丁寧な導入と荒唐無稽な石原さとみのマッチング「校閲ガール」の仕掛けを解く
なんだか周囲が騒がしいドラマ『地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子』。宮木あや子の原作を石原さとみ主演でドラマ化したもので、先週放送の第1話は12.9%の好視聴率を記録した。本日放送が第2回となる。
物語は、女性ファッション誌の編集者になることを夢見る女性・河野悦子が、総合出版社・景凡社の校閲部の社員として採用されるというもの。「自分のいるべき場所はここじゃない」と思いつつも、仕事にまい進する校閲者・悦子の“地味にスゴイ”活躍を描く。
実は原作小説を最初に読んだとき、あまり乗れなかった。昨今話題になっている“リアルさ”に欠けると思ったからだ。原作の悦子は新卒入社2年目の社員という設定。校閲は知識と経験がモノを言う仕事であり、ファッション誌にだけ情熱を燃やして、文学などに一切興味がない若手社員に完璧な校閲をこなせるわけがないと思ったのだ。
ところが、ドラマはそのあたりをうまく消化していた。視聴者が素直に物語に入っていける工夫をいくつも行っていたからだ。
まず、入社2年目という設定を、石原さとみの実年齢に近い“新卒から7年連続で入社試験を受け続けている女性”に変えた。この7年という決して短くはない年月が悦子の“謎の力”を研ぎ澄ませていったに違いあるまい。
そう、河野悦子は一種の異能力者である。ファッションのことだけを考え、ファッション誌を読んで読んで読み尽くした結果、異様な記憶力と集中力、行動力が身についてしまった女性なのだ。
7年連続で景凡社の試験を受け続けるも、試験官は誰も悦子の能力と資質に気づかなかった(そもそも誰もそんな能力求めていなかった)。ただ一人、悦子の面接を初めて行った校閲部部長の茸原(岸谷五朗)だけが気づくことができた。悦子の異能力は、まさに校閲にうってつけだったのだ。
また、いきなり初対面の編集者・貝塚(青木崇高)に「タコ!」と言い放つ口の悪さも、入社2年目という原作の設定より、20代後半のある意味屈折した女性というドラマの設定のほうがしっくり来る。
原作では最初から校閲者として完璧な能力を発揮する女性として登場したが、ドラマでは校閲のことをまるで知らない女性として登場し、地味な校閲部員・藤岩(江口のりこ)の指導で校閲のことを学ぶという設定にしていたのも良かった。
そして何より、石原さとみというピースである。これが『校閲ガール』にピタリとはまった。石原さとみは今、あらゆる“リアルさ”をぶっ飛ばす力を持っている女優である。
なにせ、石原さとみは『シン・ゴジラ』のカヨコ・アン・パタースンなのだ。日本語も英語もペラペラ、40代で大統領の座を狙うスーパーウーマン。カヨコを演じた石原さとみは「リアルだ、リアルだ」と持て囃された『シン・ゴジラ』において、(ゴジラとともに)荒唐無稽な部分を一手に引き受けた女優である。
「違う作品じゃないか」と言うなかれ。役者というものは得てして、ヒット作、代表作のイメージが尾を引くものだ。草刈正雄が『真田丸』で生涯の当たり役・真田昌幸を掴んだのも、かつて『真田太平記』で真田幸村を演じた過去があってのこと。
石原さとみがずっと荒唐無稽な女優だったわけではないが、カヨコを演じた直後の今なら間違いなく荒唐無稽なフォースを出すことができる。石原さとみなら難しい校閲も瞬く間に習得する異能力者役にぴったりだろう。そう思わせる勢いとサムシングがある。「石原さとみのドラマなんだから細かいこと言うな」というムードだ。歴史にイフは禁物だが、もし『重版出来!』の黒木華が主演なら、もっとリアルで地味な話にしなければいけなかっただろう。これは演技力の問題ではない。
物語に入っていくための丁寧な導入と、細かな“リアルさ”をぶっ飛ばす石原さとみというキャスティングの妙が、『校閲ガール』の好評ぶりにつながっているのだろう。
文字などを画面にバンバン出す演出は、(河野悦子が憧れる)ファッション誌の編集部を舞台にしたドラマ『ファースト・クラス』を思い起こさせる。地味な見た目の校閲という仕事をいかに引き立たせるかという工夫だと思うが、逆に言えばそれだけ校閲の仕事をしっかり描こうとしている証明だろう。他の派手な展開を考えているなら、このような演出は不要だからだ。
