トヨタを世界に広める 泥臭い道を歩んだ男の話

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日本が誇る世界的企業として真っ先に名前があがる「トヨタ自動車」。
今でこそ「世界のトヨタ」として自動車業界のトップに君臨しているが、何もせずに世界各国で売れるようになったわけではない。

『世界でトヨタを売ってきた。』(開拓社刊)を読むと、トヨタ車の性能が世界で認められるまでには、各国での生産拠点の整備や販路の開拓など、新天地でのビジネス拡大につきものである課題と、それを解決するための取り組みの歴史があることがわかる。

今回は本書の著者で、長年トヨタの新興国担当者としてこの仕事を担ってきた、同社元専務取締役の岡部聰さんにインタビュー。未知の土地でのビジネスに必要な心構えや、これまでに遭遇した事件についてお話をうかがった。

■中東、アフリカ、中南米…トヨタ車を世界に広めた男の話

――『世界でトヨタを売ってきた。』についてお話を伺えればと思います。「トヨタの強さとスピリットがここにある」という帯のフレーズが印象的ですが、岡部さんが考えるトヨタの強さは何だとお考えですか?

岡部:一番は「現地現物主義」だと思います。これはトヨタが常に大事にしてきた哲学で、人から言われたことを鵜呑みにするのではなく、自分で現地に足を運んで、自分の目で事実を確認して、自分の頭で考える、ということ。これはまちがいなくトヨタの強さです。

たとえば、インドは将来巨大なマーケットになるから、インドに本格的に投資をすべき、ということを色々な人が言っていますよね。もちろん、それは正しいのですが、あくまで将来の話です。

現在のインドの状況を知らずに、こうした話を信じていきなりインドに投資してビジネスをはじめてもうまくはいきません。海外での事業は、現地で一つ一つ地元で市民権を得ながら、ノウハウを蓄積しながら、少しずつ拡大していくべきものなんです。

泥臭く聞こえるかもしれませんが、その意味では、自分の経験してきた仕事も、この「現地現物主義」に基づいていると思います。

――特に、エジプトやサウジアラビアといった中東諸国に行くと、トヨタ車の人気を肌で感じます。岡部さんはこういった国々に直接行って、現地での販売拠点を築いてこられた。

岡部:実はゼロから拠点を作ったというのは少なくて、先輩方が作ってくれていた拠点を引き継いで事業を大きくしたというケースの方が多いです。中近東にはじめてトヨタディーラーができてからもうすぐ60年になりますし、台湾やタイのディーラーも歴史があります。

ゼロから、ということでいうと、今例に挙げたインドがそうですね。インドは1980年代まで、政府が自動車の輸入を実質禁止していたので、トヨタ車を販売することができませんでした。

ただ90年代以降、経済自由化が進んで、様々な条件が変わってきたので、1997年にインドに進出して、現地の企業と合弁会社を作りました。

――この進出計画はどのように進んでいったのでしょうか。

岡部:その合弁会社で、僕は実務面のリーダーに指名されていたので、まずはプロジェクトチームを作るところから始めました。

若くてファイトがあって、インドではなくても新興国での駐在経験があるメンバーを選んだのですが、僕はそのメンバーをそれぞれの部署ごとに配置せずに、一つの部屋に閉じ込めました。そしてその中で仕事をしたり会議をした。

こうすると、各自の担当以外のテーマも共有できますし、何よりインドへの知識が深まるんです。

――インドに行ってからはいかがでしたか?

岡部:常にインド人の価値観を知ろうとしていた気がしますね。インド人と日本人では、「車を買う」ということの意味がまったく異なります。

僕がインド人の家に行って、どんな車を好むのかというヒアリングをしていると、その家の子どもたちが寄ってきて「お父さん、車を買うの?それならお小遣いはいらないから、車を買うお金にしてほしい」という。

日本人にとって車とは単に乗り物でしょうが、インドの人にとって、「車を買うこと」は「夢を買うこと」なんです。そういう価値観やライフスタイルを把握するところは、何よりも大事にしていました。

――新興国に進出するとなると、競合相手はどこになるのでしょうか。

岡部:インドの場合はスズキです。スズキは古くからインドで生産販売をしていて、まだトヨタが真っ向から競争しても勝てません。これからですね。

中近東だと事情は違って、現地生産している日本のメーカーはなくて、もっぱら完成車を輸出する形なので、こちらではトヨタがリードしています。

(後編につづく)

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