「自分がどんな人であるかを知ってもらいたい」は永遠に若者の悩みなのかと詩歌の役目
池澤夏樹=個人編集《日本文学全集》(河出書房新社)第21回(第2期第9回)配本、第29巻『近現代詩歌』。
穂村弘が「短歌」、小澤實が「俳句」の選・註解を担当し、それぞれ50人の歌人・俳人の短歌・俳句を、各5首・5句ずつ、計250首・250句選んだ。
「短歌」で選ばれた正岡子規(1867-1902)以降与謝野鉄幹、与謝野晶子、斎藤茂吉、若山牧水、石川啄木、釈迢空、岡本かの子、宮沢賢治、塚本邦雄、馬場あき子、福島泰樹らを経て三枝昂之(1944-)までの50人は、池澤夏樹(1945-)よりも年長者を選んだというチョイス。
「俳句」のセレクトは井月(1822?-1887)から尾崎紅葉、高浜虚子、永井荷風、山頭火、久保田万太郎、芥川龍之介、永田耕衣、中村汀女、西東三鬼、橋間石、渡辺白泉、三橋敏雄、高柳重信、攝津幸彦らを経て田中裕明(1959-2004)まで、物故者から50人選ばれている。(間は正しくは[門+月])
本巻で北原白秋は詩と短歌、正岡子規と寺山修司は短歌と俳句にまたがっての出演だ。
近代短歌はまったくと言っていいほど読んだことがなく、今回ホントに初めてちゃんと出会った。印象に残った歌を3首紹介します。
くらくなればタイトルがそこに映り出す見よ文字らが瞬いてゐる 石川信雄『シネマ』(1936)
照らされてB二十九は海にのがれ高きホームに省線を待つ 近藤芳美『早春歌』(1948)
転倒の瞬間ダメかと思ったが打つべき箇所を打って立ちあがる 奥村晃作『ピシリと決まる』(2001)
〈ダメかと思ったが打つべき箇所を打って〉ってなんだよwww ついでに歌集の題も『ピシリと決まる』ってwww
俳句は、もともと好きだった句もたくさん収録されてたけど、ここはやっぱり、今回読み直して「おっ」と思わされた3句を抜き書きする。
退屈なガソリンガール柳の芽 富安風生『十三夜』(1937)
打水の水の大きな塊よ 京極杞陽『くくたち』(1946)
銀河系のとある酒場のヒヤシンス 橋間石『微光』(1992)
近現代俳句、シャレオツにも程があるな。ってことを改めて思ったしだい。
ところで、『結婚失格』だったか、枡野浩一に、
川柳と俳句と短歌の区別などつかない人がモテる人です
という短歌があるけど、短歌と俳句の違いは、この巻での「短歌」と「俳句」のプレゼンテーションのしかたに如実に出ている。それぞれの形式の実態に即したプレゼンテーションのしかただ。
「短歌」は、まず5首をまとめて提示したあとで、選者・穂村弘の鑑賞文がくる。
5首の全体から読み取れることを選者がすくいとり、作者が人生で経験したことや、短歌史における作者の評判・位置づけを教えてくれる。
これを読んで、短歌というのは作者がどんな人かを知るために読むものだという気がしてきたし、自分がどんな人であるかを知ってほしくて歌人は短歌を書くのだな、という印象を持った。
いっぽう「俳句」は、1句ごとに選者・小澤實の鑑賞文がついている。
選者は、作者の人生についてまったく触れないわけではないが、それよりも一句一句の言葉のメカニズムのほうに焦点をあてている。
俳句というのが、作者の人生を読みとることに向いてない分野であること、またそもそも人生を盛ることに向いてない器であること、自分ってこんな人なんですと知ってほしくて作るなら俳句以外の分野のほうが向いてるってことがわかる(もちろん種田山頭火のような例外もあるけど)。
穂村弘さんは「選者あとがき」で、池澤夏樹より前に生まれた人(ただし物故者はこのかぎりにあらず)という本全集の統一ルール(池澤さん自身は必ずしも厳守していないが)を編集部から提示されて、〈内心ほっとしながら〉1944年生まれを収録歌人の生年の下限にした、と述べ、
〈これが仮に二〇一六年現在までだったら、百人分は枠が欲しいところだ〉
と言った。
じっさい、『サラダ記念日』以降の過去30年の短歌は、僕のような一般人にも聞こえてくる作例をいくつも持っている。
過去30年、短歌の世界から数は多くないとはいえ、何人かの若手歌人たちが、一般読者(この日本文学全集の想定読者)にアピールした。
なぜだろう?
もちろん先述のとおり短歌という形式はもともと、「自分がどんな人であるかを知ってもらう」という若者の望みを叶えるのに向いている。
でもそれだけが原因ではない。いろいろ問題もありながら、歌壇は若い人に夢を売る姿勢をそれなりに持ち続けたように見える。
少なくとも、歌壇は若い作者・読者の好みに理解があるように、外からは見える。
いっぽう過去30年の俳句はどうか?
