「都道府県」という広域地方公共団体がいつごろできたのか、ご存じだろうか。

明治維新後、廃藩置県(1871年)が行われたときは、1使(開拓使)、3府(東京都・京都府・大阪府)、302県だったという。約半年後、整理合併して、1使3府72県となる。その後、さまざまな紆余曲折を経て、1890年(明治23年)、1庁(北海道庁)3府43県となった。東京府が東京都となり、北海道庁が北海道に変わるが、基本的には明治時代からあまり変わっていない。

ところが1903年(明治36年)、19県を廃止し28道府県に統合する内容の「府県廃置法律案」がまとめられ、桂太郎内閣で閣議決定された。しかし閣議決定の2カ月後の日露戦争勃発による議会の解散により、議会への提案まで至らなかった......。

この「府県廃置法律案」が日経電子版(2015年9月25日)でも取り上げられ、ツイッターなどで「意外といいかもしれない」と話題になった。

「グンマーがなくなり、宇都宮県で統合されていたのか......」


公文雑纂・明治三十六年・附録・府県廃置法律案附図(国立公文書館所蔵)

上の図は、約115年前の「府県廃置法律案附図」だ。既存の印刷地図に新旧の府県境界が赤く加筆されている。赤い文字で記されているのは新府県名だ。

ツイッターには、さまざまな意見が寄せられている。少し振り返って見よう。

「グンマーがなくなり、宇都宮県で統合されていたのか...」「これで千葉県VS埼玉県の...闘いは決着ついたな」「それでよかったような気がしないでもない」といった感想だ。

宇都宮県は北関東3県を統合。千葉県は茨城県南部を取り込んでいる。埼玉県は山梨県と共に、東京に吸収されている。静岡県は、東部が神奈川県に取り込まれ、西部は名古屋県に吸収されてしまう。名古屋県は愛知と岐阜の一部、静岡の一部(浜松周辺)を取り込み、大きく拡大するのだ。

「ちょ、ちょ、ちょっ待てよ」と突っ込みを入れたくなるのは静岡県民だけではないだろう。県名が消えるのは、岩手、山形、群馬、茨城、埼玉、山梨、富山、福井、岐阜、滋賀、奈良、和歌山など、なんと19県に及ぶ。ショック! を受ける人も多いはずだ。

東京、名古屋、大阪、福岡など、大都市圏が拡大する傾向が読み取れる。だが、これは明治時代の案である。実際には実現しなかった。

「東京府は今の山梨と神奈川の一部を吸収してるな」「カステラ県・明太子県『なぜ実現してくれなかった!』」「米子市『なぜ松江県を実現してくれなかった』ってのもありそうだな」などといった細かい突っ込みもあり、ちょっとした大喜利状態だ。

また、こんな意見も......

「この道府県案通りに移行していたら今の道州制論議起こらなかったんじゃ無かろうか...」
「意外と無理のない区分なのがすごい。あと現在で存在感のない県がどれかわかるというのも...」
「今からでも、これをベースに再編したら良いと思う。道州制よりは馴染めそう。ただし、現時点で所属府県より予算規模の大きい府県庁所在市は全部、再編時に特別区に解体するのが良いと思う」

現在の道州制や府県合併の論議の参考にしてはどうか、という人は多かった。115年前に閣議決定されて、結局成立しなかった幻の案が、なぜか「意外といいかもしれない」と思えてくる。