発達障害の僕たちが人にあまり言えない本音
当事者が明かした「生きづらさ」とは(写真:Drimafilm / iStock)
独自のルールを持っていたりコミュニケーションに問題があったりするASD(自閉スペクトラム症/旧・アスペルガー症候群)、落ち着きがなかったり不注意の多いADHD(注意欠如・多動性障害)、知的な遅れがないのに読み書きや計算が困難なLD(学習障害)、これらを発達障害と呼ぶ。
今までは単なる「ちょっと変わった人」と思われてきた発達障害だが、生まれつきの脳の特性であることが少しずつ認知され始めた。子どもの頃に親が気づいて病院を受診させるケースもあるが、最近では大人になって発達障害であることに気づく人も多い。
発達障害について10年程前に知り、自身も長い間生きづらさに苦しめられていたため、もしかすると自分も発達障害なのではないかと考える筆者が、そんな発達障害当事者を追うルポ連載。発達障害当事者とそうではない定型発達(健常者)の人、両方の生きづらさの緩和を探る。
第14回目は2018年2月に「発達障害BAR The BRATs」を東京・高田馬場にオープンしたマスターの光武克さん(33歳)と吉田正弘さん(25歳)、スタッフの山村光さん(仮名・24歳)による座談会を実施した。
このバーは、“生きづらさを抱えた大人たちがふらっと立ち寄れる場所”がコンセプトとなっている。マスターの光武さんをはじめ、スタッフの多くが発達障害当事者であるBAR The BRATs。当事者として、また多くの当事者とかかわっている3人は発達障害に関してどんな考えを持っているのか、前編・後編にわたってお送りする。
生産性のある話や言いにくい話題を出せなかった
――私も二度、BAR The BRATsにお邪魔させていただいたことがあります。まずは、バーを開いたきっかけを教えてください。
光武 克(以下、光武):僕の思いつきと言ったら身も蓋もありませんが、そもそも発達障害をテーマにした常設のバーが都内になかったんです。僕自身、ADHDとASDを併発している当事者なので、昔は自助会に参加したこともありました。でも、僕には自助会が合わなかったんです。二度参加し、僕が参加した時だけかもしれませんが、仕事を辞めてしまっている人が異常に多かったんですね。
「離職してしまってどうしようもなくなっている」といった愚痴のような話が多く、生産性がないように思えたんです。僕は実際に働いている人と、「働いている中でどんなことでつまずいたか」といった、もう少し生産性のある会話がしたいなと思ったのが、バーをオープンしたきっかけです。
――みなさん、バーではどんなお話をされているんですか?
光武:飲んだ薬の効果とか。
一同:(笑)
光武:また、グレーゾーンの方や、病院を受診したことはないけど「発達障害かもしれない」と思っている人も多くいらっしゃいます。だから「これからどこの病院に行こうか」とか「良い先生知らない?」といった会話も生まれていますね。
口に出しづらい二次障害は言いにくい雰囲気だった
――自助会ではそのような話は生まれなかったのですか?
光武克さん(筆者撮影)
光武:多分、そういう話も出ることはあるのでしょうけど、結局サイレントマジョリティというか、一部の人が「自分はこんなにつらかったんだ」と語ると、その人の声が大きくなってしまう。
だから、生産性のある会話を求めて参加してもなかなか言えない人も出てきます。また、これは実際にお店にいらしたお客さんが言っていたのですが、「自助会で発達障害については話せるけど、そこから併発した口に出しづらい二次障害、たとえばうつ病はまだ言えるけど、性依存などは言いにくい雰囲気」とのことでした。
――確かに、お酒が入ると少しリラックスして、言える雰囲気になるかもしれません。
光武:バーだとふわっとした気持ちになれるというのが大きいですよね。だから、仕事帰りにふらっと立ち寄れるくらいのライトさが欲しいと思っていました。そう思ったときにパッと思いついたのがバーだったんです。それで、ネット検索をしてもヒットしなかったので「これをやったら日本初なのでは?」と思って吉田に声をかけました。
――吉田さんは「発達障害グレーゾーンなのではないか」と以前バーに行った際、おっしゃっていましたよね。
吉田 正弘(以下、吉田):そうですね。病院にかかったことはありませんが「そうなんじゃなかろうか」といったところです。
光武:おそらく病院へ行けば何らかの診断が下るのではないかという。でも、そういう人けっこういますよ。一緒に経営に入ってくれている人もADHDの診断チェックリストに全部当てはまっていますが、一度も病院を受診したことはないと言っています。
――病院を受診する・しないの基準は何でしょう?