俳句の一般的イメージは老人の慰みものか「お〜いお茶」なので、本巻の読者は、
「戦前には俳句がヤングの文芸としてバリバリ機能してたんだな」
と知って、俳句の印象が変わるだろう。
でも戦後、あるいは平成期の俳句は、若者の文芸ではなかった。
2016年時点の存命俳人を入れて、果たしてこれと同じテンションで100人ぶんのアンソロジーを作れるだろうか?
誤解されそうだから慌てて補足するけど、存命の個々の俳人がしてきたたいへんカッコイイ仕事の存在くらい、いくら僕でも少しは知ってる。趣味でたまに俳句も作る身として、それらの作例に憧れてもいる。
けど、それは僕が俳句を少しばかり知っているからだ。
過去30年、俳句の世界での「ヒット作」は俳壇に向けて作られたヒット作だった。
俳句結社というビジネスモデルは、昭和戦後から高度成長期にかけて経済的に安定したサイクルを作り上げた。俳壇は55年体制に過剰適応して自己形成したのち、そのあとの社会の変化は無視してしまったのだ。
なんでも「若いからいい」わけではないのは当たり前だけれど、俳句が老人と「年長の人に認められたい若者」の分野になって久しいのは、日々ステキな句が作られているだけに、ほんとうに残念なことだ。
俳句の世界の「革新」や「反抗」ですら、俳句の「通」に向けてなされた価値紊乱だった。
既存の俳句に反抗すること自体、その既存の俳句をまったく知らない一般人には、その意味がそもそもピンとこない。
部外者には、それがなぜ「革新」「反抗」なのかわからないし、俳句を勉強してそれをわかったときには、もうそこそこ俳句の「通」になってしまっている。そういうソフィスティケイトされた反抗であり価値紊乱だった。
その結果、俳句の世界にはキラキラした才能の持ち主が渋滞し犇めき合いながら、そのキラキラは外から見たらキラキラではない。
個々の俳句はすばらしいのに、善意の総和のおかげで、シーン全体は外から見た魅力を失って久しい。
若い俳人志望者が俳句に入門し、先輩俳人たちのきらめきをきらめきと理解できたころには、ダサくてもいいから俳句シーンの外に届くような俳句の発表方法を、思いつかなくなっている。
俳句という分野が過去30年患ってきた高齢化は、若者の俳句離れではなくて、俳句の若者離れの結果なのだ。
次回は第22回(第2期第10回)配本、第10巻『能・狂言 説経節 曾根崎心中 女殺油地獄 菅原伝授手習鑑 義経千本桜 仮名手本忠臣蔵』で会いましょう。
(千野帽子)
穂村弘が「短歌」、小澤實が「俳句」の選・註解を担当し、それぞれ50人の歌人・俳人の短歌・俳句を、各5首・5句ずつ、計250首・250句選んだ。
今回グッときた短歌と俳句はコレ!
「短歌」で選ばれた正岡子規(1867-1902)以降与謝野鉄幹、与謝野晶子、斎藤茂吉、若山牧水、石川啄木、釈迢空、岡本かの子、宮沢賢治、塚本邦雄、馬場あき子、福島泰樹らを経て三枝昂之(1944-)までの50人は、池澤夏樹(1945-)よりも年長者を選んだというチョイス。
「俳句」のセレクトは井月(1822?-1887)から尾崎紅葉、高浜虚子、永井荷風、山頭火、久保田万太郎、芥川龍之介、永田耕衣、中村汀女、西東三鬼、橋間石、渡辺白泉、三橋敏雄、高柳重信、攝津幸彦らを経て田中裕明(1959-2004)まで、物故者から50人選ばれている。(間は正しくは[門+月])
本巻で北原白秋は詩と短歌、正岡子規と寺山修司は短歌と俳句にまたがっての出演だ。
近代短歌はまったくと言っていいほど読んだことがなく、今回ホントに初めてちゃんと出会った。印象に残った歌を3首紹介します。
くらくなればタイトルがそこに映り出す見よ文字らが瞬いてゐる 石川信雄『シネマ』(1936)
照らされてB二十九は海にのがれ高きホームに省線を待つ 近藤芳美『早春歌』(1948)
転倒の瞬間ダメかと思ったが打つべき箇所を打って立ちあがる 奥村晃作『ピシリと決まる』(2001)
〈ダメかと思ったが打つべき箇所を打って〉ってなんだよwww ついでに歌集の題も『ピシリと決まる』ってwww
俳句は、もともと好きだった句もたくさん収録されてたけど、ここはやっぱり、今回読み直して「おっ」と思わされた3句を抜き書きする。
退屈なガソリンガール柳の芽 富安風生『十三夜』(1937)
打水の水の大きな塊よ 京極杞陽『くくたち』(1946)
銀河系のとある酒場のヒヤシンス 橋間石『微光』(1992)
近現代俳句、シャレオツにも程があるな。ってことを改めて思ったしだい。
短歌と俳句はこう違う
ところで、『結婚失格』だったか、枡野浩一に、
川柳と俳句と短歌の区別などつかない人がモテる人です
という短歌があるけど、短歌と俳句の違いは、この巻での「短歌」と「俳句」のプレゼンテーションのしかたに如実に出ている。それぞれの形式の実態に即したプレゼンテーションのしかただ。
