「べっぴんさん」127話。レリビィは魔法のコトバやで
連続テレビ小説「べっぴんさん」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)第22週「母の背中」第127回 3月4日(土)放送より。
脚本:渡辺千穂 演出:梛川善郎
25歳になった健太郎(古川雄輝)とさくら(井頭愛海)はめでたく結婚の許可をもらう。
龍一(森永悠希)は勝二(田中要次)と一緒に店を食堂にすることになった。
さくら「お風呂、先入るわ」
紀夫「お風呂、お父さんが先や」
すみれ「お風呂入れるねえ・・・」
娘の突然の結婚の話になんとなくぎくしゃくした父母娘の気持ちがこの会話に表れていた。
だが最近、「きゅうり食べる」とかすみれの独り言が増えた気がするんだが、それもおばちゃんになったせいなのか。
結婚したいと言われて気絶してしまう君枝(土村芳)。
「夢やないかしら、健太郎が結婚なんて」と自分の想像のキャパを超えていたらしい。
紀夫は「ほんとうに健太郎くんに決めてしまっていいのか」と心配するが、さくらは「祝福してくれたら幸せになれる」と言う。
それが、127話のおわり、すみれが「ひとって想ってくれてるひと、願ってくれてるひとの愛情があって幸せになれるのかもしれない」
「紀夫さんがいて、さくらがいて、仲間がいて
それはきっと亡くなったお父様とお母様が願ってくれていたからかな」
としみじみ言って、君枝も納得するところにつながる。
大人になっていくのは健太郎とさくらだけではない。龍一も、なかば強引ながら、父と一緒に食堂をやろうと決める。
「そのまま生きろ」っていう意味やで、と勝手に店名を決めて看板を書いて食堂にすることにしてしまう龍一。
「あるがまま」という名前が龍ちゃんらしいとさくらが言う。こどものときから平均的な価値観から外れてきた龍一。世界旅行で「言葉も文化も違うなかで、皿洗って下働きして」・・・来た彼にとって、日本のなかで区別される違いなんてささいなことであったのだろう。彼の抱える違いを大きな方向にもっていったことはとてもいい。
また、龍一がいまこうしていられるのは、まわりのひとたちがいい方向に育んでいったおかげ。ここにもすみれの台詞「ひとって想ってくれてるひと、願ってくれてるひとの愛情があって幸せになれるのかもしれない」が効いている。
最たる功労者は母の良子(百田夏菜子)だろう。
「お父さん、本気で怒ってるよ」と夫の気持ちを翻訳したり「私も勝二さんの料理食べてみたいし」と夫の気持ちをほぐしたり、良子よくできた妻であり母になった。でもちょっと百田と土村の使い方がもったいないなあと思う。ふたりの人生をもうちょっと描いてほしかった。
それにしても、いつでもたくさんのひとのいる前で大事なことが明かされ決定されていくオープンさは、いまの時代とは大違いだ。
たとえば、明美(谷村美月)は2階に住んでいるわけだが(ずっと賃貸なのか?)、階下を食堂にされたら、匂いとか煙とか食べ物を扱うことによって発生する危険性のあるネズミや害虫などの問題など、いろいろ住み辛い気がするのだが、そういうことも全然平気なんだなあと、こののんきさがうらやましい。
きっとなにもかもすべて「レリビイ」という魔法のコトバで解決するのだ。
(木俣冬)
脚本:渡辺千穂 演出:梛川善郎
127話はこんな話
25歳になった健太郎(古川雄輝)とさくら(井頭愛海)はめでたく結婚の許可をもらう。
龍一(森永悠希)は勝二(田中要次)と一緒に店を食堂にすることになった。
お風呂に関する家族の会話
さくら「お風呂、先入るわ」
紀夫「お風呂、お父さんが先や」
すみれ「お風呂入れるねえ・・・」
だが最近、「きゅうり食べる」とかすみれの独り言が増えた気がするんだが、それもおばちゃんになったせいなのか。
ほんとうにいいのか
結婚したいと言われて気絶してしまう君枝(土村芳)。
「夢やないかしら、健太郎が結婚なんて」と自分の想像のキャパを超えていたらしい。
紀夫は「ほんとうに健太郎くんに決めてしまっていいのか」と心配するが、さくらは「祝福してくれたら幸せになれる」と言う。
それが、127話のおわり、すみれが「ひとって想ってくれてるひと、願ってくれてるひとの愛情があって幸せになれるのかもしれない」
「紀夫さんがいて、さくらがいて、仲間がいて
それはきっと亡くなったお父様とお母様が願ってくれていたからかな」
としみじみ言って、君枝も納得するところにつながる。
世界の料理レリビィ(レット・イット・ビー)
大人になっていくのは健太郎とさくらだけではない。龍一も、なかば強引ながら、父と一緒に食堂をやろうと決める。
「そのまま生きろ」っていう意味やで、と勝手に店名を決めて看板を書いて食堂にすることにしてしまう龍一。
「あるがまま」という名前が龍ちゃんらしいとさくらが言う。こどものときから平均的な価値観から外れてきた龍一。世界旅行で「言葉も文化も違うなかで、皿洗って下働きして」・・・来た彼にとって、日本のなかで区別される違いなんてささいなことであったのだろう。彼の抱える違いを大きな方向にもっていったことはとてもいい。
また、龍一がいまこうしていられるのは、まわりのひとたちがいい方向に育んでいったおかげ。ここにもすみれの台詞「ひとって想ってくれてるひと、願ってくれてるひとの愛情があって幸せになれるのかもしれない」が効いている。
最たる功労者は母の良子(百田夏菜子)だろう。
「お父さん、本気で怒ってるよ」と夫の気持ちを翻訳したり「私も勝二さんの料理食べてみたいし」と夫の気持ちをほぐしたり、良子よくできた妻であり母になった。でもちょっと百田と土村の使い方がもったいないなあと思う。ふたりの人生をもうちょっと描いてほしかった。
それにしても、いつでもたくさんのひとのいる前で大事なことが明かされ決定されていくオープンさは、いまの時代とは大違いだ。
たとえば、明美(谷村美月)は2階に住んでいるわけだが(ずっと賃貸なのか?)、階下を食堂にされたら、匂いとか煙とか食べ物を扱うことによって発生する危険性のあるネズミや害虫などの問題など、いろいろ住み辛い気がするのだが、そういうことも全然平気なんだなあと、こののんきさがうらやましい。
きっとなにもかもすべて「レリビイ」という魔法のコトバで解決するのだ。
(木俣冬)