光武:困っているか、困っていないか。これに尽きますね。
吉田正弘さん(筆者撮影)
吉田:僕の場合は理解のある環境に恵まれていて、そこまで困ることはありませんでした。
山村 光(以下、山村):あと、「慣れ」もあるのではないでしょうか。精神科に行くことに抵抗がある人は、一定数いると思うんです。だから、何かの理由で精神科に慣れている人は受診しやすいのかと。
自ら社会と隔離してしまっている面がある
――山村さんはADHDとASDを併発してらっしゃるとのことですが、なぜ、バーのスタッフになったのですか?
山村光さん(筆者撮影)
山村:発達障害についてネットで調べていたら、たまたま発達障害BARのTwitterアカウントを見つけて、ホームページを見てみたら「スタッフ募集中」とあったので応募しました。お酒はまったく詳しくないのですが、単純にバーへの憧れがあったんです。また、当時失業中で「バイト先どうしよう? でも何か自分の興味があることをやってみたい」と思っていたとき、その両方を満たすのがこのバーだったんです。
――発達障害の人は、社会の中で避けがたい生きづらさと向き合っています。
山村:自分は単純に、世の中はマジョリティとマイノリティに分けるしかないと思うので。生の反対は死と同じで、それ以外はないじゃないですか。半分生きて半分死ぬのはありません。そういう意味ではマイノリティはあって当たり前だと思います。
光武:僕は少し考えが違っていて、「そもそもマジョリティはあるのか?」という疑問がずっとあります。多分、「私たちはマイノリティだ」と名乗っている人も全員が全員マイノリティというわけではなく、マジョリティらしい意識を持っている人も当然存在しています。自分がマジョリティに属していると思っている人の中にも、自分が「そこは受け入れられないだろう」と思って隠しているところがあると思います。
だから、「社会ってこういうものだよね」という常識はあってないようなものです。ある程度の共通性があるかもしれないけど、100人が100人同じものを共有しているかというと、必ずしもそうではない。だから、どこをマジョリティと呼ぶのかという疑問が生まれるので、僕は「これがマジョリティだ」という区分は作れないと思っています。
光武:ただし、社会常識や社会の秩序機能に照らし合わせて見たとき、たまたま外れたほうにカテゴライズされる層はどうしても出てきます。今の社会ではそういう一面が少しでも見つかるとマイノリティという烙印を押されてしまいます。
つまり、一個でも合わない側面があると「はい、あなたはマイノリティですね」と言われてしまうし、逆に自分でも言ってしまう。他の発達障害当事者にはたまに怒られることもありますが、僕は「発達障害の自分はマイノリティだ」という意識がすごく嫌いです。
「私はマイノリティだから」と、自らを社会から隔離してしまっているような。そういう側面が、このマイノリティという概念をブラックボックス化しているように思います。マイノリティに見られるように自らパフォーマティブに振る舞うことで、二重の共犯関係が生まれていると僕は感じます。
補聴器を着けていることで求職活動中不利に
――山村さんは発達障害に加え、性別はXジェンダー(男性でも女性でもない性)、聴力も若干弱いため、前回バーでお会いした際は補聴器を着けられていましたよね。大多数の人と違う点がいくつかあるように思います。
山村:今日は会議室で隔離された空間なので必要ないと思い、補聴器は着けていませんが、聴力は20代の平均よりも少し低く、40〜50代の平均と同じです。そして、人の声以外の“ノイズ”と呼ばれる音に関しては、なんと80代の平均と同じです。だけど、聴覚障害かどうかと言うと、健康に聴こえる健聴範囲内なので、医学的には「異常なし」になります。