「短歌」は、まず5首をまとめて提示したあとで、選者・穂村弘の鑑賞文がくる。
5首の全体から読み取れることを選者がすくいとり、作者が人生で経験したことや、短歌史における作者の評判・位置づけを教えてくれる。
これを読んで、短歌というのは作者がどんな人かを知るために読むものだという気がしてきたし、自分がどんな人であるかを知ってほしくて歌人は短歌を書くのだな、という印象を持った。
いっぽう「俳句」は、1句ごとに選者・小澤實の鑑賞文がついている。
選者は、作者の人生についてまったく触れないわけではないが、それよりも一句一句の言葉のメカニズムのほうに焦点をあてている。
俳句というのが、作者の人生を読みとることに向いてない分野であること、またそもそも人生を盛ることに向いてない器であること、自分ってこんな人なんですと知ってほしくて作るなら俳句以外の分野のほうが向いてるってことがわかる(もちろん種田山頭火のような例外もあるけど)。
若者に夢を売り続ける短歌と、若者を切り捨てた俳句
穂村弘さんは「選者あとがき」で、池澤夏樹より前に生まれた人(ただし物故者はこのかぎりにあらず)という本全集の統一ルール(池澤さん自身は必ずしも厳守していないが)を編集部から提示されて、〈内心ほっとしながら〉1944年生まれを収録歌人の生年の下限にした、と述べ、
〈これが仮に二〇一六年現在までだったら、百人分は枠が欲しいところだ〉
と言った。
じっさい、『サラダ記念日』以降の過去30年の短歌は、僕のような一般人にも聞こえてくる作例をいくつも持っている。
過去30年、短歌の世界から数は多くないとはいえ、何人かの若手歌人たちが、一般読者(この日本文学全集の想定読者)にアピールした。
なぜだろう?
もちろん先述のとおり短歌という形式はもともと、「自分がどんな人であるかを知ってもらう」という若者の望みを叶えるのに向いている。
でもそれだけが原因ではない。いろいろ問題もありながら、歌壇は若い人に夢を売る姿勢をそれなりに持ち続けたように見える。
少なくとも、歌壇は若い作者・読者の好みに理解があるように、外からは見える。
いっぽう過去30年の俳句はどうか?
俳句の一般的イメージは老人の慰みものか「お〜いお茶」なので、本巻の読者は、
「戦前には俳句がヤングの文芸としてバリバリ機能してたんだな」
と知って、俳句の印象が変わるだろう。
でも戦後、あるいは平成期の俳句は、若者の文芸ではなかった。
2016年時点の存命俳人を入れて、果たしてこれと同じテンションで100人ぶんのアンソロジーを作れるだろうか?
誤解されそうだから慌てて補足するけど、存命の個々の俳人がしてきたたいへんカッコイイ仕事の存在くらい、いくら僕でも少しは知ってる。趣味でたまに俳句も作る身として、それらの作例に憧れてもいる。
けど、それは僕が俳句を少しばかり知っているからだ。
過去30年、俳句の世界での「ヒット作」は俳壇に向けて作られたヒット作だった。
俳句結社というビジネスモデルは、昭和戦後から高度成長期にかけて経済的に安定したサイクルを作り上げた。俳壇は55年体制に過剰適応して自己形成したのち、そのあとの社会の変化は無視してしまったのだ。
なんでも「若いからいい」わけではないのは当たり前だけれど、俳句が老人と「年長の人に認められたい若者」の分野になって久しいのは、日々ステキな句が作られているだけに、ほんとうに残念なことだ。
俳句の世界の「革新」や「反抗」ですら、俳句の「通」に向けてなされた価値紊乱だった。
既存の俳句に反抗すること自体、その既存の俳句をまったく知らない一般人には、その意味がそもそもピンとこない。
部外者には、それがなぜ「革新」「反抗」なのかわからないし、俳句を勉強してそれをわかったときには、もうそこそこ俳句の「通」になってしまっている。そういうソフィスティケイトされた反抗であり価値紊乱だった。
その結果、俳句の世界にはキラキラした才能の持ち主が渋滞し犇めき合いながら、そのキラキラは外から見たらキラキラではない。
個々の俳句はすばらしいのに、善意の総和のおかげで、シーン全体は外から見た魅力を失って久しい。
若い俳人志望者が俳句に入門し、先輩俳人たちのきらめきをきらめきと理解できたころには、ダサくてもいいから俳句シーンの外に届くような俳句の発表方法を、思いつかなくなっている。
俳句という分野が過去30年患ってきた高齢化は、若者の俳句離れではなくて、俳句の若者離れの結果なのだ。
次回は第22回(第2期第10回)配本、第10巻『能・狂言 説経節 曾根崎心中 女殺油地獄 菅原伝授手習鑑 義経千本桜 仮名手本忠臣蔵』で会いましょう。
(千野帽子)