『東京郊外の生存競争が始まった!』(三浦展/光文社新書)

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団地やニュータウンに住む人の高齢化と街の衰退が、社会問題になっている。だが、戦後再開発された郊外には、見事に造成された住宅地が存在しているのだ。これからは人口減少で「満員電車」もなくなる。完成度の高いニュータウンに住むことは、古くて新しい選択肢になりえる。社会デザイン研究者・三浦展氏の新著『東京郊外の生存競争が始まった! 静かな住宅地から仕事と娯楽のある都市へ』(光文社新書)から、 “名作”ニュータウン3選と共に、郊外活用の提案を紹介する。

タワーマンションしか解決策はないのか?

近年、郊外の駅前の百貨店やファッションビルが、吉祥寺近鉄、吉祥寺伊勢丹、千葉三越、千葉パルコ、柏そごう、津田沼高島屋、多摩センター三越、厚木パルコなど、次々と撤退している。今後は松戸伊勢丹、伊勢丹府中、船橋西武、川口そごう、新所沢パルコなども撤退の可能性が一部でささやかれている(それにしてもパルコが3つも!)。近い将来には、ロードサイドのショッピングセンターもネットショッピングとの競争に敗れた場合は、次第に閉鎖していく可能性がある。

そんな状況の中で、今は、人口増加のための現実的な策として、駅前を再開発してタワーマンションを建て、経済力の安定した30〜40代の現役世代を増やすという方法が主にとられているように見える。

実際、武蔵小杉のように、タワーマンション街になることによって川崎市全体の人口をも押し上げ、人口の自然増加(出生数が死亡数より多い状態)をすらもたらした例もあり、この手法の有効性を認めないわけにはいかない(中央区、港区も同様)。

だが、すべての郊外地域がタワーマンション建設によってのみ生産年齢人口の維持、増加、あるいは減少の緩和を図れるとは思いにくい。また、タワーマンションのように短期間に同じ年齢層が急増すると、30〜40年後には、またそのタワーマンションが一気に高齢化する危険がある。タワーマンションというと都会的なイメージがするが、実は郊外住宅地がタテに伸びただけである。

そのように考えると、既存の住宅地を生かしながら、そこに若い世代も入りたくなるような施策を打ち、若い世代がゆるやかに転入を続けることで、激しい人口減少と高齢化率の上昇をある程度食い止め、かつ長期的に老若男女が共生できるような方法をできるだけ早く考えることが、郊外には必要である。

■衰退するのは惜しい! 名作ニュータウン探訪

そもそも戦後開発された郊外には、見事な住宅地も少なくない。これらの住宅地が高齢化して衰退し、ただ一世代だけのすみかとして終わるというのはいかにももったいない話である。そうした事例を3つだけ紹介する。

【1】椿峰ニュータウン(埼玉県所沢市)

私が郊外の再生について考え始めたのは2010年のことである。郊外出身の建築家・藤村龍至さんと郊外について対談をすることになり、対談に先だって、彼の出身地である埼玉県所沢市のニュータウンを訪問した。そして驚いたのだ。ものすごく豊かな緑、それも人工的ではなく、もともとあった植生を生かし(実際トトロの森とつながっている)、その緑陰に隠れるかのように住宅が配置されていた。住宅の種類も戸建て、タウンハウス、テラスハウス、マンションと多様で、単調さがない。これまで見てきた郊外住宅地の中でもベストと言ってよい素晴らしさだった。

どうしてこんなに素晴らしいのか。私は椿峰の歴史を調べた。するとそこは山口氏という武士が支配しており、まさに椿峰ニュータウンのあたりには、16世紀末まで中世の山城があったのだ。さらに古代においては、武蔵国の国府である府中からまっすぐに北上する古代東山道の駅が椿峰あたりにあった。中世には鎌倉街道の駅もあった。

ところが山口氏は、1383年に足利氏に敗れ、それから上杉・後北条氏に仕えた。そして後北条氏が1590年に豊臣秀吉に滅ぼされると山口城は廃城となる。言ってみれば空き家になったのだ。椿峰ニュータウンができるまで、存在がほぼ消えたのである。

だが椿峰ニュータウンの開発に当たっては、この歴史ある緑豊かな景観がうまく生かされた。なんでもかんでも木を伐採して、土地を平らにするニュータウンとは異なる、風情のある住宅地がここに生まれた。

ただし、後期高齢者が増えるこれからの時代には、起伏の多い地形が負担になる危険もある。新しい交通手段が必要になるだろう。

【2】鳩山ニュータウン(埼玉県比企郡鳩山町)

鳩山ニュータウンに初めて行ったのは2012年の春だ。『東京は郊外から消えていく!』(光文社新書、2012年)の取材としてだ。鳩山ニュータウンについてはかねてから関心があった。赤坂憲雄の『排除の現象学』(洋泉社、1986年)という本を1980年代に読んでおり、そのため、とても排他性の強い街という悪い印象を持っていたので、いったいどんなところかとずっと思っていのだ。