初回の演出を担当したのは、日本テレビ制作局専門局長兼ドラマ担当エグゼクティブディレクターというすごい肩書きを持つ佐藤東弥。映画『カイジ 人生逆転ゲーム』で「ざわ…ざわ…」という文字をそのまま見せちゃった人だ。
プロデューサーの小田玲奈は『家売るオンナ』に続いて本作が2作目。実は彼女自身、「ドラマが作りたいです!」と叫びながら日本テレビに入社したものの、あえなく朝の情報番組やバラエティ番組に回され、入社13年を経て、ようやく念願かなってドラマ班に移ることができたというキャリアの持ち主。つまり、河野悦子とまったく同じ境遇だった経験があるのだ。
「女性をはじめ、どんな小さな仕事でも一生懸命頑張っている人を応援するドラマ。自分の居場所はここなのだろうかと悩みながら働いている人ってすごくいっぱいいると思うんですよ。そんな人たちが、本当はやりたい仕事じゃなくても、本気でやれば自分をほめていいんだって思えるようなドラマにしたい。それは、ほんっとうに私が13年間、ドラマに異動できなくて、すごく抱えて考えていたことなので、その思いを描いていきたいと思います」
(『家売るオンナ』三軒家万智はなぜ愛される? プロデューサーが明かす北川景子が“無愛想なロボット”になった理由/マイナビニュース)
初回は導入に半分、大御所作家・本郷大作(鹿賀丈史)の校閲を担当するエピソードに半分費やした形となった。本郷との衝突と和解、悦子の地味な裏取り作業が「地味」という言葉の変化とつながって、『地味にスゴイ!』というタイトルにつながっていく仕掛けはなかなかのものだった。
とはいえ、「どんな小さな仕事でも一生懸命頑張っている人を応援するドラマ」にしていくためには、ここから先のストーリーが問われていくはずだ。校閲という題材をどこまで広げることができるか、スタッフの手腕が見ものである。
(大山くまお)
参考→「地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子」の原作を絶対読むべき理由
物語は、女性ファッション誌の編集者になることを夢見る女性・河野悦子が、総合出版社・景凡社の校閲部の社員として採用されるというもの。「自分のいるべき場所はここじゃない」と思いつつも、仕事にまい進する校閲者・悦子の“地味にスゴイ”活躍を描く。
原作小説に乗れなかったのにドラマに乗れたワケ
実は原作小説を最初に読んだとき、あまり乗れなかった。昨今話題になっている“リアルさ”に欠けると思ったからだ。原作の悦子は新卒入社2年目の社員という設定。校閲は知識と経験がモノを言う仕事であり、ファッション誌にだけ情熱を燃やして、文学などに一切興味がない若手社員に完璧な校閲をこなせるわけがないと思ったのだ。
ところが、ドラマはそのあたりをうまく消化していた。視聴者が素直に物語に入っていける工夫をいくつも行っていたからだ。
まず、入社2年目という設定を、石原さとみの実年齢に近い“新卒から7年連続で入社試験を受け続けている女性”に変えた。この7年という決して短くはない年月が悦子の“謎の力”を研ぎ澄ませていったに違いあるまい。
そう、河野悦子は一種の異能力者である。ファッションのことだけを考え、ファッション誌を読んで読んで読み尽くした結果、異様な記憶力と集中力、行動力が身についてしまった女性なのだ。
7年連続で景凡社の試験を受け続けるも、試験官は誰も悦子の能力と資質に気づかなかった(そもそも誰もそんな能力求めていなかった)。ただ一人、悦子の面接を初めて行った校閲部部長の茸原(岸谷五朗)だけが気づくことができた。悦子の異能力は、まさに校閲にうってつけだったのだ。
また、いきなり初対面の編集者・貝塚(青木崇高)に「タコ!」と言い放つ口の悪さも、入社2年目という原作の設定より、20代後半のある意味屈折した女性というドラマの設定のほうがしっくり来る。
原作では最初から校閲者として完璧な能力を発揮する女性として登場したが、ドラマでは校閲のことをまるで知らない女性として登場し、地味な校閲部員・藤岩(江口のりこ)の指導で校閲のことを学ぶという設定にしていたのも良かった。