自分自身は補聴器を買って使っているのですが、これは「メガネと同じだな」と思います。近視の人は視界がボヤけるからメガネをかけて視力を矯正する。自分は音を聞き取りづらいから補聴器を着けて矯正する。
求職活動中に「補聴器を着けているから採用できない」と、断られたことがありました(写真:山村光さん提供)
以前、求職活動中に「補聴器を着けているから採用できない」と、断られたことがありました。「補聴器を着けているから仕事ができない」と言う方には「じゃあ、近視の人はメガネやコンタクトレンズを外して仕事をするんですか?」と聞きたいです。
身近に補聴器を着けている人って、一般的には高齢者か障害者手帳を持っている聴覚障害者くらいです。見慣れないものって人は怖いんです。今、メガネはこれだけ普及して、ファッションの一部にもなっています。でも、補聴器は見慣れないものなので、異常なものとみなしてしまう。
吉田:カッコいい補聴器を作ったらいいのかも。『ドラゴンボール』に出てくる戦闘力を測る、「スカウター」みたいな補聴器(笑)。山村さんは補聴器が目立たないように黒にしたの?
山村:いや、単純にカラーバリエーションの中でいちばん黒がカッコよかったからです。今、新たな補聴器を注文していて、来週受け取るものは緑です。
光武:ファッション性に優れたカッコいい補聴器、いいかもね。
自己肯定感があれば間違った方向へ走りにくい
――吉田さんはおそらく発達障害のグレーゾーンだけど、環境に恵まれていたため病院を受診したことがないと先ほどおっしゃっていましたよね。どういう点から自分は発達障害のグレーゾーンなのではないかと思ったのですか?
吉田:ある日、発達障害の症例集の本を読んでいたら、「僕のことじゃん」と思う例がたくさんあって。僕、文字や物体に対するこだわりが強く、幼稚園の頃から漢字が読めました。親からは「あら、すごいね」と軽い感じで褒められて、それでうれしくてどんどん漢字を覚えました。だから、特別な勉強をしなくても中2のときに漢検2級を取れました。あと、ごっこ遊びが苦手で1人でダンボールや台紙などを切っておもちゃを作るのが好きでした。
――そのような特性に対し、ご家族は「この子は他の子とちょっと違っておかしい」と思われなかったのでしょうか?
吉田:それが、恵まれていたといえばそう言える部分で、両親が共働きで忙しかったため、幼稚園の頃は実家の近所の祖父母の家に預けられていたんです。これも読んだ本に書いてあったのですが、発達障害を持っている人は極端に子どもか極端に高齢者と一緒にいると受け入れられやすいそうです。少しドジだったりしても、おじいちゃん・おばあちゃんからすると「可愛い」で済むじゃないですか。
そして、子どもと同じコミュニティにいると同じレベルなのであまり違和感を感じない。発達障害の特性から問題行動を起こしてしまう人もいますが、小学校に入るまでの時期をそういう環境で過ごせたのはある種よかったのかもしれません。環境が自分の特性を受け入れてくれれば、極端な問題行動に走りにくいです。自己肯定感が保たれている部分があるので、「どうしてわかってくれないんだ」と、間違った方向へ走るのを防げる。
――光武さんはどうでしたか?
光武:就学前はそこまで問題ありませんでしたが、学校に入ってから苦労しました。衝動性の塊みたいな子どもだったので、何かが気になってしまうと授業中でも図書室に行っちゃう(笑)。特に僕の地元は田舎なので、異質なものという目線は感じていました。
――でも、大学に入るといろいろな人がいますよね。大学ではどうでしたか?
