アメリカ最初の原爆実験場となった、ニューメキシコ州アラモゴード。1947年7月4日午後9時すぎ、そこから150キロほど南西にあるロズウェルのフォスター牧場に、爆発音を響かせてUFOが墜落した。いわゆるロズウェル事件だ。

 

 

激しい雷雨のなか、激しい爆発音を聞いた牧場主のマック・ブレーゼルは、燐家の青年を連れ、馬に乗って現場に向かう。そこで1キロ四方にもおよぶ牧草地に金属片が大量に散らばっているのを発見。拾って自宅の納屋に保管した。

 

2日後の7月7日、ブレーゼルが保安官に知らせると、すぐにロズウェル陸軍航空基地の兵士がやってきて、残骸を採取して持ち帰り、一帯を閉鎖。納屋の金属片も没収していった。

 

翌日、軍報道官が「空飛ぶ円盤の噂は昨日、現実となった。ロズウェル駐屯の第8航空軍情報部は着地した1機の円盤を入手し、司令部に移送した」という発表をしたことで、世界は騒然となる。ところがその数時間後、発表は「墜落したのは単なる気象用観測気球にすぎなかった」と訂正されてしまうのだ。

 

この見解はその後も変わらず、50年後の1997年に空軍が出した公式の「ロズウェル事件最終報告書」においても、同様の結論になっている。

 

墜落UFOと「聖書」

奇妙なことにロズウェル事件直後から、北米から中南米にかけてUFO事件が急増しはじめる。アメリカ空軍はそれに対応するため、同年末に公的UFO調査機関「プロジェクト・サイン」をオハイオ州ライトパターソン基地内の航空資材司令部情報課に立ちあげた。だが、ほとんどの目撃を誤認であると決めつけ、翌1948年末にははやばやと活動停止してしまうのだ。

 

そのようななか、1950年3月8日にコロラド州のデンバー大学で、墜落した円盤と機内にいた異星人の遺体を調査したという科学者が講演を行い、その内容をフランク・スカリーという人物が『UFOの内幕』という本にまとめたのだ。

その内容はこうだ。

 

「当局からの緊急要請でニューメキシコの軍事基地で私が見た円盤は4機あり、ほとんどは失速状態で地上に軟着陸したものだった。もっとも小さい円盤の直径は約12メートルで、3個の球体による3点着地式の着陸装置を備えていた。機内で発見された乗員の死体はふたりで、身長は90センチから1メートルくらい。彼らは着陸するまでは生きていた。肉体年齢は35歳くらい。色白の肌で、われわれと何ら異なるところがなかった。制服のようなものを着ていたが、記章の類はついていない」

 

円盤にいた異星人は小柄ではあるが、地球の人間と同じだった。しかも機体は、底部に3個の球を備えたアダムスキー型だったというのである。

 

さらに、この講演では、最初の墜落以降デンバーから半径800キロのエリアに計4機の円盤が着地し、そのうち3機が捕獲され、全部で34人の乗員が死体で発見されたとしている。

 

だが――ロズウェルの本当の問題は別のところにあった。このとき科学者は、とんでもない「事実」を語っていたのだ。

 

「内部に羊皮紙が存在していたという事実があり、それには絵文字のようなものが書かれていた。これらは専門家に引き渡されているが、今のところ何ひとつ解読されていない……」――というのである!

 

羊皮紙に書かれた文字とは何なのか?  それはロズウェル事件から44年後の1991年に、ついに明らかになる。

 

ニューメキシコ州のホロマン空軍基地に所属していた軍人が、「1948年に基地内で墜落UFOに関する報告書を見たことがある」と、退役後に家族にだけ打ち明けていた人物の証言内容が、公にされた。国家的暗号解読チームが取り組んだ結果、なんとそれは初期ヘブライ語で書かれた『旧約聖書』の写本であることが判明したというのだ!

 

いったいUFOと『聖書』には、どんな関係があるのか? 筆者の長い資料収集と海外取材の経験から、その全体像に迫っていこう。

 

(「ムー」2017年7月号より抜粋)

 

文=韮澤潤一郎

 

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