だが、実際に行ってみると、まったく違った。素晴らしいニュータウンなのだ。田園都市の研究を踏まえて設計されていることは明らかだった。その後、鳩山ニュータウンの開発関係者に聞いたところでは、米国の郊外住宅地を相当研究したそうだ。

タウンセンターから下っていく街路には、街路樹があり、かわいいデザインのタウンハウスが建ち並んでいる。そこを下りきると池がある。山の上を切り開いたこのニュータウンは、なだらかで長い斜面上につくられている。山側のほうは里山が残されていて、散歩道が整備されている。1年中、四季折々の自然を楽しみながら散策ができるだろう。

しかし鳩山ニュータウンはあまりにも都心から遠い。そのため若い世代が流出し、ニュータウンの高齢者率はすでに45%もあるという。

なお、80年代における赤坂氏の評価が間違っていたとはかぎらない。その時点では、一流企業勤務の人が多いニュータウンが突然山の中にできたら、宇宙人がコロニーをつくったかのように見えたかもしれない。地元とは異質なものが突如現れるのがニュータウンの特徴だ。それが30年以上って、景観が成熟し、地域全体の中になじんでくると、それはそれでまた、えもいわれぬ田園都市ができあがる。新しい街の評価というのは、だから難しい。

【3】金沢シーサイドタウン(横浜市金沢区)

このニュータウンの並木1丁目は、日本を代表する建築家・槇文彦氏がアーバン・デザインを手がけた。同2丁目は神谷宏治、内井昭蔵、宮脇檀、藤本昌也という4人の建築家の手による。

海沿いの低地とは思えない豊かな緑。富岡八幡宮の森もある。そして多様な街路空間と多様な形式の住居。かつて杉並区にあった阿佐ヶ谷住宅という名作団地をすら彷彿とさせる。

街路はほとんどが歩行者専用であり安心して歩ける。元漁港を整備した公園、通称「ふなだまり」もあり、海を感じることも十分できる。

歩いて10分ほどの京急富岡駅から京急横浜駅までは20分程度、京急品川駅までは40分程度だから、そんなに遠くない。だが、若い世代は結婚すると、ニュータウンの中に住む場所(空き家)が見つからず、転出するらしい。

一人暮らし高齢者が2人で同じ家に住んで、空いた家に新婚が住むという仕組みがあればいいが。ただ、仮に仕組みがあっても、住み慣れた家から高齢者が引っ越すことは(老人ホームに入るとき以外は)、現実にはなかなかないだろうが。

■郊外に仕事をつくり出せ!

紹介したニュータウンは3つとも素晴らしいところなのに、住んでいる人以外にはほとんど誰にも知られていない。だから人口が減り、高齢化する。そういうニュータウンは他にもまだたくさんあるだろう。知ってもらえば住みたくなる人はたくさんいるはずだ。名作ニュータウンのプロモーション活動が今後は必須だ。

ただし、これらのニュータウンは、都心に通勤するには遠すぎる。専業主婦の妻が風呂を沸かして夕飯を作って夫を待っていてくれるならともかく、共働きが増えている現代の夫婦には適さない。

だから、ものすごく子育て支援を充実させるか、それが無理なら通勤をしない人たちの街としての魅力をつくっていく必要がある。郊外を、都心に通勤する人々の家族が住むベッドタウン、コミューターサバーブ(通勤者のための郊外という意味)として規定するのをやめるべきである。

郊外をベッドタウンと考えると、都心からの時間距離が問題になる。時間距離が長い地域は、短い地域より不利である。だから人口が減る。なので駅前にタワーマンションを建てて、少しでも通勤時間を短くしようとするのである。だがいつまでも満員電車で通勤する時代が続くわけでもなかろう。

■働き方改革は新しい郊外から

現在、ようやく在宅勤務を本格化していこうという動きがある。郊外には、毎日の通勤には遠すぎるが、在宅勤務の場所としては環境がよいという地域もある。そうした地域は在宅勤務の適地として訴求し、新たな人口を引き込んだほうがいい。

高齢者だって、家の近くに働く場所があれば、たとえ車椅子暮らしであっても、できる仕事もある。それは高齢者の「生活の質」を上げるし、収入も増やせる。

また現代は、多くの就業者が「制約社員」の時代である。昔の男性のように無制約に働けない。家事も育児も介護も妻に任せて、100時間以上の残業も休日出勤も単身赴任も突然の出張もできた無制約社員の時代ではないのだ。女性には子育てがあり、男性もイクメンが求められ、男女ともに親の介護もありうるし、高齢者は体力的に毎日働いたり、残業したりできない。みんなが制約を持って働くのだ。

逆に言えば、制約社員を前提にすれば、ほとんどの人が働くことができるのである。無制約社員は都心のタワーマンションに住む人たちに任せて、郊外はワークライフバランスのとれた制約社員の街になったほうがよい。新しい働き方(ぶどう酒)は新しい住まい方(革袋)に入れたほうがよいだろう。