光武:でもやっぱり、歪んだ状態で大学に行ってしまったので浮いていました。吉田君は中2のときに漢検2級でしょ? 僕はね、中学生のときにマルクスの関連書籍を読み始めてマルキシズムに走ってしまったの。経済学。
――周りからすると、ちょっと中二病のように見えますよね(笑)。
光武:完全に中二病です(笑)。僕、「この愚民たちを革命で導くために生きているんだ」と本気で思っていましたもん。だから、よく先生に呼び出されていました。税に関するパンフレットを渡されて「国民の義務として税を払うこと」についての作文の宿題が出たときも「これを中学生に読ませ、かつ、宿題にするということについて。税を払うことを国民の義務としてわれわれに学生の頃から洗脳するのは、無批判に税を払う人間を再生産するための文部科学省の装置である」みたいなことを大真面目に書いて怒られました(笑)。
他にも、「なぜ校則で、女子は髪の毛を結ぶゴムの色は黒か茶でないといけないのか。そうしたルールがルールとして存在するための根拠を指し示してください」と反発したこともあります。そのまま大人になってしまったので、それは白い目で見られますよね。唯一逃れる手段は国外逃亡しかないと思って、留学しました。
――空気を読むという文化のない海外の方が生きやすかった?
光武:と思ったら、海外でもダメなものはダメだった(笑)。絶望して帰国しました。今思うと、国の選択ミスだったのかも。イギリスに行ったのでアメリカだったらよかったのかもしれません。
吉田:国によってもいろいろですからね。
勉強さえできればいい学生時代は、ある意味で楽
――光武さんは現在、昼はフリーの予備校講師で夜、バーに立ってらっしゃいますが、それまではどこかに所属して仕事をされていたんですか?
光武:大学4年のときに普通に就活をして一応外資の企業に受かったのですが、働くということが想像できなくて、そのまま引きこもってしまいました。でも、「これじゃダメだ、どうしよう」と思っていたとき、塾講師として当時バイトをしていた先のエリアマネージャークラスの人から「君ならプロでやれるんじゃないか」と言われて。全国展開している塾だったので、大学4年のときにその会社の授業コンテストに出たら東京都で1位を取れたんです。
吉田:すごい!
光武:でも、東京都で1位を取ったのに全国大会に遅刻したんだよな(笑)。
吉田:ギャグですね(笑)。
光武:本当に運で生きています。今は、いろんな予備校と契約を結んでフリーの講師として働いています。
――山村さんは子どもの頃、学校になじめましたか?
山村:自分は幸いにも学校大好き人間、勉強大好き人間だったんです。授業に出ることが大好き。学校を休むのが嫌でした。ただ、変わった人扱いは受けていたと思います。ありがたいことに親から受け継いだ身体能力も高く、小学校の体力テストでは6年間A判定でした。マイナスの面よりプラスの面が目立っていたのは強いと思います。
吉田:確かに、それで発達障害のマイナスな特性は打ち消されますよね。
光武:勉強さえできればいいというのは、ある意味すごく楽なんですよね。そうすれば多少変なところがあったとしても勉強ができるという点で認めてもらえるので。だから、社会に出てからのほうがキツいんです。
吉田:社会に出てからのことを考えると、勉強ができれば褒められる学生時代のシステムはヤバいと思います。
光武:勉強さえできればいいって、けっこうしんどいです。
吉田:われわれは勉強しかできないタイプの人間だからね。
山村:自慢ではないですけど、自分は公務員試験を勉強せずに3カ所受けて、3カ所とも一次のペーパー試験は受かっています。
吉田:それは自慢していいですよ!
山村:ただ、二次の面接で落ちました。学校のテストもペーパーだけで点数が取れるところは全部A判定です。
吉田:偏っているんですね。
(後編に続く)