアディショナルタイムの経過を細かく見ていくと、中継で表示された時計の3分36秒まではほぼ滞りなく試合は進んでいます。しかし、そこで競り合いのなかで清水・河井陽介選手が頭部を打って倒れ、その治療と搬出のために8分0秒まで時間を空費しています。そこから9分2秒まで試合がつづいたあと、再び清水・立田悠悟選手が競り合いのなかで負傷し、12分0秒まで試合が止まります。

神戸選手は苛立ち始め、主審に指を4本立てて試合を終了せよというアピールをします。しかし、その後も試合は終わることなくつづき、13分30秒の時点で清水の同点ゴールが生まれました。このゴールのあとの試合再開直後の14分41秒に揉め事は始まっており、その後は混乱のなかで18分38秒まで試合は中断し、最終的に18分50秒の時点で試合が終了しています。

この18秒50秒における実プレー時間は、手元の計測では6分47秒です。確かに、最初の4分台という表示に対しては1分あまり長いとは言えますが、「アディショナルタイム18分」という字面ほどに長いわけではありません。12分あまりは負傷者の治療や、揉め事で空費されていただけです。

そして最初の表示も「4分きっかり」という意味ではありません。4の数字で示された場合、それは4分台という意味であり最大で4分59秒までのアディショナルタイムが元からあったということ。しかも、その数値は「最少」のものであり、主審はそこから先も空費された時間を追加して、アディショナルタイムを増やすことができます。その意味では、多少長いことは長いけれど、ベラボウに長かったわけではありません。このような異例の長さとなったのは、3分36秒と9分2秒に発生した負傷者の治療時間や、14分41秒に始まった揉め事によるものであり、直接の原因は「選手によるファウル」にあります。

ここで清水・鄭大世選手の言葉に戻れば、負傷者を生むような接触や揉め事が起きるような状況になる前に手を打てなかった審判に問題があるということになるわけですが、はたして本当にそうでしょうか。過剰なチカラでのチャージや、相手を押す・蹴るといった行為は、主審に言われるまでもなく反則です。主審がどこで反則をとるかというサジ加減を見極めながら、ギリギリのラインを突いていくという考え方そのものがオカシイのではないでしょうか。「主審が試合をコントロールできなかった」という見立ては、裏を返せば「主審に止められなければ我々は野放図に反則を犯す」と言っているのと同義ではないでしょうか。

「自分がやらなくても、相手はそうやってギリギリのラインで当たってくるのだから、同じようにしなければ勝てない」と言うのならばなおのこと問題です。そのような態度は「ライバルがクスリを使っているので、自分もクスリを使わなければ勝てない」と主張するがごとき、反スポーツマン的な態度ではありませんか。

誰が見ていようが見ていまいが、過剰なチカラで挑みかかってはいけませんし、ましてや誰かを投げ飛ばしてはいけません。アディショナルタイムが長いことで苛立ち、そうした蛮行に及ぶような態度は、「頼んだラーメンがなかなか出てこないのでキレる客」のようなガマンの無さ。激しく競り合って負傷したのも、相手を投げ飛ばしたのも、すべては選手自身がしたことであり、それを「試合のコントロールができていない主審のせい」とするのは、ただの責任のなすりつけでしょう。

9月8日のテニス全米オープン決勝で、日本の大坂なおみ選手と対戦したセリーナ・ウィリアムズ選手は、試合中の判定に苛立ち、ラケットを壊す・主審に暴言を吐くといった行為に及び、ポイントを失い、ゲームさえもペナルティで失いました。主審や判定がどうであろうが、選手は自分をコントロールしなければなりません。自分をコントロールできなければ、セリーナ・ウィリアムズ選手のように試合を落とすのです。

苛立ちから蛮行に及んだ神戸の選手も、アディショナルタイムが何分であろうが、じっと耐え、ボールをキープしつづければよかっただけのこと。それを「早く終われ」というメッセージを込めるかのように、保持したボールを大きく蹴り出して相手に渡してしまうから、清水側に何度も攻撃の機会を与え、よもやの同点弾を奪われたのです。

「主審による試合のコントロール」を期待するのは甘えです。

たとえ主審がどれほど劣悪であっても、正当なプレーをしてこそスポーツマンシップ。

試合をやるのは選手自身であり、審判は「指揮者」でも「お守り」でも「学校の先生」でもないのです。

主審を責める前に選手自身も、どのような不利な判定のなかでも自身の感情をコントロールすることを学ぶべきではないでしょうか。

文=フモフモ編集長