石原さとみという荒唐無稽な存在
そして何より、石原さとみというピースである。これが『校閲ガール』にピタリとはまった。石原さとみは今、あらゆる“リアルさ”をぶっ飛ばす力を持っている女優である。
なにせ、石原さとみは『シン・ゴジラ』のカヨコ・アン・パタースンなのだ。日本語も英語もペラペラ、40代で大統領の座を狙うスーパーウーマン。カヨコを演じた石原さとみは「リアルだ、リアルだ」と持て囃された『シン・ゴジラ』において、(ゴジラとともに)荒唐無稽な部分を一手に引き受けた女優である。
「違う作品じゃないか」と言うなかれ。役者というものは得てして、ヒット作、代表作のイメージが尾を引くものだ。草刈正雄が『真田丸』で生涯の当たり役・真田昌幸を掴んだのも、かつて『真田太平記』で真田幸村を演じた過去があってのこと。
石原さとみがずっと荒唐無稽な女優だったわけではないが、カヨコを演じた直後の今なら間違いなく荒唐無稽なフォースを出すことができる。石原さとみなら難しい校閲も瞬く間に習得する異能力者役にぴったりだろう。そう思わせる勢いとサムシングがある。「石原さとみのドラマなんだから細かいこと言うな」というムードだ。歴史にイフは禁物だが、もし『重版出来!』の黒木華が主演なら、もっとリアルで地味な話にしなければいけなかっただろう。これは演技力の問題ではない。
物語に入っていくための丁寧な導入と、細かな“リアルさ”をぶっ飛ばす石原さとみというキャスティングの妙が、『校閲ガール』の好評ぶりにつながっているのだろう。
本当はやりたくない仕事でも本気でやれば認められる
文字などを画面にバンバン出す演出は、(河野悦子が憧れる)ファッション誌の編集部を舞台にしたドラマ『ファースト・クラス』を思い起こさせる。地味な見た目の校閲という仕事をいかに引き立たせるかという工夫だと思うが、逆に言えばそれだけ校閲の仕事をしっかり描こうとしている証明だろう。他の派手な展開を考えているなら、このような演出は不要だからだ。
初回の演出を担当したのは、日本テレビ制作局専門局長兼ドラマ担当エグゼクティブディレクターというすごい肩書きを持つ佐藤東弥。映画『カイジ 人生逆転ゲーム』で「ざわ…ざわ…」という文字をそのまま見せちゃった人だ。
プロデューサーの小田玲奈は『家売るオンナ』に続いて本作が2作目。実は彼女自身、「ドラマが作りたいです!」と叫びながら日本テレビに入社したものの、あえなく朝の情報番組やバラエティ番組に回され、入社13年を経て、ようやく念願かなってドラマ班に移ることができたというキャリアの持ち主。つまり、河野悦子とまったく同じ境遇だった経験があるのだ。
「女性をはじめ、どんな小さな仕事でも一生懸命頑張っている人を応援するドラマ。自分の居場所はここなのだろうかと悩みながら働いている人ってすごくいっぱいいると思うんですよ。そんな人たちが、本当はやりたい仕事じゃなくても、本気でやれば自分をほめていいんだって思えるようなドラマにしたい。それは、ほんっとうに私が13年間、ドラマに異動できなくて、すごく抱えて考えていたことなので、その思いを描いていきたいと思います」
(『家売るオンナ』三軒家万智はなぜ愛される? プロデューサーが明かす北川景子が“無愛想なロボット”になった理由/マイナビニュース)
初回は導入に半分、大御所作家・本郷大作(鹿賀丈史)の校閲を担当するエピソードに半分費やした形となった。本郷との衝突と和解、悦子の地味な裏取り作業が「地味」という言葉の変化とつながって、『地味にスゴイ!』というタイトルにつながっていく仕掛けはなかなかのものだった。
とはいえ、「どんな小さな仕事でも一生懸命頑張っている人を応援するドラマ」にしていくためには、ここから先のストーリーが問われていくはずだ。校閲という題材をどこまで広げることができるか、スタッフの手腕が見ものである。
(大山くまお)
参考→「地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子」の原作を絶対読むべき理由