■ウォーカブル+ワーカブル(歩いて楽しい+働いて楽しい)な街にする

ベッドタウンが在宅勤務地となることで、そこは言わば「都市化」する。単なる田園郊外住宅地ではなく、自然の豊かな「田園」「庭園」に囲まれた多機能的な「都市」という意味での、本来の「田園都市」にようやくなるのだ(郊外の都市化については『東京は郊外から消えていく!』で最初に提案した)。

これまでは、都市的機能を都心にすっかり任せて、郊外のほうは、ただ買い物をして、食べて、寝て、子育てをするだけの街をつくってしまった。これが戦後の郊外の弱点であり、持続可能性を持たなかった大きな原因だ。

だから今後は、郊外に「働く」という機能を付加し、そこから、休む、出会う、交流する、発想する、考える、創造する、といった機能を持った都市へと発展させていき、単なるベッドタウンではないという状態に持っていく必要がある。自然の豊かな郊外の中で昼間働く人がたくさんいる状態にするのだ。

住みよい街の一要素はウォーカブル(walkable:楽しく歩ける)であることだが、そこにもう1つの要素としてワーカブル(workable:楽しく働ける)であることを追加したい、というのが私の提案である。

ちなみに2011年に私が行った「東京圏調査」で、働いてみたい地域を郊外居住地別に集計したところ、最も多かったのはつくばエクスプレス沿線居住者であり、沿線に住む人の70%が沿線で働いてみたいと回答した。

2位はさいたま市で63%、以下、千葉市が57%、横浜東部(海側)が56%、武蔵小杉のある南武線が46%、東急田園都市線沿線が45%、千葉県湾岸が41%、埼玉南部が37%、中央線多摩地域が36%、松戸・柏が35%という結果であった。

浦和、千葉、横浜という県庁所在地がある地域が2〜4位を占める中で、つくばエクスプレス沿線が1位になったのは注目に値する。当時の私にはこの数字の意味が十分理解できなかったのだが、今回流山市を取材してみて納得した。

つくばエクスプレス沿線は「郊外のサテライトオフィスや自宅などで働きたい」という人も26%でダントツに多く、「もっと郊外で働き口、雇用を増やすべき」だという意見も26%で最多だった(『東京は郊外から消えていく!』参照)。

■郊外を官能都市化せよ!

仕事に必要な事務用品はインターネット通販などの宅配で買える時代だから、商店街にあらゆる業種の商店と商品が揃っていることは在宅勤務地としては必須ではない。むしろひたすらアマゾンが使いやすい街にしてしまうという手もある。駅など街のあちこちに宅配ボックスが設置されていれば便利だし、宅配業者も楽だ。

その一方で、自然が豊富であるとか、仕事に疲れたらサーフィンができるとか、森の中をジョギングできるとか、農作業ができるとか、ちょっと気晴らしできる喫茶店や仕事帰りに楽しめる飲食店が多様に存在するとか、いろいろな人たちとの出会いのチャンスがあるなど、気分転換がしやすくてクリエイティブな刺激のある街がよい。

ホームズ総研所長・島原万丈の卓抜なネーミングを使えば、郊外の「センシュアスシティ」(官能都市)化が必要なのだ(島原万丈『本当に住んで幸せな街』〈光文社新書、2016年〉参照)。繁華街と同じ楽しさではないが、五感で感じる楽しさがなければならない。

■郊外に週末通う生活

在宅勤務の適地は、おそらく定年前後の人が移住するリタイアメントサバーブ(リタイアメントシティと言ってもよい)や、日頃は都心でばりばり働くビジネスマンのための週末リゾート(リゾート都市と言ってもよい)としても適地である。自然が豊富で、散歩などの運動に適しているからである。都心に毎日通うには遠すぎるが、週末だけ休息に来るなら問題はない。

緑豊かな住宅地として整備された郊外住宅地は、開発から30年、40年を経て、今まさに緑豊かな住宅地へと完成してきている。ところが、そこで皮肉にも人口減少時代に入ってしまったわけだが、せっかくできあがりつつある住宅地を空き家だらけのまま放置して、今後の時代に適応した活用をしないのは実にもったいない。

だからそうした住宅地を、在宅勤務地、50代のうちから仕事と生活の両立をしながら移住するリタイアメントシティ、週末リゾート都市として整備し直すべきなのだ。そうした転換を図っていけば、人が毎日住んだり、働いたり、週末に人が訪問したりするので街の活気が失われない、むしろ新しい活気が生まれ、住宅地から都市へと転換し、街としての持続性を増し、結果として税収も増えるだろう。

ディーリングやITで稼ぐ富裕層なら、空いた土地をまとめて買って3000坪の農園付き別荘にするかもしれない。実際、フロリダのディズニーワールドの近くにディズニーが開発したニューアーバニズムの住宅地セレブレーションは、当初リタイアメントサバーブとして開発されたが、私が取材した2006年ごろでは、30代の在宅勤務のビジネスマンが増えていたようである。彼らは月に1〜2度、ニューヨークやロサンゼルスの会社に行くのだそうだ。

(社会デザイン研究者/カルチャースタディーズ研究所代表 三浦 展)